2.魔術の職能性と、「魔術ギルド」の可能性、そして魔術師

 まずは「魔術」という言葉について考えてみましょう。

 注目してほしいのは、「魔術」の“術”という文字が持つ意味についてです。元々、”術”という漢字は、整然と並ぶトウモロコシの様子を象形した漢字であり、そこから整然とある行為を継続させていく為の、「みち」、「てだて」などの意味を持つようになった、とのことです(https://okjiten.jp/kanji780.html、2019年7月13日アクセス)。

 例えば、「芸術」という言葉は、「芸を行うための手立て」という意味であると解することができます。このことから、「魔法」や「魔道」などの言葉と比較した場合、「魔術」の言葉は、

「超自然的なパワーを用いるための手立て」

 と解することができるでしょう。

 さて、「魔術」は「超自然的なパワーを用いるための手立て」であるということを手掛かりとして、私たちはこの言葉の使い方に関し、ある一定の推測を立てることができます。

 それは、例えば「魔術学校」という言葉について考えてみた場合、その学校内で主に教授されることは「超自然的なパワーを用いるための技術」についてのみであり、私たち(このエッセイでは、頻繁に「私たち」という主語を用いますが、原則として、和製ファンタジーを読み書きする一般的な日本人を前提としています)がイメージとして描く「学校」とは、少し異なるものになるのではないでしょうか。なぜなら、私たちが「学校」教育の中で学ぶことは、必ずしも全ての内容が「術(手立て)」に該当するわけではないためです。

 そうである以上、和製ファンタジーの書き手である大多数の人間(おそらく日本人)にとって、「魔術学校」という概念は、必然的に余りなじまない概念になるのではないでしょうか。

 では、「魔術」を習うのに相応しい環境とは、いったいどのようなものでしょうか。「魔術」が技能の一環であるとするならば、それを学ぶのに最も相応しい場所はやはり「工房」、もしくは「ギルド(職能集団)」なのではないかと考えます。魔術師見習いはそこで自分の親方魔術師に徒弟奉公をすることにより、一人前になっていく――と、このような制度が考えられます。

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