11.「なろうテンプレ」を使うことの利益と、その受益者について

 前回、私たちは「なろうテンプレ」について、暫定的な定義を確立するに至りました。もう一度おさらいすると、「なろうテンプレ」とは「『異世界』、『チート』そして『ハーレム』といった要素を特徴として持つ『小説家になろう』独自の物語構造」と定義されます。

 この定義の含意について、補足的に説明したいと思います。「『小説家になろう』独自の物語構造」という定義は、様々なジャンルの作品が、様々な物語構造(この場合は、もっと広く「ジャンルの決まりごと」)を持つと考えられる中で、「なろうテンプレ」という枠に組み込まれるだろう作品については「異世界」、「チート」そして「ハーレム」などといった特徴に制約されている、ということを示しています。

 要するに、”9”や”22”といった個々の数字が「自然数」というカテゴリーに含まれるように、“なろうテンプレ”という物語のあり方が、「物語構造」というカテゴリーに含まれている、ということを意味しています。

 定義についての補足が完了したところで、本題に入りましょう。今回検討する問題は、「なぜ『なろうテンプレ』が利用されるのか」という問題です。

 前回確認したとおり、「異世界」、「チート」そして「ハーレム」といった“テンプレの中身を規定する”キーワードは、多くの作品が含んでいます。ところが肝心の「テンプレ」というキーワードで検索できる作品は、相対的に少ないのが現状です。書き手側の心理にまで踏み込むことはできませんが、「異世界」、「チート」そして「ハーレム」というキーワードを設定するよりも、「テンプレ」というキーワードを設定することの方が、不都合が多いのではないかと推測されます。

 この不都合の理由として、おもに二つのことが考えられるでしょう。第一に、「『テンプレ』が何であるのか、書き手自身がよく分かっていない」という理由です。それは、「なろうテンプレ」という物語構造が、物語全般を貫くほどの体系を獲得していない、というところに原因があります。物語の序盤、主人公と登場人物が揃い、世界観が提示され、目標が決定されるところまでならば、「なろうテンプレ」が通用します。しかし、物語がいかにして終わるのか、というところについては、「なろうテンプレ」は何も教えてくれません。書き手側は、序盤以降から出現する物語構造の間隙を、自身の想像力で埋めなくてはなりません。

 「自身の想像力で埋めなくてはなりません」と否定的に書きましたが、これは要するに「創造性を発揮する」ということですから、創作の場面ではむしろ良いことです。しかし曲がりなりにも「なろうテンプレ」に従って執筆を続けてきた書き手にとっては、いささか不都合です。というのも「『なろうテンプレ』の何たるかがよく分かっていない」ということは、とりもなおさず「『なろうテンプレ』がカヴァーする範囲が、どこからどこまでなのかすら分からない」ということをも意味しているからです。

 書き手側は序盤で「なろうテンプレ」が終わるものと思っていたのに、読み手側がそうは思っていなかったらどうでしょうか。中盤から書き手が差し挟んできた「独自展開」に嫌気がさして、そのような作品から離れていってしまうおそれは十分にあります。多少なりとも読者が離れていってしまうことを織り込み済みだったとしても、書き手の想像力が空隙を埋め切れなければ、作品としては行き詰ります。

 第二に「『テンプレ』という言葉を使うと、イメージが悪い」という理由が上げられます。「『イメージの悪さ』の原因はどこに由来するのか」を確かめるのもこのエッセイの目的ですから、いまこのような形で提示するのは、やや倒錯した印象を読者の皆さまに与えるかもしれません。しかし、このような理由を提示しないかぎり、「なぜ『テンプレ』というキーワードで検索可能な作品が、『異世界』、『チート』そして『ハーレム』といったキーワードで検索可能な作品よりも相対的に少ないのか」ということは、うまく説明できません。

 このような理由を提示してみると、「テンプレ」に頼るよりも、「テンプレ」を利用せずに書いたほうが、書き手側としては利益が大きいように考えられます。にもかかわらず、どうして「なろうテンプレ」は多くの書き手によって利用されるのでしょうか。

 この問題を解く手掛かりは、先ほど提示した「第一の不都合の理由」の中に隠されています。「不都合なこと」の裏には、往々にして「好都合なこと」が隠れています。「なろうテンプレ」が役割を果たすのは、物語の序盤だけです。裏を返せば、物語の序盤を作ることにおいて、「なろうテンプレ」は相応の効果を発揮するわけです。

 ただ言葉を裏返しただけのように聞こえるかもしれませんが、この言葉の重要性はいくら強調してもしすぎることはないでしょう。物語の序盤、冒頭部というものは、読み手にとっては最大の「つまずきの石」です。「小説を読もう」とページをめくった瞬間から、読み手は「主人公は誰か」、「主要登場人物は誰か」、「世界観はどうなっているのか」、「物語の目的は何か」そして「自分はこの物語を読むことで何が得られるのか(自分にとって面白いのか)」という数々の疑問に晒されるためです。

