『春の良き日に』

「皆さん、私は就活に失敗しました! なのでこの場で出家して、私と同じように就活に失敗した新卒の菩提を弔いたいと思います!」

 頭にくるぐらい心地よい春のよき日に、内回りの山手線の電車の中で、突如として男が絶叫した。男はスーツの胸ポケットからバリカンを取り出すと、そのまま自分の髪の毛を剃り始める。

「うおおおおおお!!!」

「キャーッ!!!」

 女性陣が悲鳴を上げた。三号車はまさしく地獄絵図である。男が半分くらい五厘になった段階で、電車は御徒町駅に到着する。ドアが開くやいなや駅員が殺到し、男は取り押さえられた。

 しかし私は思うのだ、出家というものは、春みたいなものではないだろうか、と。剃髪している最中の人の心地というものは、すべての雑念から解放されるので、春のようにうららかなはずだからだ。

 しかし、世界は春だけで成り立たない。人としての生を謳歌するには、幾多の季節を乗り越えるだけの覚悟が必要だ。ちょうど出家しただけでは、事態が何一つ解決しないのと同じように。

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