2019年08月14日:『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の意義について

2.「ラスト前の90分間」について

 ちなみにですが、「ラスト前の90分間」については、筆者は大満足だったので、特にコメントしたいことはありません(なお、「お前の満足度の閾値が低すぎるんではないか」という真っ当な批判は、あえて無視します)。実際に映画を鑑賞するまで、筆者は3DCGの技術を完全に見くびっていたのですが、単にキャラクターが自然に動いているだけでなく、キャラクターの心の繊細な機微までもが表情に反映されており、まさしく目からうろこが落ちる思いでした(もちろん、このようにキャラクターを生き生きと描き出すために、声優を担当した方々の熱のこもった演技があることも忘れてはなりません)。

 一方で「全体的にストーリーテリングが雑で、ダイジェストのようになってしまっている」という批判もあります。確かにそのきらいはありますが、元々のコンテンツ(ゲームのシナリオ)のボリュームが大きいにもかかわらず、それを100分程度の尺で物語らなければならない以上、あのような展開となってしまうのはやむを得ないのではないかと思います。

  いやしくも、自分もアマチュアで創作を行っている手前、その立場からあえて一つだけ意見を言わせてもらうとするならば、物語というものは、広げようと思えば無際限に広げることができる一方で、縮めるためにはかなりの工夫が必要となります。「登場人物を減らす」ことは、その工夫の一つではありますが、「当該登場人物と関係する、他の登場人物とのやり取りを減らすことができる」という作用の一方で、「本来そのやり取りの中で明らかにするはずだった人物情報や物語の展開を、別の形で代補しなければならない」という副作用も伴っています。このような劇薬を飲みながらも、「100分程度の尺で、(雑ではあるかもしれないが)破綻のないストーリーテリングを達成している」という点を見れば、「ダイジェストのようになってしまっている」ということはけなし言葉ではなく、むしろ誉め言葉であると言ってしまっても言い過ぎではないと思います。

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