第10話:光は蝋燭の光

 北東の塔の入り口には、衛兵のひとりさえいなかった。

「大丈夫、オルタンス? 寒くない?」

「うん……大丈夫」

 とはいうものの、オルタンスはエリジャの手を掴んで離さなかった。オルタンスの不安をぬぐい去るべく、エリジャもオルタンスの手を強く握りしめる。

(アースラがいればな)

 ふとエリジャは、そんなことを思った。思えば王位に就いてからというもの、ちち姉妹きょうだいのアースラとは会えていない。こんなときしか、いや、むしろこんなときだからこそ、アースラと会えたのではないか。

「おねえさま……どうしたの……?」

「ウウン、何でもないわ。さぁ、行きましょう」

 手と手を取り合って、エリジャとオルタンスは塔の中へ一歩踏み入れた。

◇◇◇

「不思議ね、オルタンス」

 塔の壁を這うようにして続く回廊を上りながら、エリジャはオルタンスに語りかける。

「こんなに誰もいないのに、ちゃんとロウソクが灯ってるわ。それに、すごく掃除されてる。まるで、ついこの前建てられたばかりみたい……」

 オルタンスの不安をぬぐい去るためだけに、エリジャは話をしているわけではなかった。このようにして声を出していないと、自分自身も闇の中に呑み込まれてしまうような気が、エリジャにはしたからだ。エリジャの発した声は、石壁に響くこともなく、周囲の闇の中に溶けていくかのようだった。

「ここが……」

 頂上にたどり着くと、エリジャはオルタンスから手を離した。エリジャの目の前には、分厚い鉄扉が立ちはだかっている。

 目を細め、エリジャは鉄扉に触れようとする。

「あ、おねえさま……!」

 エリジャの背後から、オルタンスが声を漏らした。

「どうしたの、オルタンス?」

「いえ……その、気をつけてください」

 しどろもどろになっているオルタンスを見て、エリジャはわざと肩をすくめてみせる。

「どうしたのよ、オルタンス? 一緒に入りましょう?」

「え……っ?!」

「フフフ、冗談よ。ここで待っていて」

 慌てふためいているオルタンスを尻目に、エリジャは鉄扉をこじ開け、そのわずかなすき間の中に身を滑り込ませた。

 部屋の中は、暗くてよく見えない。エリジャはしばしの間、自分が呼吸する音と、あたりに漂う錆びた鉄の匂いを嗅いでいた。

 部屋の奥に、エリジャは目をやった。窓が半開きになり、白いカーテンが風ではためいている。この部屋だけが荒れ果てているのは、窓が開いていたせいだろう……とエリジャは考えた。だから部屋の中に雨が入り、ロウソクの火は消え、中にあった調度は錆びているのだ。

(それにしても、ひどい匂い)

 顔をしかめながら、エリジャは窓の方へ寄った。窓の側に、消えたロウソクが立てかけられているのを、エリジャは見つけたからだ。

「あっ!」

 踏み出した矢先、エリジャは何かに足を取られ、転んでしまった。手をついた拍子に、鉄さびのまじった泥のようなものが、エリジャの手のひらについてしまう。

(もう……どうしよう)

 一夜のうちに泥だらけになってしまったら、侍従たちに何と言われるかわからない。なるべく手を下げないようにしながら、エリジャはロウソクを掴んだ。

 人差し指を立てると、エリジャはその指先に魔力を集中させる。ほとんど魔法が使えないエリジャだったが、こうしてロウソクに火をつけることぐらいは可能だった。

 ロウソクに明かりが灯り、周囲の様子が露わになる。

「よし――!」

 ロウソクをかざして振り向いた瞬間、エリジャは息を呑んだ。

 まず、自分の手は血まみれになっていた。

 次に、右大臣のカルフィヌスが首を切られて死んでいた。

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