『ファンナオ』

 姉のコーデが出かけている間に、偶然その部屋へと入ったことが、彼女を殺すきっかけになった、とヌビアは語っている。入ってすぐにヌビアの目を釘づけにしたのは、机の上に置いてあるピストルだった。

 コーデは、誰かが自分の部屋に入ることを禁止していた。他人がちょっとでも部屋に入るそぶりを見せようものなら、たとえその他人が妹のヌビアであったとしても、怒りをあらわにし、容赦なくその人につかみかかったりしたという。

 しかしながら、そんな双子の姉のことを、ヌビアは特にとがめるつもりもなかったという。妹のヌビアがおとなしく、ともすれば引っ込み思案な印象を他人に与える一方で、姉のコーデは気性が激しく、控えめに言っても気分屋な性格だった。とはいえ、姉の攻撃的な性格が先天的なものではないことを知っているのも、ほかならぬヌビアだけだった。コーデは、生まれて間もないころ患った小児マヒのために、常に車いすでの生活を強いられていた。もともと自尊心のつよい性格であったがために、「誰かに頼らないと生きていけない」という現実は、コーデの心を深くえぐった。だからこそ、コーデは他人に対して攻撃的だったのではないか――とヌビアは語っている。

 いずれにしてもそのとき、ヌビアは現実を受け止めることができず、黒い布に包まれたピストルを握りしめ、ただ呆然としていたという。だから

「ヌビア……そこで何してるの?!」

 というコーデの声が背後からしたとき、ヌビアは自分の心臓がつぶれてしまうのではないかというほどの恐怖を味わったという。ヌビアの気づかないうちに、コーデは家へと戻っていたのだ。

「どうして――どうして私の部屋にいるのよ?!」

「コーデ……このピストルは本物なの?」

 ヌビアは、コーデにそう尋ねたという。車いすの両輪を握りしめている姉の指が震えていることが、妙に記憶に残っている、とヌビアは語っている。

 実はこのとき、ヌビアは

「コーデ……このピストルはどこで手に入れたの?」

 と尋ねようとしたのだが、それはできなかったという。それは――ファンナオ――が邪魔したためだとヌビアは説明しているが、肝心のファンナオとは何なのかについて、ヌビアは明らかにしてくれない。

 ところで、差し出されたピストルを見ると、コーデは目を細め、それからうなだれた、とヌビアは語っている。永遠とも思えるような長い沈黙の後、コーデは唐突に

「殺したい奴がいるのよ」

 と、ヌビアに告げたという。

「殺したい奴?」

「そうよ」

 コーデは、それ以上は言わなかった。ただしヌビアは、姉が誰を殺したがっているのか、おおよその見当はついたという。なぜ見当がついたかといえば、それは――ファンナオ――がそのようにしむけたからだということだが、そもそもファンナオとは何なのかについて、ヌビアは明らかにしてくれない。ところでコーデは細い腕で車いすを漕ぎ、ヌビアのもとまで近づくと、

「黙っておいてちょうだい」

 とだけ言い、ピストルをヌビアの手の上から鷲掴みにしたという。姉の握力は万力のように堅かったために、口ごたえする勇気もなくなってしまい、自分はただうなずくしかなかった、とヌビアは告白している。

 その夜、なぜか眠れないでいたヌビアの耳に、車いすの車輪がきしむ鈍い音が響いてきたという。強烈な胸騒ぎに襲われたヌビアは、ベットを抜け出すと、自分の部屋を出て、音が遠ざかっていった方向、要するにリビングまで近づいたという。

 リビングでは、コーデが車いすの背もたれに背を預けながら、誰かに電話をかけていたという。程なくしてヌビアは、コーデの電話の相手が警察であることに気づいたという。

「私の妹のことです――そうです――銃を持っていて――自分の部屋に――このことは内緒で――」

 ここに来てヌビアは、自分が姉にだまされていることに気づいたという。ピストルの所持者に仕立て上げられてしまってはたまらない。なんとしてでも、自らの無実を明らかにしなくてはならない、と、ヌビアはそう考えたという。

 しかしどうして、コーデは妹のヌビアをだます必要があったのか。これについてヌビアは、それは――ファンナオ――がそのように仕向けたからだと語っているが、肝心のファンナオとは何かについて、ヌビアは明らかにしてくれない。

 ところで、窮地に陥ったヌビアの脳裏に、真っ先に思い浮かんだのが、コーデの主治医をしているミシガーという男性に助けを求めることだった。ミシガーはコーデの主治医であり、良き理解者であり、しかし良き理解者であるがゆえに、コーデの敵であった。コーデの「殺したい奴」とはミシガーのことであると、ヌビアはそう考えていたという。

 自分の部屋へ戻り、そっと服を着替えると、ヌビアはそのまま、窓から外へ抜け出したと語っている。そのときヌビアは裸足だったが、すぐに軒先にあるサンダルを履いて、そのままミシガーの家へと向かったという。

 ミシガーの家は、ヌビアの住む家から、せいぜい三ブロックほどしか離れていなかった。しかしながら、ミシガーの家は町の外れに位置していたがために、夜になるとサバンナからさまよい出たハイエナがたむろしているせいで、うかつに近づけないこともあった。ところが、この日だけはハイエナの姿も見えなかったため、ヌビアは穴の開いたフェンスをかいくぐりながら、ミシガー家の裏庭まで無事にたどり着けたという。

