『トレイン』

私たち家族が住んでいたマンションの隣の号室には、ヤマグチ ツトム君という名前の男の子がいた。――ギャグだと思わず、辛抱して聞いてほしい。本当にそういう名前の男の子がいたのだから。

 何の因果かは分からないが、私も隣のツトム君も、生まれた年度がたまたま同じだった。なので家族ぐるみでの付き合いが私たち家族と山口家との間に生まれ、あるときまではそれなりに良好な関係を築いていた。

 転機が訪れたのは、私とツトム君とが幼稚園の年長組になった頃のことである。その頃のツトム君は、町の中でもひときわ聡明な子供として、既にママさん同士のネットワークの中で有名だった。ツトム君は俗に「神童」と呼ばれる類いの子供だったのだ。後で母から聞いた話によれば、他の子供が数字を10まで数えられるか数えられないかという中、ツトム君だけはすらすらと100、200、あるいは1000まで数字を数えられたという。

 幼稚園時代のツトム君の武勇伝を挙げれば枚挙に暇がないが、そのようなツトム君の神童っぷりを一番得意がっていたのはツトム君のお母さんだった。半ば天狗と化した彼女は、私の母親の前で、

「ホント、トンビがタカを生むってのはこういうことなのねー」

 と、寝言のようなことを言ってのけたそうである(そのとき私もいたはずなのだが、正直のところよく覚えていない。ただ当日、私の母が何とも言えない笑みを浮かべていたことだけは私も覚えている)。

 私の記憶が曖昧なのは、幼稚園児にとって「頭が良い/悪い」などということは、些末な問題にすぎないからである。「百ます計算をものの数分で解いた」とか、「英会話学校に通っている」といった類いのことは、個性の一部ではあるものの、幼稚園児界においては何のステータスにもならない。むしろお遊戯会で一位を獲ったとか、犬の大便を鷲掴みにして野良猫に投げつけたとか、蟻の巣に熱湯を流し込んだとかの些末な出来事の方が、よっぽど尊敬されるのだ。

 その一件以来、私の母は山口家との交流を煙たがるようになっていたが、そんな大人の事情などつゆとも知らない私は、相変わらずツトム君とよく遊んでいた。ツトム君は特に電車ごっこが大好きで、お昼寝の時間の前まではずっと、私も含めた友だちと一緒に、

「しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ――」

 と言いながら、園内を駆け巡っていた(バカにされることを承知であえて言うならば、この頃が私にとってぶっちぎりで楽しい時代だった。もし昔に戻れるのだとするならば、私は喜んですべてを投げ出し、ツトム君の後頭部を眺めながら「しゅっぽ、しゅっぽ――」と言うだろう)。

 さて、三度の飯よりも電車ごっこが好きなツトム君だったが、やがてそうも言っていられなくなった。ツトム君の将来を嘱望したお母さんが、ツトム君をエリートに育て上げるべく、彼に小学校受験を強いたためである。お母さん思いだったツトム君は、幼稚園が終わるとさっさと帰宅し、私には見当もつかないようなエリート問題と格闘するようになった。

 とはいえ、ツトム君もだてに「ツトム君」として名を馳せていたわけではない。受験では見事な成功をおさめ、ツトム君は都心にあるエリート小学校に入学することが可能になった。

 ツトム君の姿をまともに捉えることができたのは、卒園式が最後だった。それきりツトム君は、より都心へ近い集合住宅へ引っ越してしまったからである。本当は卒園式のときに、もうちょっとだけツトム君と話をしたかったのだが、お調子者で有名なスズキ君が卒園式の終わりに朝食のシチューを盛大にゲロったせいで、式の進行そのものがうやむやになってしまい、結局ツトム君と話す機会はそれが最後になってしまった。

 ツトム君が引っ越した後も、私の日常は滞りなく進んでいった。小学校に上がり、中学校に上がった頃には、薄情なはなしだが、私の記憶の中でツトム君の存在は次第に影を潜めていった。中学で吹奏楽部に入部した私は、クラリネットの演奏にハマり、三年生のときには県大会で金賞を獲った。十月からは本格的に受験勉強をはじめ、ほとんど無我夢中で勉強した結果、何とか県内でも上位の市立高校に合格することができた。

 合格を中学の担任に報告し、そのままお世話になった塾まで挨拶に行く道すがら、喜びに弾んでいた私の脳裡に、ふとツトム君と過ごした日々がよみがえってきた。ツトム君はあのあとどうなったのだろうか? 彼のことだから、上手くやっているに違いない。どこかの名門進学校か、あるいは大学の付属校にでも入って、私なんかよりも要領よく青春を謳歌しているに違いない――と、そのときはそんなふうに考えていた。

 ただそのときは、それ以上深く考えなかった。私がツトム君のその後について聞いたのは、高校二年生の秋になってからのことだった。ある夜、私はふとツトム君について母に尋ねてみたのだ。

