2019年11月23日:トロッコ問題の意義について(前編)

 山口県岩国市立東小学校及び東中学校において、「学級活動」の時間に「トロッコ問題」が題材として扱われたことが、物議を醸しました。

 『毎日新聞』のウェブサイト記事によると、授業は、山口県が今年度から始めた、心理教育プログラムの一環として今年の5月に行われたものである、とのことです(https://mainichi.jp/articles/20190929/k00/00m/040/044000c、2019年11月23日閲覧)。この授業を行ったのはスクールカウンセラーであり、スクールカウンセラーは「トロッコ問題」の記されたハンドアウトを利用して授業を行ったそうです。

 授業の狙いは、「選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙い」とのことですが、その後、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、このことが発覚しました。

 記事を読めば分かることですが、この一連の出来事がニュースになったのは、「扱われた問題が『トロッコ問題』だったこと」によるものではなく、「スクールカウンセラーによる授業については資料や内容を学校側と協議して、学校側も確認してから授業するとされていたが協議、確認していなかった」という手続の未実施によるものであると考えられます。にもかかわらず、このニュースは、「トロッコ問題」そのものに特に注目が集まり、「トロッコ問題」に対する回答の善悪是非、そもそも「トロッコ問題」を問うことの意義などが、ネット上を騒がせることになりました。

 なぜ、「トロッコ問題」は、ここまで注目を集めたのでしょうか。このことを考察するに先立ち、授業で扱われた「トロッコ問題」を確認してみましょう。

 先ほど掲げた『毎日新聞』の記事によると、授業で扱われた「トロッコ問題」の設定は、次のような内容だった、とのことです;まず、トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、左の線路には5人、右の線路には1人が、縛られて横たわっています。この状況下で、「あなた」は分岐点に立っており、「あなた」の目の前にはレバーがあります。

 今、トロッコの進路は左の線路に設定されていますが、「あなた」がレバーを扱うことによって、これからやって来るトロッコを、右に進路変更させることができます。

 このような状況下で、「あなた」に与えられた選択肢は2つあります。第1の選択肢は、「レバーを使って、トロッコを左の線路から右の線路へ進路変更させる」というものです。この選択肢を選んだ場合、左の線路に横たわっている5人の命は救うことができますが、右の線路に横たわっている1人は犠牲になります。

 第2の選択肢は、「レバーを使わない」というものです。この選択肢を選んだ場合、トロッコの行き先に変更はないため、左の線路に横たわっている5人は犠牲になりますが、右の線路に横たわっている1人は助かります。

 さて、このような条件設定の下で、「トロッコ問題」が示唆している論点を考えてみましょう。第1の問題は、「人の命の価値を量化して良いか」という点です。もし「量化して良い」と考えるならば(つまり、「5人の命の価値は、1人の命の価値よりも重い」と判断できるのならば)、「あなた」は迷わずレバーを引いて、5人の命を救う選択肢を取ることができるでしょう。しかし、多くの人は、レバーを引くことにためらいを覚えるのではないでしょうか。それは、「命の価値」は、単純に量化することができないものだからです。

 続く第2の問題は、「人の運命を変更するだけの権限を、『あなた(=自分)』は持っていて良いのか」という点です。仮に5人の命を救う選択肢を「あなた」が選んだ場合であっても、それを実現させるためには、「あなた」自身がレバーを引いて、トロッコの行き先を変更する必要があります。そして、トロッコの行き先が変わることにより、1人が犠牲になるわけですから、「あなた」のレバーを引くという行為は、事実上、「あなた」は1人の人間を殺すことに決定した、ということにほかなりません。

 上に掲げた第1、第2の論点のほかにも、派生する論点は無数にあることでしょう。それでは、この「トロッコ問題」に正解はあるのでしょうか。(続く

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