『スキーマ』

 大学のゼミの教授が○ァミマでからあげを万引きして逮捕されたため、僕の所属するゼミは開店休業となった。就活は無事に終わり、単位は全部揃えてあるため、来年の卒業式まで僕はヒマになったわけである。

「あぁーセッ○スしてぇなぁー」

 僕はそんなことを口走りながら、新宿発池袋行きのバスへ乗車した。池袋の本屋にちょっとした用事があったためである。

 座席に座った僕は、窓の棧に右腕を預け、外の様子を眺めていた。

 さて、発車である。

 バスは新宿を抜け、

 首都高速四号線を抜け、

 高井戸を通って

 中央自動車道へ乗り出し、

 山梨へと向かっている。

 この富士山をごらんなさい。

(待て、おかしいぞ)

 僕は池袋の本屋に行きたかったのである。しかるに今、バスは遥か西にまで進んでしまっているのだ。

「おい、どうなっているんだ!」

 乗客の一人、頭の毛はないのに、鼻から毛が出ている、そんな乗客の一人が、運転手に向かってどなった。

 このどなり声を聞いたとき、僕は内心でほっとしていた。自分が血迷って、山梨行きのバスに誤乗車してしまった訳ではないと分かったからだ。

 乗客の声に対して、バスの運転手は鋭い視線を返した。そして、

「このバスはジャックされているんだ!」

 と口走った。

「はぁ、なに言っているんだ!」

 乗客が、更に声を張り上げた。髪の毛は無いのだが、きっと怒髪天を衝いているのだろう。

「このバスのどこにだって、お前を脅迫するような奴なんかいないぞ! さてはお前、ウチらのことをバスジャック犯扱いするつもりか?!」

「違う。このバスをバスジャックしているのは俺だ!」

「なんだと……!」

「そうだ。俺はバスの運転手であると同時に、バスジャックしたテロリストでもあるのだ。さぁ、分かったら大人しく席につくんだ。さもないと急にハンドルをきってバスを横転させてやるからな!」

 運転手の叫び声に怯んだのか、さすがの乗客も席に戻った。

 さて、ここで僕はあることを読者に伝えておかなくてはならない。

 それは、先程からどなっていたこの乗客が、実は女性である、という事実である。きっと「髪の毛がない」、「鼻毛が出ている」、「どなる」といった諸々の特徴から、読者の脳内でこの人物は男性として――それも中年の男性として――描かれていたはずだろう。

 しかし乗客はれっきとした女性で、ちょっと日本語が男勝りになってしまったがさつなロシア人の尼さんである。

 人間というのは想像力がたくましい生き物であるから、たとえば「医者」や「弁護士」などという単語を聞くと、どういうわけか男性をイメージしてしまったりするものである。

 しかし僕は思うのだ、人が獲得したこの「イメージ」というよく分からない代物が、人を喜ばせもすれば、人を苦しませもするのではないか、と。このノンストップバスの運転手も、得体の知れないロシア人の尼さんも、からあげを万引きして捕まったゼミの教授も、そして他ならぬ僕自身も、やろうとしていることは皆、イメージから逃げ出そうとしていることなのではないだろうか。バスの運転手が狂っていて、僕が狂っていないなどという保証は、世界のどこにだって存在しないのだから。

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