第41話:夢から覚めた君の声

「オルタンス!」

 白い鳩を抱きかかえたまま、エリジャはらせん階段を下って、倒れ伏している妹の下まで駆け寄った。

「オルタンス、しっかりして――」

 オルタンスの身体を抱き起こすと、エリジャはその頬を撫でた。オルタンスは三年前よりもすこしやつれていたが、それでもエリジャの大切な妹であることには変わりない。

「オルタンス、聞こえる――?」

「う……ん」

 エリジャの呼びかけに反応して、オルタンスが目を見開いた。声の主を捜し求めて泳いでいたオルタンスの瞳に、エリジャの姿が映った。

「あ……」

「分かる? 私よ。エリジャよ」

「ああ、お姉様……!」

 エリジャの肩に、オルタンスがしがみつき、その胸元に顔をうずめた。

「お姉様、わたし、ずっと……ずっと怖い夢を見ていたわ」

 次の瞬間、オルタンスは鋭い叫び声を上げた。

「オルタンス、どうしたの?! しっかりして!」

「いやっ――お姉様――わたし――」

 気息が尽きてしまったのか、オルタンスは肩を震わせて喘ぐ。

「わたし……わたし……サウルに騙されて……それで、あぁ、お姉様……」

「大丈夫よ、分かってるわ」

 妹の華奢な身体を、エリジャは力一杯抱きしめた。

「もう良いのよ。何も言わなくて良いの。だから笑って。ここから逃げましょう」

 涙を拭っているオルタンスを立たせると、エリジャは空いた左手に鳩を乗せ、塔の外へと出ようとする。

「う……っ?!」

 塔の扉を開けた瞬間、二人の身体は黒い煙に包まれた。涙をこらえて目を開けたエリジャは、煙に包まれた王都が、目と鼻の先まで迫っていることに気づく。

「お姉様、これは……?!」

「サウルがやったのよ。この王宮を空高く飛ばしたの」

 このままでは、王宮が王都を押しつぶしてしまう。そうなれば、エリジャたちはおろか、王都の人間たちも死に絶えてしまうだろう。

 そのとき、煙にひるむことなく、オルタンスがエリジャの一歩前に進み出た。

「オルタンス……?」

「お姉様……私は……もう私はむかしの弱かった私とは違います」

 オルタンスが両手を広げると、立ちこめていた煙が、まるで切り裂かれたかのように左右へと薙がれた。

「見ていてください――」

 そう言った次の瞬間、オルタンスの身体がまばゆい光に包み込まれた。

「オルタンス――!」

 光にのけぞりながらも、エリジャは妹を掴まえようと手を伸ばした。オルタンスの光はまばゆく、神々しい代わりに、暖かみを帯びていなかった。オルタンスの解き放った今の魔力は、本来ならば人間が持つべきではない力であることを、エリジャは瞬時に感じとった。

「オルタンス、待って――」

 だが、エリジャの声は、オルタンスまで届かなかった。周囲にはしった稲妻が、二人を引き離した。エリジャの周囲のすべてが輪郭を失い、そのまぶしさゆえにエリジャは目を閉じた。エリジャは踏ん張ろうと脚を泳がせたが、その脚が踏みしめる土台も、重力から解き放たれてしまっているかのようだった。

 エリジャの耳元で鳩の鳴き声が聞こえたかと思えば、その鳩がエリジャの腕を支えとして、空へと羽ばたく音がした。オルタンスの身体から解き放たれた渾身の魔力が、鳩に新たな生命力を与えたようだった。

 光が途絶え、辺りが静かになったので、エリジャは再び目を開けた。エリジャの周りにはがれきが散乱していたが、不思議なことに、エリジャには傷ひとつなかった。

「あ……」

 城壁の外に目を向けたエリジャは、そこで信じられない光景を目の当たりにする。王宮の落下は止まっていた。しかし、軟着陸したわけでもない。王宮は完全に、空中に静止していた。

「オルタンス……?!」

 前方に視線を戻したエリジャは、がれきの間に倒れ伏している妹を発見した。

「オルタンス、しっかりして?!」

「お姉様……フフフ……」

 エリジャを認めると、オルタンスはうっすらとほほ笑んでみせた。

「お姉様……私でも……私でも、役に立てることがあったんです……」

「オルタンス……そんな悲しいことを言わないで」

 無理に笑おうとしたエリジャだったが、自分の目からこぼれ落ちる涙を、エリジャはどうすることもできなかった。人の理を超えた魔力を解き放った代償として、オルタンスは自分の命までも焼き尽くしてしまったのだ。

「お姉様……私は……お姉様の妹で幸せでした……」

 エリジャの手を掴むと、オルタンスは涙をこぼした。

「次に生まれ変わっても……私は……お姉様の妹に……」

 オルタンスがそれ以上を言うことはできなかった。涙をこらえるエリジャの前で、オルタンスは永遠の眠りについた。

「私もよ、オルタンス。次に生まれ変わっても、私はあなたのそばにいるわ。約束する」

 妹の身体を抱きかかえ、エリジャはその身体に残ったぬくもりを、自分の肌に感じていた。

 目を閉じていたエリジャの耳に、外からの歓声が響いてくる。

(何だろう?)

 妹の身体を抱きしめたまま、エリジャは声のする方へと歩いて行く。通路を横切り、バルコニーへと躍り出た瞬間、歓声は最大になった。

「あ……」

「エリジャ姫だ――!」

「エリジャ様――!」

 王宮に押し寄せた何千という群衆たちが、みなエリジャに対して手を振っていた。

「エリジャ様、万歳!」

「万歳!」

 市民たちに紛れ、手を振っているロオジエの姿も垣間見れた。

 破壊し尽くされた王宮と、破壊し尽くされた王都の中で、市民たちの歓声は続く、それは、いまエリジャという名の少女が、王として蘇った瞬間でもあった――。

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