 もっとも、このような疑問のいくつかは、市場に出回っている小説においては矮小化されます。出版社のレーベルが【創元推理文庫】や【ハヤカワSF文庫】ならば、作品の中身がどのようなものかはある程度分かります。表紙をめくって作者の来歴を確かめれば、その人がこれまでにどのような傾向の小説を書いていたのか、そして今手にしている小説はどのような傾向を持った作品なのか、ある程度推測することができます。そして何より、書店に並んでいる本はそれなりの手続きを踏んで書店に並んでいるわけですから、面白さがある程度保証されているわけです。

 「小説家になろう」で分かることといえば、タイトルと、タグと、あらすじと、作者についてのちょっとした情報だけです。もちろんそれだけでも分かることは沢山ありますが、「今自分が読もうと思っている小説は、本当に自分にとって面白い小説なのか」を、たったそれだけの情報から見切ることは至難のわざです。作者の力量も分からなければ、作者の作風も分かりません。「小説家になろう」に投稿されている作品が持つ「つまずきの石」は、書き手が考えている以上に固く、鋭利なものです。

 そこで「なろうテンプレ」が威力を発揮するわけです。「なろうテンプレ」を利用すれば、書き手が主要登場人物・世界観・物語の方向性を伝えるのは容易になります。書き手の負担は大幅に減るわけです。負担が減るのは読み手も同じです。作者の素性・力量については当面の間分からないにしても、少なくとも作品の展開に関して言えば、ある程度先まで見通せるようになるためです。

 特にその威力は、自由度の高いファンタジージャンルで顕著に発揮されます。このことは、多くのユーザーの方々にとって直観的に明らかかもしれませんが、少し補足しましょう。たとえば「歴史」というジャンルは、一般の読者にとってもなじみ深いため、書き手も読み手も一定のルールの下でストーリーを解釈することができます。「織田信長」が主人公だった場合、結末は「本能寺の変」で迎えることになるだろう、というように。「推理」ジャンルも同じです。書き手がレトリックでも弄しない限り、被害者が出現するよりも前に、犯人が逮捕されることはありえません。

 このように、大半のジャンルにおいては、それを規定するルールが内在しています。ところが「ファンタジー」ジャンルにおいてはそれが存在しません。一口に「剣と魔法」/「勇者と魔王」のファンタジーであるといっても、読んで見ないかぎり方向性は掴みきれません。言い換えれば、ファンタジージャンルにおいては、書き手と読み手との間で共通して認識できるルールが存在しないのです。

 それゆえ、情報の非対称性が、書き手と読み手との間に重くのしかかってくることとなります。「勇者が仲間と共に、魔王とその郎党とを討ち果たし、世界を救う」という筋書きのストーリーであっても、ルールが存在しない以上、書き手の書き方は千差万別です。主人公は異世界の住民でも、地球からの転生者でも構いませんし、魔法という設定は有ってもなくても構いません。救われる世界が地球を指すのか異世界を指すのかも分かりません。要するに、書ける内容のすべてを、書き手はファンタジージャンルの中で書くことが可能なのです。

 しかし、読み手の側はそんな書き手の振る舞いについていくのには、著しい困難が伴います。展開を追う最中でも、読み手は「なぜ?」を問うことで、テキストから情報を引き出そうとします。

 主人公を例にとって質問を考えるだけでも、質問しうる内容は多岐に渡ります。

「なぜ、主人公は地球から転生したのか? 『異世界に迷い込んできた』という設定や、あるいは『異世界の住人だった』という設定ではどうしてダメなのか?」

「なぜ、主人公は魔王と対峙する必要性があるのか?」

「なぜ、主人公は魔法が使えるのか?」

 等、挙げれば際限がありません。そして「なぜ?」という疑問が積み重なることほど、読み手にとって大きな負担はありません。質問の山がうずたかく肩の上にのしかかり、それに押しつぶされそうになった段階で、読み手はその作品を読むことをやめてしまうでしょう。

 このように考えてみると、「なろうテンプレ」がそれなりに流行していることの理由は、おのずから明らかになってくると思います。要するに「なろうテンプレ」とは、「何でもあり」のファンタジージャンルにおいて、書き手と読み手の双方に資する便宜上の規範なのです。

 「なぜ『なろうテンプレ』が利用されるのか」という当初の問いに答えるならば、およそ次のような答え方となるでしょう。「なろうテンプレ」を利用する理由は、書き手が序盤を書きやすくするためであり、読み手が敷居をまたぎ、容易に作品内の世界へと入り込めるようにするためなのです。そのような点で「なろうテンプレ」を眺めてみれば、それは書き手と読み手とを繋ぐ枠のようなものであると考えることができるでしょう。

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