第47話:なんじその生を歓べ(Радуйтесь жизни твоей)

なんじら、むすめより生まれざる者に平伏すべし、彼を拝むべし。彼はなんじらの父なり。

『トマスによる福音書』、第15節

 階段を降りた後も、道はまっすぐ前へ続いていた。クニカとニコルの二人は、無言のまま先を急いだ。

 途中にある小部屋を、何気なく覗いてみたクニカは、そこであっと声を上げた。

「ドウシタ?」

「ニコル、これって――」

 部屋に入ると、クニカは机の上に置いてあったものを拾い上げる。チャイハネが持っていたものと同じ市民証が、乱雑に積まれていたのだ。

「ウルトラノ市民証ダナ」

「わかってるけど、どうしてここに……?」

「逃ゲヨウトシテイル奴ラカラ、回収シタンダロウ。使イ道ガナイカラ、コウシテオイテアルンダ」

(そうだ、カイの分――)

 クニカは思い出した。クニカたち五人に対し、市民証は四枚しかない。

「ねぇ、ニコル。この市民証、もらってもいいかな?」

「アァ。持ッテイケ。ウルトラノ人間ガ、元々南大陸ノ他ノ人タチニヤッタモノダカラナ」

「ありがとう、ニコル」

 市民証を折りたたむと、クニカはそれをしまう。

「サァ、行コウ」

 ニコルにうながされ、クニカも先を急いだ。

――……

「着イタゾ」

 息を殺し、ニコルが正面の扉を開く。扉の奥から漏れ出してきた冷気に、クニカは思わず身震いした。

 扉の奥は、暗くてよく見えない。ただし、広い部屋のようだった。クニカのいる位置からは、足元の黒ずんだタイルが見えるだけである。

「アソコヲ見ロ、クニカ」

 そんな広間の真正面を、ニコルは指で示す。非常灯の下に、赤で塗装された扉がひかえていた。

 扉には、

Μόνο το προσωπικό!

 と書かれている。字は分からなくとも、この扉の向こう側にリンがいるだろうことを、クニカはなんとなく感じ取っていた。

 クニカとニコルの二人は、並んで扉の前までたどり着いた。しかし扉を開こうにも、肝心の取っ手がない。

「ドウナッテル……?」

 ニコルは頭をかいていた。ニコル自身も、ここまでたどり着いたのは初めてのようだった。

「待って、ニコル」

 扉の側面に触れたクニカの指に、何かが引っかかった。

「スイッチがある――」

 ニコルの反応をうかがう前に、クニカは反射的に、そのスイッチを押してみた。すると突然、クニカたちの周囲が真っ白になる。クニカが触れたのは、天井についている照明のスイッチだったのだ。

「――ナ、ナンダ?!」

 照明に照らされて、広間全体の様子が明らかになる。立ち並んでいたものを見て、ニコルが驚きの声を上げた。

 広間には、円筒形をした透明な容器が、壁一面に並べられていた。容器の内部には液体が満ちており、中では裸の人間が、胎児のように丸まっていた。

 中の人間はみな子どもであり、誰もかれもが、クニカとどことなく似ていた。

「ニコル……これ……どういうこと……?」

 クニカが言えたのは、これだけだった。ニコルはと言えば、クニカと容器の中の子どもたちとを、かわるがわる見つめるだけだった。

「ワカラナイ……。クニカ……オマエハイッタイ……?」

 そんなこと、クニカにだって分かるわけがなかった。

 と、そのときである。背後で何かが音を立てたことに、クニカは気づいてしまった。

「ニコル――?!」

 不安になったクニカは、反射的にニコルの名前を呼んだ。ニコルも物音に気づいたらしく、とっさに後ろを振り向いた。

 しかし、それがいけなかった。きびすを返したニコルの足めがけて、自動小銃の弾が降りそそぐ。

「ニコル――!」

 クニカの目の前で、ニコルのはく軍靴がもげ、くるぶしがはじけ飛んだ。

 銃撃の方角を、クニカが指でさした。クニカの神通力バジェステネを受けて、自動小銃が粉々にくだけ散る。そのときにはもう、背中側から自分に照準が向けられていることを、クニカは直観的に理解していた。自らが解き放った神通力のうねりを、クニカは反対方向にたぐり寄せる。クニカの魔力は吐き出された銃弾を蹴散らし、大本のライフルをなぎ倒した。

「ニコル! しっかり!」

 倒れふしているニコルのもとに、クニカは駆け寄った。ニコルの顔は青白く、額からは脂汗が流れている。

「〈痛い……もうダメだ……〉」

 苦しさのあまり、ニコルは母国語で息を漏らしていた。

「待ってて――!」

 腕をのばすと、クニカはニコルの傷口に触れた。痛みのあまり、ニコルは悲鳴を上げ、足をよじろうとする。

「ニコル、ゴメン! 我慢して――」

 ニコルを激励すると、クニカはみずからの魔力をときはなった。救済の光があふれ、ニコルの足の傷口へと注がれてゆく。ニコルはあっけにとられた様子で、自分の傷口がふさがれていくさまを見守っていた。まるで傷口だけが、時間の流れに逆らっているかのようだった。

