2020年02月23日:むしろモラルでしかないことについて―「自殺者を撮影する」ことの問題―(1/3)

 2020年1月6日に、JR新宿駅南口にある歩道橋「ミロードデッキ」の上で、30代の若い男性がマフラーで首を吊っているのが発見されました。男性は救助されましたが、その時点で既に心肺停止の状態であり、搬送先の病院で死亡が確認された、とのことです(産経新聞「JR新宿駅南口の歩道橋で男性死亡、マフラーで首つりか」、https://www.sankei.com/affairs/news/200106/afr2001060015-n1.html、2020年1月7日閲覧)。

 この事件が発生してから時間が立たないうちに、TwitterなどのSNS上では、マフラーで首を吊った男性が、歩道橋の上で宙吊りになっている現場の画像が投稿されました。トレンドでは、もっぱら「首吊り自殺」自体よりも、この「首吊り自殺の写真を撮影し、SNSに投稿する(なおかつ茶化す)」ことに注目が集まり、かかる投稿を行った人たちに対しての非難や、不快感を表明する動きが起こりました。ネットの反応を収集するメディアShare News Japanでは、そのようなTwitter上の反応が収集されています(「新宿駅南口で首吊り自殺… 画像がSNSで出回る → ネット『撮る奴の気が知れない』『スマホ構えた時点で、人として終わってる』」、https://snjpn.net/archives/174335、2020年1月7日閲覧)。

 さて、このニュースの3か月前に、奇しくもJR新宿駅では同様の事件が発生していました。ブラインドサッカーの元日本代表である石井宏幸さんが、新宿駅のホームで列車と接触して死亡した事件です。この時、救出作業のため現場を覆っていたブルーシート内にスマートフォンを差し込んで撮影しようとする利用客が複数おり、駅員は「お客さまのモラルに問います」と、撮影をやめるよう異例のアナウンスを行った、とのことです(zakzak「やじ馬の救出作業“隠し撮り”にJR『苦言』 山手線事故死はブラインドサッカー元代表」、https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191004/dom1910040011-n1.html、2020年1月7日閲覧)。

 2つの事件から共通して言えることは、「誰かが死んだ時に、その写真を撮影する行動を取る人間が一定数存在し得る」ということと「『死体の写真を撮影すること』はモラルのない行為であると考える人間が一定数存在し得る」ということです。

 本論では、①「死体を発見した時に、それを撮影する」という行動は、どのような動機によってなされるのか、ということと、②「死体を発見した時に、それを撮影する」という行動は、「モラルのない行動」なのかどうか、という2点について検討をしてみたいと思います。

続く

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コメント

  1. 囘囘青 より:

    平磊士さん

    コメントありがとうございます。
    > 現場を撮影し報道する行為と、一般人と呼ばれる人が現場を撮影し投稿する行為の間に、大きな相違があるとは思えないのです。
    一つ差があるとすれば、良くも悪くも、組織としての差ではないかと思います。ジャーナリズムの重要な役割の一つとして「世論の喚起」があるため、
    世の中の人々が見落としてしまいそうな分野を切り取って問題提起するところに、報道の役割はあるのではないでしょうか。

    その一方で、世の中の人々の情報に対する感度が低ければ、報道も自然とセンセーショナルなもの中心になってしまいます。
    今、モラルとして求められることがあるとすれば、話題を追いかけることにあるのではなく、ある問題を忘れ去ることなく、問い続けるという姿勢なのではないでしょうか。

  2. 平磊士 より:

    最近の『マスコミ』とよばれる組織体を見ると、メディアやカメラマンが何かしらの現場を撮影し報道する行為と、一般人と呼ばれる人が現場を撮影し投稿する行為の間に、大きな相違があるとは思えないのです。
    一億総カメラマン時代の今、撮影という行為に対してモラルを問うのであれば、メディアの取材姿勢に対してももっとモラルを問うべきである。そう愚考する次第です。