2019年08月14日:『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の意義について

1.初めに(又は長すぎる予防線)

 表題のとおり、このテキストは、2019年8月2日から全国公開されている映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』について、大胆にもその意義を問うことを目的として書かれています。

 「大胆にも」などと大げさに書いているのには、以下の内的・外的な理由があります。

(1) 本テキストの執筆者(以下「筆者」といいます)は、「ドラゴンクエスト」について詳しくない

 いきなりで恐縮ですが、筆者はまず「ドラゴンクエスト」シリーズに詳しくありません。

 ゲームとしてプレイしたのは、『ドラゴンクエストⅠ』及び『ドラゴンクエストⅡ』だけであり、Ⅲ以降のナンバリング・タイトルについては、プレイした経験がありません。

 この映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、『ドラゴンクエストⅤ』を下敷きにして制作された映画ですが、上記の有様なので、当然筆者は『ドラゴンクエストⅤ』をプレイしていません。その意味では、「ドラゴンクエスト」のファンの手による、熱量が(少なくとも筆者よりは)豊富な他のレビューと比較した場合、的外れなことを言っている可能性があります。 それでもなお、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』について、どうして筆者がレビューを行うのかと問われたとするならば、「この作品には語るだけの意義がある」と筆者が思ったからにほかなりません。――有り体に言えば「好きなことを好きなだけ喋る」ということになるのですが、ご容赦いただきたいと思います。

(2) 本テキスト執筆時点(8月14日時点)で、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の評価は低く、厳しい批判に晒されている

 わざわざこのエッセイに目を通すような人ならば、このことについては説明するまでもないかもしれません。Twitterで、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と検索すれば、映画を酷評しているユーザーが少なくない数存在していることが分かると思います。

 Googleでザッと検索するだけでも、手厳しい映画レビューに巡り合うことができます(以下のリンクは、そのようなレビューの一例です)。

 上に掲げた二つのレビューは、いずれも映画に対する厳しい批判となっています。その一方で、これらの批判は、「ドラゴンクエスト」に対する愛情の裏返しであると読み取ることができるのではないかと思います。Twitterで挙げられている数多くの非難(と、それを肯定するリツイート&いいねの数)は、皆がこの『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に期待を寄せており、それが失望に転じたことの示唆と受け取ることも可能でしょう。

 このような中で「『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の意義を探る」という本エッセイの取組は、当該作品が強い逆風に晒されている中では、吹けば飛ぶような何かになってしまう可能性があります。しかしながら、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、決して「往年のファンをどん底に追いやってやろう」とでもいうような、製作者側の悪意によって制作された映画ではないはずです。そのことを前提とした場合、「供給された映画が鑑賞者に受容されるまで」の間に、著しいミスコミュニケーションが存在していたと仮定せざるを得ません。そのミスコミュニケーションがどのようなものであったのかを問うことにより、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の非難された部分は「その作品に固有の問題」だったのか、又は「全ての作品に普遍的な問題」だったのかを判別することができるようになるのではないでしょうか。

 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を鑑賞するに当たって、筆者は上記のような思考プロセスをもって映画館に足を運びました。――ここで、最後の後出しじゃんけんとなりますが、

(3) 筆者は、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の前評判を確認してから、当該映画を鑑賞している

 という予防線も追加しなければなりません。したがって当然、「ラストの10分間で度肝を抜かされること」も理解していましたし、映画館に入る前から、ある程度身構えた状態で鑑賞しました。これは、「何の前評判も知らずに映画館へ突撃し、背後から蜂の巣にされた故人ファン」を考えた場合、(精神的に)大きなアドバンテージとなっていることは明白です。よって、このようなアドバンテージをもって書かれている本テキストが、一定のそしりを免れ得ないこともまた事実です。

 しかしながら、「ラストの10分間」の情報を、どのような形で入手した(又は入手しなかった)にせよ、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に対する自分の評価は、そこまで変わらなかったのではないか――と筆者は考えています。それは第一に、「ラストの10分間」は、筆者が考えているほどには悪逆非道なものではなかったためであり、第二に、筆者は「ラスト前の90分間」でとても感動しており(泣きました)、「ラストの10分間」のまずい点を差し引いても、お釣りがくる、考えているためであります。

 しかしいずれにせよ、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の評価に当たって、「ラストの10分間」を回避することはまず間違いなく不可能であるという印象を筆者は持っています。よって、この「『ラストの10分間』がどのように受容/評価されたのか」、「そのように受容/評価された理由は何か」というところを紐解くことによって、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』という作品の意義について解き明かしてみたいと思います。

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