2019年08月14日:『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の意義について

4. 結びに代えて:私たちは、主人公・リュカに何を託したのか

 このテキストは、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』について、その意義を問うことを目的として書かれました。結果として、「主人公・リュカは、『ゲームのプレイアブル・キャラクター』としての側面と、『映画の主人公』としての側面とを有しており、それらは“ゲーム内『身体』”という観点から矛盾する要素であるため、映画は一部の人にとって受け入れられないものとなってしまった」ということ、及び、そこから波及して「ゲームを映画に持ってくることは、一筋縄ではいかない問題をはらんでいる」ということを確認できたと思います。

 最後に、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を受け入れることのできなかった人々のことについて、筆者の憶測を披歴して、このつたないテキストを閉じたいと思います。――といっても、筆者は別に映画を非難する人たちを悪く言うつもりはありません。なぜなら、かれらは確実に映画に期待していた人たちであり、その期待は正当なものであったし、また非難している人は「ドラゴンクエスト」を本当に愛している人たちであるのだということが、記事の端々からにじみ出てくる無念さから理解できるためです。

 と同時に、裏を返せばですが、映画を非難する記事を書いている人たちが、すべからく「ドラゴンクエスト」を愛しているということは、筆者としては非常に興味深い点でした。つまり彼らは、プレイアブル・キャラクターを通じて、「ドラゴンクエスト」の世界内で見るべきものを見て、感じるべきものを感じて、喜ぶべきものを喜び、愛すべきものを愛し、死すべきものを死した……そんなプレイヤーであるはずなのです。

 そのようなプレイヤーが、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に怒っている/悲しんでいるということ。――そのような人たちこそ、実は「主人公・リュカ」自身だったのではないでしょうか。リュカは最後、「ゲームは素晴らしい、もう一つの現実だ」、「ゲームで得た経験・ゲームで得た感情自体に偽りはないのだ」と高らかに言い放ち、世界を(正確には自分自身を)救うことになります。非難する人たちの多くは「ゲームは虚無だ」というメッセージに「そんなことは百も承知だ」と開き直って反駁しますが、彼らが本当に怒っているのは、「ゲームは虚無だ」という手垢のついたメッセージそのものに対してではなく、リュカが言い放ったセリフ――おそらくは、プレイヤーが一度は直面した困難に対し、自らの手で回答を与えたであろう時に宣言したものと同一――の影を、今一度踏むことになってしまったからではないでしょうか。

以  上 

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