「ク、クニカ、オマエ……」

 完治した足をさすりながら、ニコルはなおもクニカを見つめてくる。

「ソノチカラ、イッタイドウヤッテ――?」

「〈――見つけたぞ!〉」

 クニカが答えるよりも前に、背後から声がした。騒ぎを聞きつけて、兵士たちがこの広間まで押し寄せてきたようだ。

「〈ニコル、きさま……!〉」

 リーダーとおぼしき年配の兵士が、ニコルの姿を見つけるなり、声を張り上げた。

「〈その子どもを連れて、いったい何をたくらんでいたんだ!〉」

「〈――ちょっとした人だすけさ〉」

 ニコルは立ち上がった。リーダーの心の色が、一気に赤くなる。

「〈人だすけだと? ふざけるな!〉」

「〈ふざけてるのはあんただろ、司令官!〉」

 司令官の剣幕にも、ニコルは怖気づかなかった。

「〈おい、みんなだってわかってるんだろ?!〉」

 周囲を取り囲む兵士たちに向かって、ニコルが声をあげた。

「〈このままじゃ、北も南もめちゃくちゃになる。オレたちの生きていける場所なんか、どこにもなくなってしまうんだぞ!〉」

 居並ぶ兵士たちは、互いに目配せしあっていた。逡巡していることは、クニカの目からも明らかだった。

「〈――言いたいことは、それだけだな?〉」

 司令官の“心の色”が、真っ黒になった。

「〈司令官! まちがってることに『まちがってる』って言ってくれよ! 皇帝に言えるのはあんただけなんだぞ!〉」

 固唾をのんでやりとりを見守っていたクニカは、ここであることに気づいて戦慄した。このやりとりは、ヤンヴォイの聖堂でトリュショーとサルフがやっていたものと、同じやりとりなのだ。

 あのとき、クニカはトリュショーのそばにいた。そしてサルフがトリュショーを殺すのを、ただ見ていることしかできなかった。

 だけど、今のクニカはちがう。

「〈だまれ――!〉」

 激高した司令官は、隣にいた兵士の小銃を奪うと、その照準をニコルに合わせた。

「やめて――!」

 ニコルの前に駆け出すと、クニカは司令官の前に立ちはだかり、小銃めがけて腕をのばした。

――……

「〈な、何だと?!〉」

 司令官が声をあげた。その瞳は、驚愕のあまりに見開かれている。居並ぶ兵士たちもまた、目の前の光景に息を呑んでいた。

 銃弾は正確に、二人の心臓を目がけて撃ち込まれている。――ただし、届いていない。小銃から放たれた銃弾は、みなクニカの手前で氷漬けになっていた。

「〈そんなバカな――あり得ない!〉」

 司令官はなおも引き金を引いた。吐き出された銃弾は、やはりクニカの目の前で止まり、たちどころに凍てついて、氷の壁の一部になる。

 ついに銃声は止み、司令官は何かを口走った。しかし何を言ったのかは、だれも分からなかった。司令官の小銃を握る腕は、小刻みに震えていた。

(や……やった!)

 しかし、結果にいちばん驚いていたのは、ほかならぬクニカ自身だった。「止まれ!」とは念じたものの、まさか氷漬けになって止まるとは、クニカ自身思ってもみなかった。

 氷の壁は、クニカたちの目の前で、小さな粒となってはじけ飛んだ。天井からの照明をうけて、氷の粒は星のようにきらめいた。

「〈まさか……お前が……〉」

 司令官がクニカを指さした。その声はわなめいており、なによりか細かった。

「〈お前が……竜の……〉」

 だが、司令官はそれ以上を口にすることができなかった。とつぜん建物全体が揺れたかと思えば、広間全体に不協和音がこだましはじめたためだ。

「〈な、何だ?!〉」

 ニコルはよろめいて、壁に手をついた。クニカも立っていられず、その場にしゃがみ込んだ。そのとき、赤い扉が内側から開け放たれ、研究者とおぼしき人物が転がりこんできた。

「〈し、司令!〉」

 クニカには目もくれず、研究者とおぼしき人物は司令官に追いすがる。その白衣は、血で真っ赤に染まっていた。

「〈竜が……竜が暴走を……〉」

「〈何だと――〉」

 それが司令官の、最期の言葉だった。猛烈な風圧に横っ面を張られ、クニカとニコルは、虫けらのように床を転がった。

「ニコル――!」

 クニカは叫んだが、めまいがして、ニコルの姿を捉えることはできなかった。しかし、飛ばされただけマシだったのかもしれない。極太の光線がクニカの視界を横断し、それをまともに浴びた司令官と兵士たちは、みな消し飛んでしまったからである。

 巨大な怪物が、咆哮をあげて、アジトを内側から破ろうとしていた。床は抜け落ち、壁はえぐり取られ、天井はやぶれ、照明がはじけ飛んだ。

 またたく間に、怪物の姿が白昼にさらされた。怪物は翼を持っているが、その翼には穴が開いていた。怪物はくちばしを持っているが、焼けただれ、ふさがっていた。怪物は目玉を持っているが、そこに黒い瞳はなかった。そして怪物の身体はうろこに覆われていたが、色はくすみ、腐って糸を引いていた。

 竜――になるはずだった怪物は、みずからを創り上げた施設を、ただひたすら踏みにじっていた。がれきの合間から辛うじて顔を出したクニカも、とつぜん押し寄せてきた水に流され、太いパイプにしがみつくしかなかった。

 建物の残骸からせり出した煙突が、怪物の腹部にあたった。やわらかすぎる怪物の腹部は縦に引き裂かれ、内臓がほどけて地面に散らばった。空っぽになった腹部の壁面には、無数の触手と、粘膜に覆われた心臓だけがぶら下がっていた。

 怪物の心臓に目を向けたクニカは、そこで声を張り上げる。

「リン!」

 リンの姿が、そこにはあった。

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