第16話:風車の沙漠

 木々のざわめきを耳元に残しながら、暗い鳥かごを思わせるような旧式の大きな箱馬車は、せわしなく森の中を進んでゆく。かつての女王・エリジャを乗せた馬車だ。車の中はビロードのカーテンに仕切られており、エリジャはその中で、ただ一人あぐらをかいて座っていた。

 自分を盗み見てくる馭者の視線を、エリジャはことあるごとに感じとっていた。エリジャが死にはしないかと、馭者は怯えているのだ。

 馬車が王都を去ってから三日。その間、エリジャは水以外のものを口にしようとはしなかった。幽囚の憂き目に遭うくらいならば、死んでしまった方がマシだ――エリジャは本気でそう覚悟していた。

――どうだ?

 周囲を護衛している衛兵隊の隊長が、馭者に耳打ちしているようだった。エリジャはそっと左目だけを開け、前方を注視した。衛兵隊長の質問に対し、馭者は白い息を吐きながら、何もかもをあきらめたように首を振るだけだった。

――このままではまずい……!

 あからさまな衛兵隊長の舌打ちが、エリジャの耳にも届いてくる。

――分かっているのか? 森を抜けたら”かざぐるまの砂漠”だ。エリジャが餓死したとなれば、私の首が吹っ飛ぶのだぞ。

(風車の砂漠……)

 衛兵隊長の言葉を聞いて、エリジャも唇を引き結んだ。風車の砂漠とは、王国の東に広がる広大な砂漠のことである。石英質の砂粒はきわめて鋭く、吹き付ける風はほとんどカミソリのような切れ味を持つという。

 何よりの特徴は、その砂漠には点々と風車が砂の中に差し込まれている、ということだった。

――うちのせがれの一人が、この砂漠で亡くなりましたよ、旦那。

 衛兵隊長に向かって、馭者が呟いた。

――全身を切り刻まれてですわい。風のしわざか、盗賊どものしわざか、ヂョゼのしわざかは分かりませんがね。

「――不吉な名前を出すのはよさんか!」

 馭者による過呼吸気味の笑いに対し、衛兵隊長は怒鳴った。盗み見る必要性もないと判断し、エリジャは衛兵隊長の横顔に視線を注いだ。衛兵隊長の横顔は青ざめ、口ひげは妙に白んで見えた。

 「不吉な名前」とは、ヂョゼのことである。この世界を造った双子の賢者の妹であり、砂漠の亡霊でもある。砂漠に風車がはびこり続けているのも、ヂョゼが風車を作っているからだという。そして、ヂョゼに出会った者は、その場で魂を漂白させられてしまうという伝説があるのだ。

――いや、余計な話はもうよそう。

 ハンカチで額の汗を拭うと、衛兵隊長は再び小声に戻った。

「さぁ……さぁ、ここで小休止だ。これから我らは砂漠に入り、そこで夜を迎えることになる。今のうちに腹ごしらえだ。よいな?」

 馬のいななき声に合わせ、馬車に伝わってくる振動も止まる。ビロードのカーテンをそっと開き、エリジャは外の様子を眺めた。細い、静脈のような道沿いに、古い時代からあると思われる墓石が点在している。手前の森は唐突に終了し、その奥には紫色の砂丘が広がっていた。風車の砂漠である。

▶ 次のページに進む

▶ 前のページに戻る

▶ 『エリジャ姫』に戻る

▶ 連載小説一覧に戻る

▶ ホームに戻る

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする