第2話:遠い視線

 ラッパの高らかな音を聞いて、エリジャのちち姉妹きょうだい・アースラはわれに返った。

 貴族たちの群れにまじって、アースラも二階の席から、一階にある大広間の入り口を見つめた。二列に並んだじょう兵たちの合間を、ひとりの少女が、肩で風を切りながら前へと進み出る。

(エリジャ様……)

 アースラの隣から、婦人たちのくぐもった歓声が聞こえてきた。

「見て、さすがはエリジャ姫ね」

「ほんと。父王様に似て、堂々としていらっしゃる」

 颯爽としたエリジャの歩き方に、婦人たちは胸を弾ませているのだろう。しかしアースラは、エリジャが悲しみを押し隠していることに気づいている。他の貴族の目はごまかせても、アースラの目はごまかせない。

 エリジャとアースラとは、幼いときからの親友である。しかし、二人の身分には天と地ほどのへだたりがあった。エリジャはこの王国の王位継承者。それに引きかえ、王宮へ参内できる身分とはいえ、アースラは一介の騎士の娘にすぎない。

 そんなアースラがエリジャの遊び相手に選ばれたのは、ひとえにアースラの母親が、エリジャの乳母であったからに他ならない。

 しかし、アースラの母は、アースラが三歳のころに父親と共に事故で亡くなっている。もしかしたらこのとき、アースラはエリジャのもとから離されていてもおかしくはなかった。王国の権臣である左大臣のカシムが、一門の子女をエリジャの遊び相手にしようとしていたからだ。

「イヤよ、そんなの」

 そんな左大臣のもくろみを粉々に打ち砕いたのは、他ならぬエリジャだった。

「カシム、アースラは私の友達です。友達をむげにするつもりはありません」

 自分よりもはるかに年が離れている大臣に向かって、エリジャはひるむことなくそう言ってのけた。あのときのエリジャが、アースラの目にはどれだけ頼もしく映ったことだろう。

 それからのアースラは、何があってもエリジャの側にいようと、かたく心に決めていた。エリジャはほかの姫と違い、剣術を何よりも好んでいた。だからアースラも、エリジャと並んで剣の稽古をした。そして魔法の才能もあったために、アースラは魔法の習得にもいそしんだ。エリジャは魔法がほとんど使えなかったが、それでも常にアースラのそばに居て、アースラのことを応援してくれていた。

 他の誰よりも、アースラはエリジャと長い時間を過ごした自信がある。だからこそ、エリジャの気持ちが、アースラには手に取るように分かるのだ。

(かわいそうなエリジャ様。なんて悲しそうなんだろう……)

 エリジャが玉座の正面に到達すると、もっとも近くの席に座っていた二人の貴族が、うやうやしくエリジャの前に進み出た。

 ひとりは左大臣のカシムである。はげた頭の上に紫の冠をかぶり、白くて長いひげを腰のあたりまで伸ばしている。カシムはエリジャにほほ笑んでいたが、目はまったく笑っていなかった。

 この王国で、カシムに逆らえる人間はいない。サリマン王でさえ、左大臣の意向はむげにできなかったくらいなのだから。この老獪な政治家は、左大臣のほかに国璽尚書をも兼務している。即位式において、次期国王に加冠をほどこすのは国璽尚書の役目だった。

 もうひとりは内大臣のサウルである。色の薄い金髪に、黄色い瞳を持った、やせた男である。恰幅のよいカシムと比べれば、内大臣はほとんど幽霊のように、アースラの目には映った。それでもサウルはれっきとした王家の人間であり、エリジャとはいとこの関係に当たる。

 王家の人間の特権として、サウルは内大臣になった後も、近衛長官を任されている。ふつう大臣に就任した貴族は、軍事に関係する職業を兼務することはできなくなるのが、この王国のならわしだった。

(右大臣は?)

 身を乗り出して、アースラは下の階に右大臣がいないか確かめる。しかし、広間の中心部に右大臣の姿はない。

「右大臣殿はどうしたんだ?」

 アースラが考えていたことと同じ疑問を、隣にいた下級貴族のひとりが、その同僚に尋ねていた。

「右大臣殿はあれだ、即位式に関係するほかの職に就いておられないから、我々と同じだ」

「あぁ……」

 はじめに尋ねた方の貴族が、何かを察したようにしみじみと頷いた。いったい何を察したのか、アースラにもそれとなく分かる。

 右大臣のカルフィヌスは、仕事ができないことで有名だった。儀式や典礼のたびにかれが失態をおかしているという噂は、アースラの耳にも都度入ってきた。カルフィヌスは、ただ家柄と「カシムの婿」ということだけで右大臣にまで取り立てられていたような男である。カシムより一回りは若いはずだが、次の人事で右大臣の座を追われ、引退させられるだろう――というのが、貴族たちの間でもてはやされている、もっぱらの噂だった。

 アースラは目を細め、反対側の席に座っているはずのカルフィヌスを見た。どうやらカルフィヌスは、だれかを案内しているようである。

(オルタンス姫だ……)

 銀色の髪に赤色の瞳をもったオルタンスが、カルフィヌスにかしずかれて席に座っていた。もともと色白で、線の細い姫君ではあったが、今日は特に顔が青ざめているように、アースラには感じられた。

(オルタンス姫も子どもだから……かわいそうに……)

 幼いオルタンスの気持ちを察知して、アースラは心を痛めた。

 しかしこのとき、オルタンスは別のことを考えている。

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