第40話:あなたを愛してる

 水中へと沈み込んでゆくかのような早さで、王宮は落下を続けていた。金の鍵を握りしめ、エリジャはやっとの思いで北東の塔までたどり着く。

「オルタンス!」

 扉を開けてすぐに、エリジャは塔の内部からえも言われぬ腐臭が漂ってくることに気づいた。

「これは……!」

 背後から差し込んでくる陽射しを受け、塔の床が照らされる。無数の鳥の死骸が、床には散乱していた。

「オルタンス――オルタンス――!」

 妹の名を口にしながら、エリジャは塔の中へと足を踏み入れる。頭上から聞こえてくる鳥の鳴き声を耳にし、エリジャは塔の上方まで鳥かごが張り巡らされていることに気づく。

 エリジャの視界が、目的としていた人物の姿を捉えた。

「オルタンス!」

 塔の中心部に、オルタンスはいた。見えない力に支えられているかのように、オルタンスの身体は宙に浮いている――。

(いや……)

 目を凝らしたエリジャは、オルタンスの周囲を渦巻く、青いオーラに注意を向けた。オーラは幾本かの筋になって、塔の内側に張り巡らされた鳥かごと結びついている。その鳥かごの中では、鳥たちが不安そうに鳴き声を上げていた。

(そういうことか……よし!)

 覚悟を決めると、エリジャは塔の壁沿いにらせんを描いている階段を駆けのぼってゆく。蒼白いオーラの一本目、ハチドリの閉じ込められている鳥かごをたぐり寄せると、エリジャはそれをこじ開けた。

「さぁ、お逃げ」

 青緑色の翼をはためかせながら、ハチドリたちは空高く舞い上がっていった。

 蒼白いオーラの一本が途切れ、オルタンスの身体が少しだけ地面へと近づく。これはエリジャの予想通りだった。残りのオーラは四本。すべてを断ち切ることができれば、オルタンスの身体は着地するはず――。

 蒼白いオーラの二本目に、エリジャはたどり着いた。鳥かごの中では、ヨダカが喉の袋を膨らませていた。

「さぁ、お前も――!」

 鳥かごの蓋を開けるやいなや、一羽のヨダカがエリジャの腕に乗り、その服にしがみついていたあぶら虫をついばんだ。

「ありがとう――」

 あぶら虫を飲み干したヨダカが舞い上がるのを見届けると、エリジャはなおもらせん階段を上った。残りのオーラは三本。

 三本目のオーラの根元にも、鳥かごがあった。その中には、白いオウムがいた。

「オ前ハ何者ニモナレナイ――」

 鳥かごを開いた瞬間、白いオウムはそう口にした。それを聞いたエリジャは、思わず笑みをこぼす。

「まぁ、どこで覚えたの? そんな言葉――」

「オ前ハ何者ニモナレナイ――」

 言葉の意味も分からないだろうに、オウムは同じ言葉を何度も繰り返す。

「いいわ、何者にもなれなくても」

 両手を伸ばすと、エリジャはオウムを抱え、鳥かごの外へと連れ出した。

「私が何者にもなれなかったとしても、誰も私のことをとがめる人などいないのよ。いるものですか。だからね、お前も、これからはそんな言葉を言わないで。代わりにこう言って、『あなたを愛している』って――」

「オ前ハ何者ニモナレナイ――」

 そう言い続けたまま、オウムは羽ばたいていった。

 残りの鳥かごは二つ。そのうちの一つにエリジャはたどり着いた。カラスのつがいが、その中にいた。

 エリジャが鳥かごの蓋を開いても、カラスたちは外へ出て行こうとしない。それどころか、手を伸ばしたエリジャを、カラスたちはくちばしを使って追い払おうとしている。

「ちょっと――」

 強引にカラスを引っ張り出そうとしたエリジャだったが、ちょうどそのとき、カラスたちの足下に、エメラルド色に光るものを見つけた。目を凝らしてみれば、それは卵だった。

「そういうことだったの……ごめんなさい」

 カラスに謝ると、エリジャは鳥かごを後にした。蒼白いオーラも、いつしか一本になっていた。

「ここか……」

 最後のオーラは、塔の頂上からほとばしっていた。ヲンリが住んでいるとされた場所、そしてエリジャが謂われなき罪で捕らえられた場所だ。

 鳥かごの中には、白い鳩がうずくまっていた。エリジャが鳥かごを開けても、鳩は外へ出てこようとしなかった。

「どうしたの? お前にも卵があるの?」

 そっと鳥かごの中を覗いてみたエリジャは、ここで白い鳩の脚が、不自然な方向へねじ曲がっていることに気づいた。どうやらこの鳩は、飛ぶことはおろか、歩くことさえもままならないようすだった。

「大丈夫よ、怖がらないで」

 腕を伸ばすと、エリジャは優しく鳩を抱きかかえた。鳩はエリジャに抵抗しないばかりか、むしろとても大人しく、なついているかのようだった。

「ありがとう、私のことを信じてくれて」

 すべての鳥かごは解放された。もう鳥たちは閉じ込められている必要などなくなった。自由を手に入れたのだ。そしてそのことを、エリジャは言わなくてはならない。塔に閉じこもっていただろう妹に、エリジャは言わなくてはならないのだ。

「アナタヲ愛シテル――」

 どこか遠くから、オウムの声が聞こえた。

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