9.「テンプレート」について提起されうる問題

 ブックマーク、そして評価をめぐる考察については、前回までで一つの決着を迎えました。煎じ詰めれば「自分の書きたいものをどしどしと書くこと」と「読んで面白いと思ったものにどしどし評価をつけること」ということであるため、至極当たり前のことのように思われます。

 ですが、これはただの回り道ではありません。数理的な根拠をもって確認できた事柄であるため、意義のある回り道だったと思います。少なくとも、「自分のやっていることに意味はあるのか」ということで書き手/読み手が悩む必要はなくなったはずです。悩みが解消されるということは、それだけでも十分意味のあることだと私は考えます。

 私たちの前に立ちはだかる最後の問いは「なろうテンプレ(「小説家になろう」におけるテンプレート)」に関わる事柄です。「なろうテンプレ」に関しては、これ以外のエッセイでもたびたびテーマとして扱われています。

 後の議論を先取りすることになってしまうのですが、興味深いことに、「なろうテンプレ」について考察をしているエッセイの多くは、「なろうテンプレ」に対して否定的な見解を示しています。

 「なろうテンプレ」とはそもそも何なのか。そしていかなる事情で、この「なろうテンプレ」は非難されなくてはならないのか。まずはこれらの事柄が、解決されなくてはならないパズルとして浮上してきます。

 また、「なろうテンプレ」がいかに非難されようとも、「小説家になろう」全体を見渡してみれば、「なろうテンプレ」に則った作品(もっとも、現段階では考察が行き届いていないため、正確には“「なろうテンプレ」に則っているように見える作品”といった方が適切です)は数多く見受けられます。

 私たちがある物事を利用するのは、「その物事を利用すれば利益になる」と考えるためです。では、「なろうテンプレ」を利用したときに、いったいどのような利益がもたらされるのでしょうか。そして、その利益を享受するのは書き手でしょうか、読み手でしょうか、あるいはその両方でしょうか。――これらの事柄も、やはりパズルとして浮上してきます。

 更に「なろうテンプレ」における「テンプレ」という言葉に注目してみましょう。「テンプレ」とは「テンプレート」を縮めた言葉ですが、この「テンプレート」という言葉を語義どおりに解釈すれば、「様式/体裁」といった意味合いになるでしょう。「なろうテンプレ」の批判者はこのことに注目して「テンプレ小説(「なろうテンプレ」に従った小説のこと)には個性がない」と主張します。

 本当に「テンプレ小説」は没個性的なのでしょうか。そもそも「個性的な小説」とは何なのでしょうか。このような根源的な問いを立ててしまうと、解くのは途端に難しくなります。しかし一口に「テンプレ小説」と括ってみても、その入り口から垣間見ることのできる世界はそれなりの奥深さを秘めているのではないかと考えられます。いずれにしても、「テンプレ小説」を没個性だと決めつける姿勢には、数々の留保を付けなければならないでしょう。

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