「か、か、金を出せえっ?!」
期末考査の終了した金曜日の午後、商店街の片隅にあるベンチで私が自瀆に耽っていると、付近からそんな素っ頓狂な声が聞こえてきた。そちらに目を向けてみれば、宝くじ売り場の軒先で、眼鏡をかけた、色白で、骨と皮ばかりの小男が、手にカッターナイフのようなものを持っていた。ニートである。
(ああ、ニートだ)
自瀆の手を休めて、私はそのニートにいつしか見入っていた。そのニートはおそらく、中学ぐらいで引きこもりになったきり、今日は十数年ぶりに娑婆に出てきたのだろう――もちろん、私は彼とは面識がない。しかし、彼の風貌が
「私はニートです。中学からいじめられて引きこもっていました。今日は十数年ぶりに外へ出たのです」
ということを物語っていた。要するに、顔だけは妙に老けているのに、気味が悪いほどあどけなく見える――。
(それにしても、)
と、私はアンニュイな気持ちになった。いかに常識がないニートとはいえ、宝くじ売り場に「金を出せ」などというのは、さすがにどうかと思う。小人閑居して不善をなす、しかし銀行を襲うだけの勇気はないから、銀行以外の店舗に目をつけたのだろうか。だとしたら、なぜよりによってこんな場末の商店街の、場末の宝くじ売り場に?
考えれば考えるだけやるせなくなってきた私は、いたたまれない気持ちになって、そっと視線を逸らした。”最大五千兆円! キャリーオーバー発生中!”と描かれた赤いのぼりの脇には、白いプラスチック製の植木鉢が据えられていた。
「か、か、金を出せえっ?!」
ニートが再び絶叫した。本人は大声を出しているつもりなのだろうが、声は裏返っており、単に聞き取りにくさだけが残るような声だった。それにしても、「出せぇっ?!」とは、なぜ自分で自分にクエスチョンマークのような言い方をするのだろうか。自分が強盗をやっていることについて、半信半疑なのだろうか。
ところがそのとき、恐るべき事態が起こった。商店街の鐘が、六時を知らせたのである。夕やけこやけの赤とんぼ……の物悲しいチャイムが、商店街全体に響きわたる。――それに合わせ、宝くじ売り場のシャッターも閉まり始めた。
ひょっとこみたいな顔をして硬直しているニートを尻目に、宝くじ売り場の窓口がひっそりと閉まっていく。窓口のお姉さんがニートを見つめているときの哀れみの表情に、私はしょうじき、きゅんとなった。
とうとう、宝くじ売り場のシャッターは完全に閉ざされてしまった。シャッターの閉まった宝くじ売り場の前で、カッターナイフを片手に逡巡するニートの姿は、気持ち悪さの見本市のようだった。だが、そんなニートにも終わりがやってくる。――自らの試みが、十数年ぶりの歪な社会との接触が失敗に終わったことを、彼はとうとう直観したのだ。
「あーあ、」
すごすごと帰っていくニートの背中を見送ると、私もそのまま鞄を背負い、帰路についた。帰り際、私は今の出来事を反芻していたのだが、そのときふと、宝くじ売り場の脇にある植木鉢に、いったい何の植物が植えられていたのかについて、自分自身が全く覚えていないことに気付いた。
思うに、ニートとは打ち捨てられた植木鉢の植物のようなものではないだろうか。良くも悪くもそれは社会の一部だが、それが存在していることにはあまり目がいかず、かといって無くなっていても誰も気付かない。――そんなことを考えているうちに、私はいつしか、ニートの顔さえも思い出せなくなっていることに気付いたのであった。