第14話:策士二人

 王都に、雨が忍び寄りつつあった。空は濁った雲で覆われ、雨特有の臭いと湿気とが、王都の街路という街路をなめている最中だった。

 左大臣・サウルの邸宅は、王宮から程なくのところにある。王宮ほど立派ではないにせよ、敷地は広大で、塀の内側には川が流れている”らしい”。――”らしい”と付け加えたのは、ほかならぬアースラ自身が、カシムの邸宅を訪れたことがないためだった。カシムは一族とその従者以外のものを、ほとんど自分の邸宅へ受け付けようとはしなかった。

「あの――!」

 青銅製の門に近づくと、アースラは番兵に声を掛けた。

「なんだ?」

「エリジャ姫の従者をしております、アースラと申します。カシム殿に、どうしてもご相談したいことがあるのです」

「左大臣様にだと? バカな!」

 肥え太った番兵は、笑いながら自らの腹をさする。

「いかにエリジャ陛下の従者といえど、お主では左大臣様の相手は務まるまい。ほかを当たることだな」

(しめた……!)

 それでもアースラは、内心でほくそ笑んでいた。「エリジャ陛下」ということは、番兵も――そしておそらくはカシムも――カルフィヌスが暗殺された疑惑について、気づいていないのだ。

「失礼ですが、わたくしはエリジャ国王の忠実なしもべでございます」

 アースラはハッタリをかますことにした。

「わたくしを退けるということは、陛下を退けるも同じ。このことの意味がおわかりか?」

「何をなまいきな……!」

 番兵の眉間にしわが寄る。

「いいか、左大臣様はこの国の重鎮であるぞ。もし左大臣様を呼びつけたいのならば、陛下もそれなりの敬意を左大臣様に払ってしかるべきではないか? 要するにだな、お前のようなこわっぱなど……」

「――門番、そんな怖い顔をするな」

 そのとき、二人の傍らから、別の人間の声が響いた。声はアースラたちの上方、馬に牽かれた駕篭の上から聞こえてくる。言い合うことに夢中になっていたアースラたちは、すぐ側まで馬車が来ていることに気づかなかったのだ。

 声の主は、若い男性だった。細工の行き届いた銀製の丸眼鏡を掛け、どこか憂鬱げな表情で外の様子を眺めている。

「よ、ヨルム様!」

 そんな男性を見て、門番がすぐさま姿勢を正してみせる。

(ヨルムだって――?!)

 名前を聞いたアースラも、思わず息を呑んだ。ヨルムといえば、左大臣の嫡子である。高齢の父親に代わって荘園の経営を任されているかれは、すでに父親譲りの並外れた手腕を発揮しているという。

 しかしながら、父に比べると物わかりはよく、気むずかしい雰囲気ではあるものの、人の相談事には耳を貸す性質の人間であるということは、アースラも耳にしていた。

 もしこの噂が本当ならば、それを使わない手はない。――アースラはそのように考えると、即座にその場にひざまずいた。

 そんなアースラを見て、ヨルムは眼鏡に指を当てる。

「――何の真似だ?」

「ヨルム様、どうかエリジャ様の従者である、わたくしの頼みを聞いていただきたいのです」

「陛下に関係のあることか?」

 ヨルムの口調は淡々としており、自分の切迫した気持ちが伝わっていないのではないかと、アースラは不安になる。

 しかし、不安げなそぶりを少しでも見せようものなら、ヨルムは耳を貸してくれなくなるだろう。アースラは辛抱した。

「その通りでございます。エリジャ様はいま、未曾有の窮地に立たされておいでです。どうかヨルム様と、カシム様のご助力をいただきたく思い、こちらにはせ参じた次第でございます」

「未曾有の窮地か! ハハハ――!」

 何が面白いのか、ヨルムは低い声で笑ってみせた。どこかさげすんでいるようなヨルムの態度に、アースラの背筋を冷たいものがはしる。

「門番、我らは王室の藩塀。陛下が未曾有の窮地に立たされておいでなら、それを救ってやらない手はないな?」

「は、はい――」

 ”救ってやらない手はない”という言い方が気に掛かったが、アースラはじっと頭を垂れていた。

「私も王都にきょう戻ってきたばかりだ。話しているうちに分かることもいろいろあろう。ひとまず左大臣に掛け合ってやろう。そこで待ちなさい」

「あ、ありがとうございます……!」

 地面に額をこすりつけるようにして、アースラは深々と礼をした。ヨルムを乗せた馬車は、そのまま左大臣の邸宅の中へと吸い込まれていった。

◇◇◇

「雑駁ですが、このような次第でございます、父上」

「ふーん」

 邸宅の中でも、とりわけ広い一室で、二人の男が向かい合って席に着いていた。一人は左大臣のカシム、もう一人はその息子・ヨルムである。

「父上、わたくしは本日王都に戻ってきたばかりでございますので、王宮の事情には耳寂しくなっております。父上は格別の事情をご存じのはず。わたくしが留守にしている間、いったい何があったのでしょうか」

