――ではしかし、そのとき向こう側で鳴っている低音は、いったいなんだろう。それは深い人間的な秩序に属するものであり、仮面の後ろにある素顔、滑稽なコントの裏に隠された個人的なドラマを明かしているのか。だからこそ、笑いはそのとき凍りつき、喉のしめつけられる思いがするのか。つまり、喜劇作家がわたしたちの人生のドラマ、わたしたちの孤独な日々の苦しみや悲惨に触れるとき、どうして笑っているだけですまされようか。
ジリボン「不気味な笑い」、H.ベルクソン/S.フロイト(原 章二 訳・2016)『笑い/不気味なもの』所収。pp.280-81
「100日後に死ぬワニ」というタイトルの一連の四コマ漫画が、2019年12月12日からTwitter上で投稿され始め、注目を集めています。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) December 16, 2019
1日目から4日目#ワニが死ぬ日 pic.twitter.com/0dcKrWxFCX
投稿者は、漫画家/イラストレーターのきくちゆうきさんであり、「100日後まで(毎日)描く予定」であるとのことです。
このブログを書いている時点(2019年12月22日現在)では、10日目までの四コマ漫画(つまり、10作品)が投稿されています。一連の四コマ漫画では、主人公のワニの他愛ない日常が描かれているのですが、最後に必ず結びのコマの下(欄外)に、「死ぬまでXX日」と書かれています。
注目したいのは、「この一連の四コマ漫画は、読み手にどのように受容されているのか」という点です。非常に注目を集めているコンテンツであり、検索をかければ様々な感想がヒットするのですが、とりわけ多く注目を集めている感想を2つピックアップすると、以下のとおりです。
100日後に死ぬワニ、「このワニ自分が死ぬことも知らずに…笑」といった楽しみ方をするのかと思ってたけど、どこかで自分と重なるようなエピソードを見た途端「ワニは俺なんだッ!俺だ!ワニの死は俺の死だ!!」ってなってしまう恐ろしいコンテンツなのではないかと思った(自分は8日目でそれになった)
— しーとん (@seton8852) December 20, 2019
100日後に死ぬワニ、最後まで見届けられると勝手に思い込んでる自分との二重構造になってるな。。
— 舟橋政宏 (@bashi_funa) December 18, 2019
これまでに投稿された四コマ漫画では、いずれも主人公のワニは、自分が100日後に死ぬなどということはつゆとも考えず、赤信号を無視して轢かれそうになったヒヨコを助け、「気を付けないと死んじゃうよ!」と注意したり(3日目)、『ワンピース』の結末を心待ちにしたり(6日目)、事故に遭ったネズミを励ましたり(10日目)しています。「100日後に死すべき運命にある」にもかかわらず、「気を付けないと死んじゃうよ!」とヒヨコを諭したり、100日以内には結末を迎えないであろう(たぶん)『ワンピース』の結末を楽しみにする様子は滑稽なのかもしれませんが、一連の四コマ漫画を読み進めている読み手の中には、「滑稽さ」の中に「不気味さ」を感じ取っているようです。
その「不気味さ」を端的に表しているのが、上記2つのツイートになります。要するに、「100日後に死ぬのに、このワニは何にも気付かなくて、おかしいなあ」と考えていた読み手が、ある時突然、「もしかして、この『100日後に死ぬかもしれないワニ』とは、自分のことなのではないか」ということに気付き、心の隙間に風を感じるわけです。
(少し論が反れますが、このような考え方の遷移を踏まえると、きくちゆうきさんの「100日後まで描く予定」という言葉も、なかなか味わい深いものがあります。読者がそうであるのと同様に、きくちゆうきさんご自身も、100日後に生きている保証は世界のどこにも存在しないわけですから)
本論は、この「100日後に死ぬワニ」を題材として、“滑稽さ”と“不気味さ”との交錯を、アンリ・ベルクソンの『笑い』、ジークムント・フロイトの『不気味なもの』、そして、両者を考察の対象としたジャン=リュック・ジリボンの『不気味な笑い』を用いて、考えてみること目的としています。
(続く)
コメント
コメントありがとうございます。
電通での過労死事件を念頭に置いてのコメントと拝見しますが、
やはり「100日後に死ぬワニ」と電通での過労死案件は、別として取り扱うのが筋と私は考えます。
100日後に過労死した電通のワニタさん