「あ……ぁ」
いま起きたことが信じられず、オルタンスは声にならない叫びをあげて、その場にへたり込んだ。それでも、オルタンスの姿を誰かから隠すように立ちはだかっている二人の近衛兵は、オルタンスに一瞥さえ与えようとはしなかった。
「――離して!」
鉄扉の向こうから、オルタンスのよく知る人物が、両脇を別の近衛兵たちに固められて飛び出してきた。オルタンスの姉・エリジャである。エリジャは亜麻色の髪を振り乱し、その寝間着は血で真っ赤に染まっていた。
「あ……いや……」
叫びにならない叫び、悲鳴にならない悲鳴が、オルタンスの喉の中で泡となってつぶれる。
そのとき、エリジャがふと何かを思い出したように、周囲を見渡した。
「サウル、妹は……オルタンスはどうしたの?!」
「……連れて行け」
「ねぇ、サウル! 答えて! お願い!」
居ても立ってもいられず、オルタンスは姉の方へ駆け寄ろうとする。しかし、立ちはだかった二人の近衛兵が、それを許そうとはしなかった。
「おねえさま――」
それでも必死になって、オルタンスはエリジャに声を届けようとする。お姉様、私は騙されていたんです、と――。
――オルタンス様、オルタンス様にぜひともお願いいたしたいことがございます。
きのうの午後、誰からも相手にされず、一人でひなげしの花に見とれていたオルタンスに、サウルが恭しくそう尋ねてきたのだ。
――どうしたの、サウル?
――エリジャ姫と内々にお話ししたいことがございます。
何度も咳払いをしながら、サウルはオルタンスに尋ねた。
――ぜひともエリジャ姫に、本日の真夜中、お供の者を誰もつけず、北東の塔までお越しいただくよう、オルタンス様からお願いしてほしいのです。
――北東の塔に? でも、どうやってお姉様を誘えばよいのかしら?
――オルタンス様、さいきん、スカーフをどこかにお忘れではございませんか?
サウルの言葉に、オルタンスは心当たりがあった。
――ええ、ええ。そうよ、サウル。あなた、知っているの?
――では、それを口実にして、エリジャ様をお導きください。スカーフは北東の塔の頂上、はっきりと分かる場所に掛けておきましょう。
――わかったわ。
もうこのとき、サウルの頭の中で悪巧みは進んでいたのだ。サウルの表情に落ちていた暗い影を、オルタンスは見抜くことができなかった。サウルが自分に頼み事をしてくれたことが、オルタンスには嬉しかったからだ。
「ああ……ああ……」
エリジャの声と、近衛兵たちの足音は、もう聞こえない。足腰から力が抜け、オルタンスは再びその場に座り込んだ。