2019年08月22日:警察は、京アニ放火事件の被害者の身元を公表すべきであることについて

 京都アニメーション(以下「京アニ」といいます。)で放火事件が発生してから、1か月が経過しました。現時点で、死者は35人に達しており、容疑者は現在も治療を受けているため、事件の真相は掴めない状況が続いています。

 このような状況下で、報道機関が京都府警に対し「犠牲になった35人のうち、身元が公表されていない25人分について、その身元を公表するように求めたこと」が話題となっています。

 このことについて、twitterでは概ね否定的な意見が寄せられています。そして、そのような意見の多くは、「遺族の心情」にフォーカスを当てたものとなっています。

 なお、今回の申入れでは、「(被害者の身元を公表しないことは)過去の事件に比べても極めて異例」であることが主張され、また「今回を先例としないよう要請」されたことも書かれています。

 報道機関はなぜ、被害者の身元公表にこだわるのでしょうか。――今回は、事件が事件であるために、問題の所在が見えにくくなっていますが、報道機関が「警察による異例の情報非開示」に敏感になることには、それなりの妥当性があると、筆者は考えています。

 大げさなところから話をしますが、世界の民主主義の歴史は、「権力からいかに情報を引き出すのか」というテーマに沿って発展していると言えます。英国と言えば議会発祥の地ですが、近代的な意味での「議会」が整備されることとなった背景としては、フランスとの戦争に負けた失地王ジョンが、貴族から課税を行うことになったことが直接のきっかけです。要するに、「税金を徴収するのならば、その税金をどのように使う予定であり、実際にはどう使ったのか」というところを、政府は議会に対して説明しなければならない――という趣旨です。したがって、議会で最も大事なことは「予算案の審議・承認」であり、20世紀の初頭まで、多くの国で参政権が直接国税を納付する者に限られていたのは、その名残であるということができます。

 ともすれば、政治機構には権力が集中することとなります。これを防ぐために、三権分立などといった知恵が歴史の中で育まれていったわけですが、ジャーナリズムもまた、権力の集中に伴う弊害を防ぐ役割があります。なぜなら、近現代におけるジャーナリズムは「権力が公表に後ろ向きな情報を引き出し、大衆に知らしめる」ことにより、「権力の腐敗を防止する」機能を有しているためです(最近では、ジャーナリズムを担う各種報道機関自体が「権力」と見なされていますが)。

 このような報道機関の立場を踏まえると、警察組織とは当然に公権力であり、かつ「合法的な暴力装置」でもありますから、警察が公表することをためらう情報については、立場として公表を申し入れることが自然であると考えられます。

 「政府が積極的に情報を開示し、開示した情報の意味を市民に説明する」ことは、民主主義社会にとって必要不可欠なことです。今回の件は、警察として遺族に配慮したのかもしれませんが、遺族に配慮するかどうかは報道機関が決定すべきことであり、従前から開示していた情報であるならば、やはり警察は踏み切るべきであると考えます。

以  上 

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コメント

  1. HUIHUIQING より:

    沢庵美味さん

    近年、マスコミに対する風当たりは、特にSNSなどで強いように見えますが、
    ジャーナリズムの本分に照らして考えると、怯むことなくこの申入れを行ったことは、意義のあることだと考えます。
    ジャーナリズムの意義というものを、一人びとりがしっかり学んでいくことが大切なのではないでしょうか。
    このたびはコメントありがとうございました。

  2. 沢庵美味 より:

    「立場として」公表を申し入れる、というのはとても重要な認識だと思います。
    ネット上の意見は主観的、感情的なものが多く、ともすれば社会的ないし歴史的な、責任や役割を見失いがちですが、各機関や関係者の立場を踏まえれば、その意義に理解が及びます。
    それを意識に上らせてくだすった本エッセイに感謝いたします。