「ねぇお母さん、山口勉君って子いたじゃない? あの子って今どうしているんだろうね?」

 私の言葉を聞くやいなや、アイロンをかけていた母の手がぴたりと止まった。何か思いがけないことを聞くと、母はぴたりと動作を止めるのである。

「ツトム君のこと? 知りたいの?」

 なんだかイヤな予感がしたが、私は構わず母に続きを促した。

 母の話をかいつまんで説明すると、およそこういうことになる。――エリート小学校に入学したツトム君は、低学年の内は同級生に恵まれ、幸せな人生を送っていたそうである。ところが高学年に上がるにつれ、ツトム君は次第にしんどい状況に追い込まれていったという。要するにツトム君は神童だったものの、結局のところ「神童」以上の何者かにはなれなかったのだ。

 しかしツトム君のお母さんは、そうしたツトム君の本質を見破ることができなかった(凡人のなせる技である)。そしてあろうことか、ツトム君に更なる高みを目指させたのである。小学校五、六年生に上がったツトム君は、毎晩夜遅くまで塾で缶詰になって勉強させられたという。ツトム君の心境がいかばかりだったのかは私には分からないが、ほとんど血の滲むような努力を強制させられたそうだ(風の噂で母が聞いたところによると、ツトム君はストレスで度々全身にじんましんができたという)。

 そこまでして掴むことのできた報酬とはいかなるものか? ツトム君は何とか中高一貫の進学校へもぐりこむことができたものの、もはやこのときには完全にメッキが剥がれ落ちていた。一年生の段階で惨憺たる成績を叩き出した結果、ツトム君の成績は下から数えて七番目程という体たらくに陥っていた(ちなみに最下位の六人は、その年度のうちに公立中学へ編入させられたという)。

 ツトム君の母親は息子を塾に通わせて何とかしようと思ったものの、ツトム君にはもうほとんど根気が残っていなかった。原因不明の頭痛に悩まされるようになり、学校では肩身の狭い思いをし、家では母親のヒステリーに追い詰められ、塾では多量の宿題に退路を絶たれていたわけである。

 そんなツトム君を待っていたのは破滅だった。参観日の英語の授業中、ツトム君は突然立ち上がって奇行にはしったのだという。クラスは騒然となり、授業は一時中断となった。ツトム君と、ツトム君のお母さんとは保健室まで運ばれていったという(ちなみにツトム君が錯乱してぶっ倒れる前に、ツトム君のお母さんが錯乱してぶっ倒れたというのだから、運命というのは酷にできているものだ)。

 そのあとツトム君は結局公立中学へ編入したが、不登校になってしまったそうだ。それ以降の情報は、母の耳にも入ってこなかった。引っ越した後も山口家と付き合っていた家族が何件かあったのだが、山口家から発信される情報(年賀状など)は、ツトム君の奇行以来ぱたりと止んでしまったのだという。

「奇行って、ツトム君は何をやったの?」

 話を聞き終えたあと、私は気になって母に尋ねてみた。

「それがね、席を立ち上がるなり、突然『しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ――』って言って、教室内をうろつき始めたそうよ。それこそ、キツネか何かに取り憑かれたように、ですって」

――……

 ツトム君はエリートのレールから外れてしまった可哀想なヤツだ。一度でもレールを踏み外してしまえば、もうまともな人生を送る夢は叶わないだろう。

 思うに、人生とは鉄道のレールみたいなものではないだろうか。その道を忠実に進むことが求められるのみで、ふとした弾みに脱線したり、あるいは後ろへ戻ったりすることを許さないのだから。









 なんて考えを抱き、したり顔をしている馬鹿野郎がいるかもしれない。









 だが、そんなのは間違いだ。私はその考えを「間違いだ」と胸を張って言える(いや、あえて小声で言おうか)。

 母の言葉を聞いたとき、私はどのような表情をしていたのか。――実は私は、このとき笑っていたのだ。もちろんあざ笑っていたわけじゃない。私はこのとき、心底ほっとしたことを今でも覚えている。何だ。ツトム君は相変わらずのツトム君じゃないか、と。

 ツトム君のそれまで人生を「敗北だ」と言う奴は、ツトム君以上に人生で敗北を喫していると私は思う。ツトム君はレールから外れてしまったわけではない。ただ童心に還っただけなのだ。ツトム君自身の原初に立ち返っただけなのである。始まりさえはっきりしていれば、終わりを見つけるのは楽勝である。あとは終わりを自分勝手に決めながら、自由自在に大地を踏み抜いてゆけばいいのだから。

 ツトム君の人生を「敗北」呼ばわりするのならば、どのような人生をもって人は「勝利だよ」と言うのだろうか? そんなものは私には分からないし、世界の誰もそんなこと分かりっこないに決まっているし、そんなことが分かっても、私は何一つ嬉しくも、羨ましくも感じない。そのような人たちは、ツトム君が常に自分の人生に寄り添っているという、一番大事なことを見落としている。彼らは見るべきものをあえて無視して、人生をレールに例え、しょうもない人生の終着駅に到着するのだ。

 そしてきっと目撃するのだろう、自分の列車からツトム君が降り立つのを。

 呆気に取られているそんな「エリート」どもを見据え、颯爽と改札を抜けながら、ツトム君がこのように言うだろうことは、私には容易に想像がつく。

「ほら、人間はこうしたやり方だって、ちゃんと生きていくことができるんだよ」

 と。

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