第17話:巡礼

 馬車の外から響いてくる衛兵たちの声を、エリジャはただ聞き過ごしていた。エリジャは座ったまま動こうとはせず、馬車の入り口に置かれた食事には、手をつけようともしなかった。

 食事に手をつけてしまったら、自分は衛兵たちに屈したことになる。それはつまり、サウルに屈したことと同じだ――エリジャはそう考え、生唾を呑み込んだ。これが、王都を追放されたエリジャに残されている、最大にして最期の抵抗方法だった。

 すでに空腹は限界に達し、エリジャの両手足はしびれつつあった。おそらくは砂漠に入ってすぐ、夜の寒さにやられ、指は凍傷で腐ってしまうだろう。しかしそうなることも、エリジャには覚悟の上だった。

 そのとき――。

「おい、待て! お前は何者だ?!」

 馬車の外から、衛兵の怒号が飛んできた。何人かが慌ただしく立ち回る音とともに、うなり声などが入り交じって聞こえてくる。エリジャの知らないところで、騒動がわき起こったらしい。

 エリジャは組んでいた足を解くと、そっと馬車の入り口まで身体を寄せた。近づいてみると、大きな麻袋を抱え込んだ乞食が、衛兵たちに囲まれ、地面に倒れ込んでいた。

「貴様、名を名乗れ!」

「――名乗るほどの者じゃございませんて。見かけ通りのもの、しがない乞食でごじます」

 目をいからせる衛兵とは対照的に、しきりにもみ手をしながら、乞食はひしゃげた声で周囲に愛想を振りまいた。もっとも、顔はぼろきれで覆っているせいで、エリジャは乞食の表情から真意を読み取ることはできなかった。

 衛兵の一人が、苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「怪しい奴! こんなところに乞食がうろつくことなどありえん」

「こんなところにうろついているのは、あっしも中の人も同じことでござんす」

 そう言うと、乞食はエリジャを顎で示した。周りに居る衛兵たちの視線が、一斉にエリジャに注がれる。

 衛兵隊長が咳払いをする。

「貴様、この方が誰か知っているのか?」

「知りませなんだ。なれどこの方、ご主人と呼びたくなるような威厳がごじます」

「おい、この乞食を連れ出せ――」

「まぁまぁ、兵隊さん。あっしは何人ものご主人を、砂漠で亡くしてごじまして」

 乞食の言葉に、辺りは水を打ったように静まりかえった。

「どういう意味だ?」

「砂漠の盗賊でごじます。きゃつらは夜陰に乗じ、隊商を襲うのでごじます。だからあっしはご主人と呼びたくなるような人を、何人も砂漠で亡くしてごじまして。ああ――」

 そう言うと、乞食は額を地面になすりつけた。

「もしあっしが、ヂョゼ様から聞いた砂漠の抜け方を、ちゃんと教えておりませば――」

「ま、待て!」

 乞食の言葉を、衛兵隊長が遮った。

「お前はヂョゼを知っていると申すか?!」

「おぉ、おぉ。よく知ってごじます。あっしが物を言うても理解せぬうすのろと思い、ヂョゼ様は砂漠の秘密を笑いながらあっしに喋るのでごじます」

 衛兵たちが互いに顔を見合わせている様子を、エリジャは見つめていた。衛兵たちの顔には、好奇の色が走っていた。皆がみな、風車の砂漠を通り抜けることに不安と恐れとを抱いているのだ。たとえ相手が得体のしれない乞食であっても、かれらは乞食にすがりたいのだ。

「ねぇあなた」

 馬車の入り口にある横木に両肘を預けると、エリジャは乞食に向かって尋ねた。

「あなたの望みはいったい何?」

「奉公でごじます」

「誰に奉公するの?」

「お前様に」

「待て、それはならぬ――」

 エリジャと乞食との会話に、衛兵隊長が割って入ろうとする。

「いかにやんごとなき身分の方とは申せ、この人も今は罪人。勝手に奉公するなどとは――」

「――”いんや、兵隊さんがた。あんたがたはあっしの奉公を認めるのでごじます”」

 乞食が口を真一文字にする有様を、エリジャは黙って見つめていた。

「”あんたがたはきっと、あっしの奉公を認めるのでごじます”」

「わ……かった。そうしよう……?」

 気の抜けた炭酸ソーダのような声で、衛兵隊長が答えた。不意に眠りから解き放たれたかのように、その声はよどんでいた。

 エリジャはすかさず、周りを見渡してみた。ほかの衛兵たちも、みな眠たそうな、まどろんだような顔をしている。

(催眠術か……)

 エリジャは内心で、舌を巻いていた。自分の意見が通りにくいと分かるやいなや、乞食は催眠術で衛兵たちを説得にかかったのだ。

「そうと決まれば話は早うごじます。あっしはこの馬車の縁におるつもりでごじます」

 大げさな麻袋を背負うと、乞食はそれがさも当然であるかのように、馬車の反対側、荷台の側へと回り込んだ。乞食とエリジャとは、仕切りの布一枚を隔て、同じ馬車内にいることになる。

(乞食と一緒か)

 何ごとも無かったかのように食事を摂る兵隊たちに背を向けると、エリジャは一人ため息をついた。何の目的があって、乞食は自分についてくるのか――それもわざわざ、魔法などという小細工まで使って。

(アースラ。私の大事な友達。どうして私のところに来てくれないの?)

 アースラを脳裏に浮かべ、エリジャはうつむいた。アースラならば、乞食よりもはるかにうまく催眠術を使えただろう。乞食に対して催眠術を使い、その真意を聞き出すこともできたかもしれない。

(アースラ。あなたが懐かしい)

「――さぁ。出発しよう」

 腹ごしらえを終えると、衛兵たちは再び馬にまたがって、砂漠へと進み始めた。エリジャは結局、食事を摂ることは無かった。

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