2021年03月14日:『うっせぇわ』の流行、つまりは若者世代の行き詰まりについての考察(前半)

 2020年10月23日にYouTube上で投稿された楽曲『うっせぇわ』が、2021年3月14日現在、多くの人々の関心を集めています。

 『うっせぇわ』は、投稿後すぐに注目されるようになり、YouTube上では、様々なカヴァー曲や替え歌などが溢れ、一種のムーブメントを形成している状況であると言っても、言い過ぎではないでしょう。

 他方において、『うっせぇわ』の受容の仕方・それに対する反応に関しては、世代によって隔たりがあるようです。2021年3月1日にFRaUに投稿された「『「うっせぇわ」は子どもに歌わせない』という親たちに伝えたいこと」という記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80669?media=frau、2021年3月6日閲覧)や、2021年3月5日に現代ビジネスに投稿された「『うっせぇわ』を聞いた30代以上が犯している、致命的な『勘違い』」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80819、2021年3月6日閲覧)などは、いずれもこの「世代間の反応・受容の差」に着目し、その原因・理由についての考察が述べられています。

 本稿では、『うっせえわ』という楽曲のターゲットが若者世代(15歳〜22歳程度)であると捉え、この若者世代が置かれている状況を語るに当たり、『うっせぇわ』がどの程度、そのための補助線としての役割を果たしているのかを、グレゴリー・ベイトソンが提示した「ダブルバインド理論」を基にして考察します。加えて、『うっせぇわ』に対する典型的な若者世代の反応が、”神聖かまってちゃん”が提供する楽曲に対する反応とどう異なっているのかについて確認することにより、若者世代に対しては救済の道が閉ざされていること、すなわち『うっせぇわ』は「若者世代の行き詰まり」を表現した曲であるということを再確認します。

1.『うっせぇわ』の歌詞の確認

 『うっせぇわ』の歌い手は、当該楽曲の投稿日が「17歳最後の日」だという、2002年生まれの現役高校生”Ado”という人で、それ以外の情報は公にされていません(前掲『現代ビジネス』記事)。作詞作曲はsyudouという人で、ボーカロイド楽曲が一定の地位を確立しつつある昨今において、様々な楽曲を提供していることで有名です。

 重要なのはsyudouという人物のバックグラウンドで、FRaUの前掲記事によれば「噂だと20代で社会人経験もある男性」だとのことです。

 ”噂”レベルの話をどこまで事実認定するかは判断の分かれるところですが、仮に事実であったとして、「社会人経験もある」という書きぶりは、色々と考えさせられる余地があります。歌詞には「経済の動向は通勤時チェック」や、「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい/皆がつまみ易いように串外しなさい」といった、社会人になるかならないかのボーダーラインでよく耳にすることや、なった後に「不文律最低限のマナー」として身につけていくであろう事項が散りばめられています。これらは、好意的に言えばsyudouの社会人経験が活かされている――悪く(邪推して)言えば、このような社会人経験が、「社会人経験ある(今は社会人ではない)」という状態に、syudouを追いやった――と考えることができるでしょう。

 さて、こうした「社会人じゃ当然のルール」や「不文律最低限のマナー」に対して、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」という反発が行われます(余談ですが、続く「あなたが思うより健康です」という健やかさアピールに、筆者はどうしてもひとりで爆笑してしまいます)。このサビに続けて「一切合切凡庸なあなたじゃ分からない」、「頭の出来が違う」、「私が俗に言う天才」といったフレーズが登場します。

 「お前いつまで中二病患ってるんだ」――という言説は、オバタカズユキ氏がNEWSポストセブンに投稿したコラム(https://www.news-postseven.com/archives/20210214_1635400.html?DETAIL、2021年3月6日閲覧)からの引用です。「中二病」はもともとはネットスラングでしたが、今は一般化し、『新語時事用語辞典』において、以下のように取り上げられています。

中二病の根底には自己顕示欲や承認欲求、自らを特別な存在と思いこむ自己陶酔、といった要素がおおむね共通して見て取れる。これに幻想・空想・夢想・妄想が加わり、「光と闇」「神聖と邪悪」「選ばれし者と凡愚凡俗」「天才と暗愚」「支配する側と支配される側」といった世界観も加わり、個人の趣味嗜好と相まって、具体的な言動として発出される。
中二病は往々にして「己は唯一無二の存在」という意識を抱くものであるが、その意識も含めて、中二病の行動はとかくありがちというか、類型化しやすい。中二病にあちがちな言動は「中二病あるある」「中二病発言」などと呼ばれる。

https://www.weblio.jp/content/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85、2021年3月6日閲覧

 「凡庸なあなたじゃ分からない」は「自らを特別な存在と思い込む自己陶酔」の裏返しですから、歌詞は紛れもなく典型的な「中二病」の在り方を示しています。

「俺は……みんなバカだと思っていた」
「いつもどうでもいいようなことでケラケラ笑っててさ、子供っぽかった」
「……わかってる。バカだったのは俺なんだ」
「本当はみんなといっしょに遊びたいのに、どうしても、仲間に入れてって言えなかった」
「そのうちさ……俺はみんなとちがうんだ……あんな子供っぽいヤツらとはちがうんだって、思うようになったんだ」
「どうしようもなくひねくれてた。そして……弱かった」

 上記に列挙したセリフは、世界的に有名なRPG『ファイナルファンタジー7』(1997年リリース)において、主人公のクラウドが少年時代の記憶を述懐したときのセリフです。

 「俺はみんなとちがうんだ」のセリフが示すように、クラウド少年もまた中二病だったと言えますが、このときのクラウドはまだ14歳でした。先の『新語時事用語辞典』にあるとおり、中二病は思春期特有の自己意識のあらわれですから、「社会人じゃ当然のルール」に対して「うっせぇわ」と思っている当事者が、未だに思春期から抜け出せない幼稚性を抱えながら生きているのだ、ということが伺えます。

 と、このような考察をもって、オバタカズユキ氏のコラムのとおり「自分を一段高いところにおいた目線での恨み節。これって、だいぶダサくないか(前掲、2021年3月5日閲覧)」と断罪してしまっても良いのですが、ここでひとつ『うっせぇわ』の楽曲に対し、別の光を投げかけてみましょう。この時に重要となってくるのは、「歌い手のAdoは、現役女子高生である」というプロフィールです。

続く

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