2019年12月22日:「100日後に死ぬワニ」の滑稽さと不気味さについて(1/3)

――ではしかし、そのとき向こう側で鳴っている低音は、いったいなんだろう。それは深い人間的な秩序に属するものであり、仮面の後ろにある素顔、滑稽なコントの裏に隠された個人的なドラマを明かしているのか。だからこそ、笑いはそのとき凍りつき、喉のしめつけられる思いがするのか。つまり、喜劇作家がわたしたちの人生のドラマ、わたしたちの孤独な日々の苦しみや悲惨に触れるとき、どうして笑っているだけですまされようか。

ジリボン「不気味な笑い」、H.ベルクソン/S.フロイト(原 章二 訳・2016)『笑い/不気味なもの』所収。pp.280-81

 「100日後に死ぬワニ」というタイトルの一連の四コマ漫画が、2019年12月12日からTwitter上で投稿され始め、注目を集めています。

 投稿者は、漫画家/イラストレーターのきくちゆうきさんであり、「100日後まで(毎日)描く予定」であるとのことです。

 このブログを書いている時点(2019年12月22日現在)では、10日目までの四コマ漫画(つまり、10作品)が投稿されています。一連の四コマ漫画では、主人公のワニの他愛ない日常が描かれているのですが、最後に必ず結びのコマの下(欄外)に、「死ぬまでXX日」と書かれています。

 注目したいのは、「この一連の四コマ漫画は、読み手にどのように受容されているのか」という点です。非常に注目を集めているコンテンツであり、検索をかければ様々な感想がヒットするのですが、とりわけ多く注目を集めている感想を2つピックアップすると、以下のとおりです。

 これまでに投稿された四コマ漫画では、いずれも主人公のワニは、自分が100日後に死ぬなどということはつゆとも考えず、赤信号を無視して轢かれそうになったヒヨコを助け、「気を付けないと死んじゃうよ!」と注意したり(3日目)、『ワンピース』の結末を心待ちにしたり(6日目)、事故に遭ったネズミを励ましたり(10日目)しています。「100日後に死すべき運命にある」にもかかわらず、「気を付けないと死んじゃうよ!」とヒヨコを諭したり、100日以内には結末を迎えないであろう(たぶん)『ワンピース』の結末を楽しみにする様子は滑稽なのかもしれませんが、一連の四コマ漫画を読み進めている読み手の中には、「滑稽さ」の中に「不気味さ」を感じ取っているようです。

 その「不気味さ」を端的に表しているのが、上記2つのツイートになります。要するに、「100日後に死ぬのに、このワニは何にも気付かなくて、おかしいなあ」と考えていた読み手が、ある時突然、「もしかして、この『100日後に死ぬかもしれないワニ』とは、自分のことなのではないか」ということに気付き、心の隙間に風を感じるわけです。

(少し論が反れますが、このような考え方の遷移を踏まえると、きくちゆうきさんの「100日後まで描く予定」という言葉も、なかなか味わい深いものがあります。読者がそうであるのと同様に、きくちゆうきさんご自身も、100日後に生きている保証は世界のどこにも存在しないわけですから)

 本論は、この「100日後に死ぬワニ」を題材として、“滑稽さ”と“不気味さ”との交錯を、アンリ・ベルクソンの『笑い』、ジークムント・フロイトの『不気味なもの』、そして、両者を考察の対象としたジャン=リュック・ジリボンの『不気味な笑い』を用いて、考えてみること目的としています。

続く

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コメント

  1. 囘囘青 より:

    コメントありがとうございます。
    電通での過労死事件を念頭に置いてのコメントと拝見しますが、
    やはり「100日後に死ぬワニ」と電通での過労死案件は、別として取り扱うのが筋と私は考えます。

  2. 匿名 より:

    100日後に過労死した電通のワニタさん