「ふむ。わからん」

「――わからない?」

「ワッハッハ、わしには分からんて、ワッハッハ――」

 そう言うと、カシムは席を立ち、ヨルムから顔を背けた。

 ヨルムはそんな父親の背中を、目を細めて眺めた。カシムの「知らない」という言葉が嘘であることくらい、ヨルムもとっくに見抜いている。

 そして、ヨルム自身もカシムに嘘をついていた。「王宮の事情はよく分からない」と告げたヨルムだったが、腹心の部下に王宮の情報収集を依頼しているため、その内部事情は手に取るように分かっている。アースラという正直そうな従者の前では、表だって示さなかったが、「エリジャが右大臣を殺した」という情報は、すでにヨルムも入手済みだった。

「さようでございますか、父上。それは意外」

 ヨルムは考え続ける。父親も自分も嘘をついている。父親も自分も「エリジャが右大臣を殺した」という情報を持っている。

 そして――父親も自分も「右大臣殺害の首謀者がエリジャである」などということを、みじんも信じていない。おそらくエリジャは、誰かの陥穽に嵌められてしまったのだろう。

 となると、問題は「誰がエリジャを罠に嵌めたか」ということになる。仮に動機があるとすれば、内大臣のサウルぐらいだろう――と、ヨルムは考えている。父親のカシムが、このように血なまぐさい手はずをとらないのは明らかだった。カシムならば、もっと上手に、そして陰湿に、エリジャを干している。

 不思議なのは、サウルがなぜそのように大胆なことをしでかしたのか、ということだった。エリジャ追放の後、おそらくサウルはオルタンスを担ぎ上げ、自ら実権を握ろうとするだろう。しかし、そのちぐはぐさは自明だ。左大臣より地位が下なのに、左大臣を飛び越えて国政を担おうとするのだから。

 そう遠くない未来、サウルは自らがまいた毒を浴び、自滅することになる。

「せがれや、もしかしたら、お主のほうがわしより詳しいのではないか?」

「わたくしがですか?」

「遠くにいた方が、かえって物事をよく見はるかすことができるものじゃ。そうじゃろ?」

(そういうことか)

 そう遠くない未来、サウルは自らがまいた毒を浴び、自滅することになるだろう。――それはつまり、サウル自身も誰かの罠にはまっている、ということだ。

 エリジャが追放され、サウルが失脚した後、我が物顔で政治を動かすのは誰か?

 ヨルムは、父親のカシムだと考えている。そしてカシムは、息子のヨルムだと考えている。

 そして、お互いにお互いの企みを腹の内を探り合っていることを、ヨルムは知っていた。ヨルムはカシムの嫡子だったが、もともとは妾の子どもだった。正妻の子どもには男子が生まれなかったため、カシムは渋々自分の子どもの中で、最も若い自分を嫡子としただけにすぎない。

 そして正妻の娘は、カルフィヌスに嫁ぎ、男の子をもうけている。その男の子はロオジエという名前で、カシムは孫のロオジエを溺愛していた。ヨルムには、それが面白くなかった。

 もしヨルムが不審な行動をみせたら、カシムはそれを口実に、サウルもろとも自分を殺しにかかるだろう。ちょうどカシムが不審な行動をみせたら、それを口実にしてサウルもろともかれを殺したいヨルムと同じように。

 カシムとヨルムとは戦争中なのだ。アースラもエリジャ姫も、相手を追い落とすための手駒・口実にすぎない。

(エリジャ姫、アースラ、しばらくアンタたちには泳いでもらおう)

 銀の杯に入った紅茶を飲みながら、ヨルムは門の前に佇んでいるであろうアースラに思いを馳せる。

(アースラ、しばらくは王都の雨に打たれていたまえ。そして自分の運命を呪いたまえ)

 眼鏡を外すと、ヨルムはその曇りを、薄手のハンカチでぬぐう。

 垂れ込めた黒い雲から、雨が降り始めていた。北の山から舞い降りてきた、冷たい空気をまとった雨だった。

▶ 次のページに進む

▶ 前のページに戻る

▶ 『エリジャ姫』に戻る

▶ 連載小説一覧に戻る

▶ ホームに戻る

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする