「ほほぅ。なるほど……」
腹心の部下からの報告を受けたカシムは、たくわえている長いあごひげを撫でる。
「エリジャ様を伴い、ロオジエがこっちに来おる、と、そういう理解で良いのじゃな?」
「は。さようでございます」
「ハッハッハ。では、すぐにもてなしの準備をせねばなるまい。ぬかりなくやるように」
「ははっ」
部下を下がらせると、カシムは椅子の上であぐらをかきながら、自身の禿げ頭をさすった。
(これは面白くなってきたわい。)
そう考えると、カシムはひとりほくそ笑んで、息子のヨルムから来た手紙をもう一度眺めた。オルタンスの奇行は日に日に激しさを増し、王宮内には荒んだ空気が流れていること、人びとの気持ちはとうの昔にサウルから離れているために、サウルの政策はことごとく行き詰まっていること、そしてヨルムの扇動により、王都では少しずつエリジャ帰還の噂が流れていること――ヨルムの手紙には、そのようなことが書かれてあった。
ここまではすべて、カシムの思ったとおりである。問題は、自分の領地内にあるシブストの砦が、ロオジエに襲われたことだった。カシムはロオジエに、
「シブストの砦に忍び込んで、エリジャを極秘裏に救出せよ」
と命じていた。ところがロオジエは、エリジャ姫を救い出すだけでなく、砦そのものを粉砕してしまったのである。
シブストの砦が破壊されてしまえば、アクラシホンと王都とをつなぐ中継地点が喪われることになる。そうなれば陸路の輸入が滞ってしまい、直接カシム一族の財政事情に悪い結果が跳ね返ってくることになる。
そして、得をするのはロオジエばかりとなるだろう。カシムの”計画”――サウルが失脚し、自らはエリジャの後見人になるという計画――が成功裏に終わったところで、シブストの砦を修復するのには時間がかかる。陸路が絶たれたならば、海路に頼るほかない。ロオジエはすかさず、海賊団を商船団へと衣替えさせ、陸路の取引をすべて奪い去るだろう。
要するにロオジエは、外っ面ではカシムに服従しているが、水面下では明確にカシムを失脚させようと動いているのである。
(カルフィヌスのせがれにしては、やりおるわい)
これでカシムの敵は、四人に増えたわけである。まず一人目はサウル。――もっともカシムは、サウルのことをみじんも怖れてなどいなかった。かれが遠からず自滅することは、火を見るよりも明らかだからだ。
二人目はエリジャである。なるほどエリジャは聡明だし、ゆくゆくはカシムの脅威となるだろう。しかし、いまのエリジャはカシムに頼らないとどうにもならない境遇だ。特に今、エリジャはサウルとオルタンスのことにのみ注意がいっており、とても自分に構っている余裕などないはずである。運が良ければ、エリジャとサウルは共倒れ、最悪でもエリジャだけが残されることになるだろう。しかし、そのときにはもう、カシムの側だっていくらでも手を打つことができる。
気がかりなのは、エリジャの従者・アースラであった。というのも、カシムの随臣である高位の魔道士たちが、みな口をそろえて「アースラは危険だ」と言うためである。カシムたちの知らないうちに、アースラは凄まじい魔力を手に入れたというのである。
「今、あの娘が本気を出したら――」
カシムの脳裏には、ある高位の魔道士が青ざめながら述べた報告がこびりついている。
「アクラシホンの街を灰燼に帰することなど、乳醤に針で穴を開けるくらいたやすいことでしょう。ひょっとしたら、この国すべてを一夜にして滅ぼし去ることができるやもしれません――」
とはいうものの、カシムはアースラの魔力を怖れているわけではなかった。アースラの力が、彼女自身の内側から溢れたものとは思えなかったためである。アースラはおそらく、禁忌とされていた昔者の魔法を犯したのだろう。
それもこれも、主君であるエリジャを助けるために。
(哀れなむすめじゃ)
カシムは茶をすする。アースラはまもなく力に溺れ、ゆくゆくは破滅に至るだろう。ちょうどサウルが欲に溺れ、破滅の道を突き進んでいるように。
(エリジャはよい犬を買うたものじゃて。しかもお互いにそれを愛と思い込んでおる。じゃが、それは偽りというもの。依存であることに気づいておらん。)
カシムの第三の敵は、実の息子・ヨルムである。匕首でカシムの背中を刺す人物がいるとしたら、それはおそらくヨルムだろう。
ヨルムが自分のことを快く思っていないことは、カシムもよく分かっていた。ヨルムが賢いことはサウルも認めるが、その賢さは鋭利な刃物、「寄らば斬るぞ」という姿勢のものだ。そして何より、ヨルムは妾腹の子だった。自分の跡継ぎとしてはふさわしくないと、カシムはそう思っている。
だからこそ、カシムはカルフィヌスの息子・ロオジエに目を掛けていたのだ。それが今、第四の敵として、カシムの前に立ちはだかっている。
(やれやれ……「泳ぎの達者な者は水の中で果てる」とはまことじゃな。)
「失礼します、エリジャ姫一行がお越しになりました」
先ほどの従者が、カシムのところまで進み出てきた。
「すでに饗応の準備はできてございます」
「そうか、分かった」
いずれにせよ、カシムはエリジャとロオジエの腹の底を覗かなければならない。