第26話:大義名分

(まいったな……。)

 アクラシホン市街の路地に入ると、エリジャはひとりため息をついた。

 宿で情報収集してみたは良いものの、このバンドリカの国は、エリジャが幽閉されている三年間のうちに、悪い方向へ悪い方向へと進んでいるようだった。

(オルタンス……)

 懐かしい妹の名前を、エリジャは心の中で呟いた。久しく会っていない妹は、沙漠を越えたはるか遠くの王都で、病気に伏せっているという。エリジャは、オルタンスのことがたまらなく懐かしくなると同時に、たまらなく心配になってきた。

(どうしよう。……とにかく、カシムに会わないと)

 もっとも、カシムが一筋縄ではいかない人物だということを、エリジャはよく知っている。なにせ、父であるサリマン王が青年だったときから、左大臣として国政を担っている老獪な人物である。この三年間自分の領地で雌伏しているのにも、きっと何かのわけがあるのだろう、と、エリジャは勘ぐっていた。

 そして、東海岸を襲った海賊たちの動向も、エリジャの気になるところであった。特にアクラシホンの市民たちは、いつ海賊が自分たちの町までやってくるのかと、戦々恐々といった有様だった。ところが、この町の持ち主であるカシムは、まったく動じていない様子なのだ。

 それに、エリジャは気になる噂も耳にしている。――海賊の首領とされる青年は、かつての右大臣・カルフィヌスの子息にうり二つだというのである。そして、肝心のカルフィヌスの子息であるロオジエなる人物は、自分がシブストの砦(”シブスト”という名前も、エリジャは町に来てから聞き知った)に幽閉された直後に、行方をくらましているというのである。

 これらのことから、エリジャは次のように推測していた。カシムは左大臣であり、エリジャを追放したサウルは内大臣だった。サウルがオルタンスを王位に据え、我が物顔で政治を行うためには、どうしてもカシムの存在が邪魔になる。カシムもそのことを察知し、保身のために自分の領地である東海岸に戻ったのだ。

 しかし、逃げているばかりでは、カシムだって面白くない。となると当然、カシムはサウルを圧迫しようと試みているはずだ。宿屋の主人の話では、南海岸は海賊にやられ、壊滅しているという。ところでこの南海岸とは、サウルの領地が多くある場所である。つまり、カシムは海賊をけしかけ、南海岸を襲わせているのだ。

 では、カシムはどうやって海賊を仕込んだのだろうか? その答えは、今エリジャが着ている衣裳に隠されている。

 シブストの砦から脱出し、アクラシホンへ向かうに当たって、エリジャは致し方なく、海賊から身ぐるみと金品をはいで自分のものとした。その際に、エリジャは海賊の服に紋章が入っていることに気づいた。はじめエリジャは、それを海賊旗の紋章を模したものだと考えて気にも留めなかったが、日光に照らしてよく見れば、それはエリジャのよく知っている紋章を、逆さにしたものだった。

 処刑台の紋章――それはかつての右大臣・カルフィヌスの家系の紋章である。つまり、カシムは右大臣の子息・ロオジエを海賊の統領に据え、南海岸で暴れさせているのである。

 そのロオジエをけしかけ、今回自分が囚われているシブストの砦を、カシムはわざわざ襲撃させた。――これはつまり、カシムがサウルを追い落とすために、本格的に動き出した、と言うことに他ならない。

 ここに、エリジャの勝算があった。サウルを失脚させるためには、カシムもまた大義名分が必要だ。そこで、王族であるエリジャを利用し、カシムはその後見人の地位に預かろうとしているのだろう。

 つまりカシムは、どうしてもエリジャのことが必要なのだ。直接カシムに会うことができれば、エリジャは身の安全が保証されることになる。

 とはいえ、それは一時的なものだ。カシムは用済みと分かり次第、すぐに自分のことをお払い箱にしようとするだろうし、カシムの目的のために利用されてしまえば、サウルの失脚に巻き込まれ、オルタンスもただでは済まなくなる。カシムの目的に気づかないふりをしつつ、カシムの権力がこれ以上増長しないように、エリジャは気を配らなければならない。

 しかしその前に、とにかくエリジャはカシムと接触しなければならない。ここに来て問題は振り出しに戻ってしまうのである。

(カシムなら、私のことが分かるだろうけれど……)

 カシムの部下が、エリジャのことを見抜けるとは思えない。「ちぐはぐな格好をした、頭のおかしな少女が屋敷の中に侵入した」として、出禁になることは確実だろうし、最悪の場合、なぶり殺されることもあり得る。

(これだものなぁ……)

 ずり落ちてきたズボンを、エリジャはもう一度腰の高さまで引きあげた。だましだまし海賊の衣裳を身につけて入るものの、息を吐くたびに、エリジャの穿いているズボンはずり落ちていく。人前で裸をさらすようになるようなマネだけは、エリジャもごめんこうむりたかった。

「――エリジャ様、」

 背後からエリジャが声を掛けられたのは、そのときだった。

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