 真夜中だったにもかかわらず、ミシガーの家には明かりがついていた、とヌビアは語っている。ヌビアがドアベルを鳴らすと、ミシガーはすぐに出てきたという。

「ヌビアじゃないか、こんな真夜中に、どうしたんだ?」

「ミシガー、助けて! コーデに殺される!」

「コーデに?」

 ヌビアはそのとき、一部始終をミシガーに語ったという。意外にもミシガーは、ヌビアの言葉を荒唐無稽とは捉えず、真剣に取り合ってくれたという。

「実はさっき――」

 と、ミシガーはヌビアに告げる。

「コーデから連絡があったんだ」

「コーデから?」

「『ヌビアが銃を持ってあなたのところへ行くかもしれないから、はやく逃げて』って言ってたんだ。でもキミは銃を持っていないから、コーデの言っていることは嘘なんだ」

 自宅にヌビアを招き入れると、ヌビアをソファに座らせてから、ミシガーは告げたという。

「僕にいい考えがある。キミはピストルそのものを手に取ったわけじゃない。せいぜい布と一緒に持ち上げたくらいだ。となるととうぜん、ピストルにはコーデの指紋しかついていない。だからその指紋を発見すればいい」

「でも、どうやって――」

「指紋をとるのは簡単だ」

 ミシガーは台所の戸棚から、ベビーパウダーを取り出した。

「これを使うのさ。ベビーパウダーは粒子が細かいから、指紋くらいなら簡単にこびりつく。指紋が見つかったら写真を撮って、すぐに僕にメールで送信するんだ。あとはそれを警察に届ければいい。問題はどうやってコーデのピストルまで近づくか、だ」

「それは任せてください」

 ミシガーのアイデアに勇気づけられ、ヌビアはそう言ったという。

「ミシガーさんはここに残って、コーデの注意を引きつけてください。その間に私は家へ戻って、コーデの指紋を見つけます」

「よし、分かった」

 ミシガーからベビーパウダーを受け取ると、ヌビアはすぐに自分の家へと引き返した。引き返す途中で、ヌビアは何台ものパトカーを目撃した。見つかってしまっては大変だと、ヌビアは玄関の反対側へと周りこみ、枯れたバオバブの木を伝って屋根に上がると、屋根裏部屋の窓をたたき割り、自分の家へ入り込んだという。

 奇妙なことに、家はもぬけの殻だった、とヌビアは語っている。それは――ファンナオ――がそのように仕向けたからだというが、肝心のファンナオとは何なのかについて、ヌビアは明らかにしてくれない。ところでヌビアはコーデの部屋に侵入すると、ピストルにベビーパウダーをまぶし、指紋を見つけようとしたという。はたしてヌビアの思惑通り、ピストルからは複数のコーデの指紋が見つかった。

 それをカメラに収めると、ヌビアはただちに画像をミシガーにメールした。ミシガーからの返信はなかったものの、身の危険を感じていたヌビアは、再びミシガーのところへもどることにした。

 ミシガーのもとへ向かう道すがら、何台ものパトカーと救急車のサイレンが、自分の向かう方向から聞こえてくることにヌビアは気づいた。そして、あいかわらずミシガーからの返信はなかった。そのときヌビアは、ミシガーの家の前に複数のパトカーが停車し、一台の救急車に血まみれになったミシガーが運ばれているのを目撃したという。

 自分が家で指紋を採取している間、コーデは先回りしてミシガーのもとへ向かい、かれを刺し殺したのだろうと、ヌビアは語っている。いったいどのようにして、コーデはミシガーのところへ先回りできたというのだろう? それは――ファンナオ――がそのように仕向けたからだとヌビアは語っているが、肝心のファンナオとは何なのかについて、ヌビアは明らかにしてくれない。ところでヌビアはミシガーの家へ向かうのをあきらめ、自分の家へと戻ったという。

 このときヌビアは、きっとコーデは偽りの主張を続けるだろうから、なんとしてでもコーデを止めなくてはならない、と考えたという。

 だからコーデの部屋に忍び込むと、ヌビアはそっとピストルを構え、息をひそめた。程なくして、コーデは警察に伴われて帰ってきた。コーデの言っていることは支離滅裂で、警察もコーデには手を焼いているようだった。

 扉を開くと、ヌビアはリビングまで近づいた。そして車いすに背を預けているコーデの後頭部に照準を合わせ、ヌビアは引き金を引いたという。銃声。ヌビアはコーデを銃殺した。

 以上が、ミシガー・ワヤル氏を殺害したコーデ・アリウ氏の供述である。コーデ・アリウ氏は、地元でも呪術師として有名であり、幼いときに罹患した小児マヒが原因で、車いすでの生活を余儀なくされている。

 なお、供述内に登場するヌビアという人物については、その所在が明らかになっていない。これには理由がある。地元の病院では、アリウ氏の出生記録が残っており、生まれたときには双子であったものの、看護師が誤って双子のうちの一人を産湯で溺死させてしまったという。双子の名前はそれぞれコーデ及びヌビアであったが、看護師も母親も、はたして死んでしまったのがコーデなのかヌビアなのか、それとも生きているのがコーデなのかヌビアなのか分からない、と証言している。

 このことについてアリウ氏に尋ねてみたが、アリウ氏から具体的な返答はなかった。いや、もしかしたらアリウ氏は答えてくれたのかもしれないが、それを私が聞き取れなかっただけかもしれない。それは――ファンナオ――がそのように仕向けたからなのかもしれないが、肝心のファンナオとは何なのかについては、けっきょく明らかになってはいない。

▶ 次の短編…『春の良き日に』

▶ 前の短編…『スキーマ』

▶ 短編小説一覧に戻る

▶ ホームに戻る

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする