第33話:貴公子の暗闘

「ヨルム様、サウル殿がお呼びです」

「『すぐに伺う』と伝えておけ」

「ですが、もうこれで三度目……」

「構うな。あの無能に注意できる勇気などない」

 逡巡している部下を強引に下がらせると、ヨルムは椅子で水煙草を一服しながら、数枚の書類に目を通した。

 書類は、カシムからの手紙だった。表向きはアクラシホン市で水揚げされた鱈の漁獲量についての報告書だが、魔法によるアナグラムを解読すれば、秘密のメッセージが浮かび上がる。それによると、カシムはエリジャと合意の上で、今王都へ向かって

 進軍

 しているのだという。

(始まったようだな)

 鼻から煙を吐き出すと、ヨルムは椅子の背もたれに背を預ける。カシム配下の魔術士団の力を借りれば、馬を駆っても一月かかる距離でさえ、ほんの一、二週間に圧縮できる。この手紙が到着した日数を考慮すれば、おそらく明後日の早朝には王都まで迫ることとなるだろう。

 さきほどから、サウルがヨルムのことを呼んでいるのも、これが理由である。サウルもまた、自身の雇う斥候からエリジャ進軍の情報を入手したのだろう。――もっとも、この斥候もヨルムが買収しているのだから、実質的にヨルムが打ち明けたことと変わりはない。

(退屈な三年だった)

 あくびをかみ殺すと、ヨルムは一人感慨にふけった。

 返す返す思い出されるのは、サウルの無能さである。ヨルムにとってこの三年間は、サウルが実施しようと画策していたさまざまな政策キャンペーンを、すべて骨抜きにすることに費やされた。これは見かけ以上に困難な作業だった。サウルの政策を実質的に運営する責任者が、ヨルムだったためである。ヨルムは、サウルに自分のことを無能だと思わせつつ、しかしサウル以外の貴族たちと、王都の市民たちには「無能なのはサウルである」ということを示しつつ、かつ自分は責任をとらなくて済むようにしなければならなかった。

 しかし、この仕事は成し遂げた分だけ、その報酬も大きかった。今や王都の中で、サウルに積極的に味方しようという者はいない。ほとんど皆のことをヨルムは買収していたし、買収されなかった人びとも、水面下では自分の消極的な味方である、ということをヨルムは知っていた。

 近衛連隊の兵士たちは皆、今はヨルムに付き従っている。エリジャたちの軍隊は、何の抵抗もなく王都へと入城するだろう。すでに王都にいる兵士たちには、エリジャの軍隊に抵抗しないよう、ヨルムから通達を出している。

 問題は、エリジャと共に付き従っている父・カシムと――

(あとは、コイツか)

 南海岸から、王都へ向かって北進している海賊団の首領・ロオジエである。二件目の書類は、ロオジエから送られてきた手紙だった。陸路を通じ、東から王都へ肉薄しているエリジャたちと連携をとり、ロオジエは南からサウルを脅かそうとしているのである。

 しかし、ロオジエが脅かそうとしている標的がサウルだけではないことは、ヨルムも理解しているつもりだった。

(見物だな。親父が殺されるか、コイツが殺されるか――)

 そしてとうぜん、自分が殺される可能性だってあることを、ヨルムはよく分かっていた。しかし、すでに安全な場所へと身を隠す手はずを、ヨルムは整えている。ヨルムが持っている最大の武器は「時間」だった。いかにカシムが執念深いとはいえ、かれもそこまで長生きはできない。問題となるのはロオジエだが、かれは王都に有力な味方がいない。となると、エリジャの権威を借りるしかないだろうが、エリジャだってそう自分を安売りしたりはしないだろう。こうなると、王都の人脈を掌握しているヨルムは、国政において誰よりも有利になる。

(この国はオレのものだ――)

「よ、ヨルム様、サウル様がお呼びです――」

 扉をくぐり、家臣の一人がヨルムの下までやってくる。

「サウル様が、かならず来るように、と仰せで」

「フン、そうか……。よろしい。支度をしろ」

「ははっ」

 引き下がる家臣の背中を見やると、ヨルムは手紙を二通、ロウソクの炎で焼き、灰皿に捨てた。黒い法衣をかぶると、ヨルムは部屋を後にする。

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