「天賦型」が避けなくてはならない重大な危険性とは何でしょうか? ここから先の話はかなり抽象的になってしまうので、テレポーテーションを例にとって考えてみたいと思います。
ここではテレポーテーションを「超自然的な力を使って、別の場所へと瞬間移動する」という魔術だと設定しておきます。あるいは「テレポーテーション」という言葉を使わずに「ワープ」などと言っても良いかもしれません。
このようなテレポーテーションの魔術を、設定上、どのように説明すればよいでしょうか。ありがちな説明としては、
「現実の世界は三次元である。テレポーテーションはn次元(n>3)の世界へいったん飛び立った後、再び三次元の世界へ戻ってくることなのだ」
などという説明をするかもしれません。
三次元の世界では、地点Aは三つの座標(x,y,z)から表せます。これがn次元(ここではn=4とします)に移行すると、地点Aは四つの座標(x,y,z,0)から表されることになります。そこで0にあたる部分の座標を経由することにより、瞬間的に地点Aから別の地点Bまで到達することができる――このような考え方のもとでテレポーテーションを説明しようとする人が多いのではないでしょうか。
ですが、ここで注目してほしいことが一つあります。この考え方の中では「次元」=「空間の点を指定する自由度の数」と捉えられていることです(三次元ならば、座標は三個、というように)。
この「次元」の定義は正しいのでしょうか? 実は、この考え方は十九世紀から二十世紀にかけての複雑系科学の発達と共に覆ってしまったのです。
覆した張本人は、ペアノという人物でした。彼は直線(一次元)を折りたたむことによって、なんと平面(二次元)を作り出せることを明らかにしてしまったのです(ペアノ曲線)。
一次元から二次元が作り出せてしまう以上、次元を「座標の数」と考えることは不可能になってしまいます。そうすると、テレポーテーションを成り立たせていた理論武装が決壊してしまうおそれがあるのです。
この章で用いられているペアノ曲線は、あくまで「こんなこともあるのだよ」という事象の一例として提示したものです。したがって数理学的厳密性にはかなり乏しいものであるため、読み手で、それも数理に詳しくない方は「ああ、こんなこともあるんだなァ」ぐらいの気持ち、話半分の気持ちでお読みください。
詳しい説明は、レスト様から感想ページにて痛烈なご指摘を頂きました。広く誤解を招いてしまった責任は筆者にあります。なにとぞ、下に抜粋したレスト様の指摘を参照ください。
・「次元は座標で考えられない」と書かれているが、そんなことはない。
――レスト様からの感想の要約――
・引き合いに出しているペアノの曲線は、「我々が通常考える曲線というものはどう定めるべきなのか」という話に端を発する。
・ペアノは、それまでの単純な曲線の定義に従うことにより、あえて病的な例としてペアノ曲線を示すことで、それまでの素朴な曲線の定義を批判した。
・次元そのものの通常の定義は、普通に「座標の数」で全く問題がない。
・整数じゃない次元(フラクタル図形)なども定義されるが、これも「そうなることがあるよ」ということを示しただけのものである。