2021年01月16日:“病”は作品の主題となるか ―カレル・チャペック『白い病』を読んで―

 チェコ出身の作家・劇作家であるカレル・チャペック(1890~1938)の戯曲『白い病』の新訳が、2020年9月に岩波文庫から刊行されました。

 この記事は、『白い病』を踏まえつつ、“病”は作品の主題となるか、この新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ」と言います。)が流行している昨今において、“病”をキーワードとして作品を鑑賞することに、どの程度の意義があるのかを考察することを目的としています。

 まず、この作品の新刊の刊行が、コロナを契機としていることは明らかです。訳者である阿部賢一さんは、「論座」に「コロナ禍の2020年にチャペック『白い病』を訳す」という記事を寄稿しています。その中で、「今こそ、つまり緊急事態宣言の状況下でこそ、この作品を訳すべきだ、と。」、「同時に、なるべく早く、多くの人とこの作品を共有したいという想いも抱いた。」と述べています(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020101600002.html、2021年1月16日閲覧。なお、カギカッコ内における“緊急事態宣言”は、2020年4月に発令されたものを指しています)。

 加えて、新刊の帯にも「戦慄の予言的SF」というキャッチフレーズが載せられています。「予言」の矛先がどこにあるのか、このキャッチフレーズにその示唆はありませんが、上記の記事を踏まえれば、コロナ禍の現状を指している、と考えるのが自然でしょう。

 さて、このように、『白い病』の新訳の刊行はコロナを契機としていますが、そもそも作品の主題を“病”として同定することは適切でしょうか。

 この問いに答えるためには、まず「主題」という語の意味をはっきりさせておかなければなりません。「主題」については、「テーマ」と言い換えても良いかもしれませんが、『デジタル大辞泉』を紐解けば、「(文学作品あるいは芸術作品では)表現しようとする中心的内容」と説明されています(https://kotobank.jp/word/%E4%B8%BB%E9%A1%8C-77786、2021年1月16日閲覧)。

 定義の仕方は様々にあるでしょうが、この記事では、上記の説明に基づいて考えていきたいと思います。ところで、文学作品において、主題それ自体が作中に登場することは、往々にしてありません。というのも、上記の定義のとおり、主題は、その文学作品において「表現しよう」とされているものであり、そうである以上、作品の中で直接指示されるものではないからです。

 このため、「作者が作品において、何を主題に据えたのか」ということについては、作品の周辺情報から入手するしかありません。このとき、『白い病』に付録として加えられている「前書き」を検討することは、作品の主題を考えるに当たって、重要な意味を持ちます。

 「前書き」の中で、チャペックはこの『白い病』が刊行された当時の時代を、「人間愛」を中心に据えたヨーロッパ伝統の精神と「集団的な秩序」に従属する政治権力の精神との対立の時代、として捉えています。チャペックはこれを「民主主義の理念と、野心的で際限を知らない専制政治の理念の対立」と言い換えた上で、「このような対立が悲しくも現実のものとなっていることが、『白い病』を執筆する契機となった」とも述べています(チャペック 2020、p.158)。

 「契機」という言葉の重要性は、いくら強調してもし過ぎることはないでしょう。『白い病』という作品は、この二者の理念の対立を軸として展開していくためです。このように考えたとき、『白い病』における“病”は、作品の主題としてではなく、飽くまで作品の展開を方向づけるために用いられる補助線として考えるのが自然でしょう。

 では、“病”をキーワードとしてこの作品を鑑賞することに、どれだけの意義があるでしょうか。解説の中で、訳者の阿部さんは、批評家のスーザン・ソンタグを取り上げ、『白い病』を文字通り「病」の書として読み解いた、と評価しています(阿部 2020、p.183)。

 この評価について検討することは、記事の目的ではありません。しかし、ソンタグの当該批評が刊行された時代は、疫病が現実の猛威となっていた現代の状況とは異なります。このように考えてみると「“病”をキーワードとして作品を鑑賞した際に見いだされる意義の内実」を問うよりも、むしろ「“病”をキーワードとして作品を鑑賞する」という行為そのものに意義がある、と見ることができるのではないでしょうか。

 前述のとおり、『白い病』のテーマは、決して“病”ではありません。しかしながら、このコロナ禍の昨今において、“病”というキーワードに惹かれ、多くの人が文学作品に触れているようです。アルベール・カミュの小説『ペスト』などは、2020年4月には発行部数100万部を突破した、とのことです(https://encount.press/archives/126511/、2021年1月16日閲覧)。むろん、これらの文学作品の中に、コロナ禍の時代を読み解く手掛かりを直ちに見いだすことは難しいでしょう。しかし、コロナ禍の中で、“病”をキーワードとして作品の鑑賞するという機運が、具体的な動きとして社会に現れているということの意義については、将来において十分に検討されることが望ましいと言えそうです。


【参考文献】
カレル・チャペック(阿部賢一 訳)(2020)『白い病』、岩波文庫

以  上 

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