8.評価における倫理的問題

 前回は、書き手が予測するポイントの平均値と、読み手が実際に入れるポイントの平均値とを比較しました。結果として、書き手は常に3ポイント分だけ損する(正確には、損した気持ちになる)ということがはっきりしました。

 計算はこのくらいにし、今回はこうした評価の実情を踏まえた上で、具体的にどのようなあり方が望ましいのかについて考えてみましょう。

 まず、「小説家になろう」の運営側は、評価者のポイントの入れ方について特に指定していない、ということを書き手は念頭におく必要があるでしょう。それは『マニュアル』における「評価システム」の最後の項目、「その他」における「ポイントの入れ方が分かりません……」というクエスチョンを読めば分かることです(http://syosetu.com/man/hyouka/)。

 「小説家になろう」の運営側がどの程度意図的にこうした構造を決定しているのかは分かりませんが、加点方式を原則として採用しつつ、「評価の仕方は評価者の仕方に委ねる」というのは(責任の所在をあやふやにするという点で)なかなか深謀遠慮を感じさせる措置であると私は考えます(註:正確な証拠がないために、記憶を頼るしかないのですが、つい一年ほど昔は、「文章:ストーリー=3:3」のところに、あらかじめプロットが打たれていたような気がします。それがいつの間にか消えてしまっているのも、「評価の入れ方は読み手に委ねる」という方針との整合性を保つためではないかと推測されます)

 このような状況を踏まえると、まず書き手の側は、入れられたポイントについて邪念を起こさないよう、寛容の精神を養うことが必要です。

 「寛容の精神」などというと、いささか抽象的にすぎるのですが、これは今切実に求められている一つのメンタリティだと思います。

 「ブックマーク」は「面白さの指標」ではなく、「その小説にどれくらいの人数が関心を持っているかの指標」と考えた方が妥当であるということは、ブックマークについての考察の項目で説明しました。この考え方は、「ブックマーク」のみならず、「評価ポイント」においても有効です。

 そもそも「評価ポイント」である以上は、原則読んでいないかぎり評価することはできません。ブックマークの多さと、評価の多さとは正比例の関係にあるわけです。もちろん、短編小説の場合には、一気に読んでしまってから評価をつける読み手がいるために、ブックマーク数より評価数が多いことは十分あり得ます。連載小説であっても、連載の途中で評価をつける人もいれば、完結の後に評価を入れる人も存在します。

 しかし、いずれの場合であっても、評価をするより前に、評価者はその作品と何らかの関わりを有していると考えるのが妥当です。そうなると、「評価のポイントの多さ」以上に「ブックマーク数に対する評価者数の割合」の方が重要なのではないか、ということが考えられます。

 たとえば、ポイントが同じく10,000ptの作品であるA、Bが存在したとします。Aのポイントの内訳は、ブックマーク数が5,000件。Bのポイントの内訳は、ブックマーク数が4,000件で、評価が2000pt。評価ポイントは1人あたり10ptつけられるため、Bの小説は最低でも200人から評価されていることになるわけです。

 もちろん、一時的な状況をもって全てを判断することはできませんが、Aの作品の状態よりかは、Bの作品の状態の方が健全です。「健全」などというと主観的な言い方になりますが、少なくともA作品の作者よりもB作品の作者の方が「自分の作品を継続して追ってもらっている」という実感は強いはずです。もっと言ってしまえば、A作品は「A作品」にのみ人気が集中しているのに対し、B作品は、「B作品」だけでなく「B作品の作者」にもある程度読み手の関心が向いているのではないか、と考えることができるわけです。要するに、「ブックマーク数」が「その小説にどれくらいの人数が関心を持っているかの指標」ならば、「評価ポイント」は「ブックマークで表明された関心の度合いはどのくらいなのか」を示す指標だといえるのです。

 したがって、評価者の意図が分からないからといっても、もらった評価に対して作者は真摯にならなければなりません。「1:1という『低評価』をつけられた」と口にし、不愉快そうな態度をとる書き手はそれなりにいます。誤解されることを恐れずにあえて言うのならば、それはその書き手の慢心というものです。今まで説明してきたとおり、どのような評価ポイントであれ、悪意ある評価は制度上反映されません。「1:1=低評価」と見なしている書き手は、「自分の作品は1:1以上のもっと高い評価をされて当然だ」と思っていることを暗に示しています。それはうぬぼれというものです。

 そして「評価されること」を積極的に受け入れるのならば、「評価されないこと(ポイントが「0:0」であること)」もまた積極的に受け入れなくてはなりません。そもそもポイントが「0:0」であったとしても、単純に読まれていないのか、「読んだ結果として『0:0』ポイントにした(評価しなかった)」のかは分かりません。「無料で小説が読めるのだから、読み手は料金の代わりだと思ってポイントを入れてください」などという考え方をするのは、反省を要する考え方だと思います。そもそも、書き手の側が「無料で小説を投稿できる」という恩恵を享受しているのにもかかわらず、「無料で小説が読めるのだから、読み手は料金の代わりだと思ってポイントを入れてください」などということは滑稽です。そんなことを言っていいのは、せいぜい「小説家になろう」の運営ぐらいです。

 仮にもし「無料で小説が読めるのだから、読み手は料金の代わりだと思ってポイントを入れてください」と言ったとして、読み手の側から「なるほど実際にあなたの小説を読んでみたけれど、箸にも棒にもかからないような駄作で、時間を浪費した。私の時間を返してくれ」と切り返された場合、いったいどうするつもりなのでしょうか。自分が時間をかけて作った作品にブックマークや評価が欲しい気持ちは分かりますが、読む相手が費やしてくれる時間にもまた価値を見出し、大切にしなくてはなりません。

 以上の話はやや憶測も入り混じっていますが、いずれにしても「寛容の精神」を書き手が身につけることこそが重要です。

 そこで、書き手ができる具体的な方策を提示したいと思います。やり方は簡単です。作品ごとに確認できる「評価点」において、「平均」の項目を見ないようにすればいいのです。

 たくさん読み手がいれば、理論的な平均値は以前お示ししたような値(1.5≦X≦3)に収束するでしょうが、読み手が少ない作品においては、平均値の値がぶれることは確実です。これは私自身の意見で、直観的な話になってしまうのですが、書き手は「1:1」ポイントを喰らって嫌な気持ちになるのではなく、「1:1のせいでガクッと下がった平均値」を見て嫌な気持ちになるのではないでしょうか。平均値さえ見なければ、書き手にとってポイント制度は恵まれた制度以外の何ものでもありません。

 今までは書き手についてお話しましたが、読み手の側は何をすればよいのでしょうか? 全般的に言えることとしては、ユーザーはもっと積極的に評価を入れるべきだと私は考えます。特に「自分の作品がくすぶっている」と考える書き手の人は、自分の作品に似た傾向をもつ(あるいは自分が興味を持った)作品に評価を入れることが大切です。

 最後に、もっと言ってしまえば、「ブックマーク=2ポイント」という、よく分からない制度を廃止すべきだ、ということです。単純にブックマーク:○○件という表示であっても差し支えないはずです。「作品のブックマーク」と「作品の評価」という相容れないものを、ポイントという基準でくくっているところが、「小説家になろう」の制度上の限界だと私は考えます。

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