「ようし……」
鼻から深く息を吸いこむと、クニカは目の前の鉄扉に両手のひらをそえる。祈りのパワーを使って、クニカは鉄扉を“内側から”こじ開けようとしていた。
アジトの正門をくぐり抜けたところまではよかった。クニカはスパイのような身のこなしで、さっそうと奥へ進んでいる――つもりだった。
が、現実はそんなに甘くなかった。
「《大尉どの。こどもがうろうろしておりましたが、いかがいたしましょう?》」
首根っこをつかまれてじたばたしているクニカを見て、大尉とかいう人物は、
「《今日は忙しい日だから、とりあえず牢屋へぶちこんでおくんだ》」
と言ってのけた。
これがいま、クニカが鉄扉を“内側から”こじ開けなければならない理由だった。
(ハァ……嫌になっちゃうなァ)
クニカは心のなかでぼやいた。リンを助けようと意気込んだはよいものの、序盤からこの調子では、先が思いやられた。
「あれっ?」
と、そのときである。鉄扉の取っ手がクニカの目の前で回転し、扉がひとりでに開け放たれたのだ。
部屋の外に立ちはだかっている人影を見て、クニカは歓声をあげた。
「ニコル!」
ウルノワの大学病院で出会った兵士・ニコルが、そこに立っていた。軍用のズボンにシャツ一枚と、ニコルはとてもラフな格好だった。
「オイ、オマエ」
ニコルは片言で、クニカに話しかける。
「オレノ言葉、ワカルヨナ?」
「うん。わかるよ」
「ソウカ。ヨシ!」
「え、ちょっ……?!」
唐突にクニカの腕をつかむと、ニコルは強引に、クニカをどこかへ連れていこうとする。
「待って、ニコル、いったいどこに――?」
クニカの声にはお構いなしに、ニコルは終始黙ったまま、うす暗いアジトの中を進んでゆく。ニコルの“心の色”は緑色だった。だからクニカは、ひとまずニコルを信じるしかなかった。
やがて二人は、一枚の扉の正面にまでやってくる。ニコルは扉のすき間から様子を確かめ、それから一気に扉を開いた。蒸し暑い空気と虫の鳴く音とが、外から流れ込んでくる。
扉の正面、まっすぐ進んだ先には、建物を外界から隔てるフェンスが見えた。ところがフェンスには一か所、大きな穴が開いており、そこからならば外へと出られそうだった。
「えっ、と……ニコル?」
「見エルダロ? アソコダ」
フェンスの穴を、ニコルは指さした。
「アソコカラナラ、安全ニ出ラレル。モウマチガッテ捕マルンジャナイゾ」
「ま、待ってよ、ニコル!」
クニカはあわてて、ニコルに言いすがった。
「あのさ、わたし、まちがってここに来ちゃったわけじゃないんだよね」
「ナンダッテ?」
ニコルの“心の色”が、灰色にかげる。
「ソレナラ、イッタイドウシテ?」
「その……友だちを助けに来たんだ」
「友ダチガ、ココニ?」
「う、うん。昨日の夜くらいに来たはずなんだけど――」
「ア、ワカッタゾ!」
ニコルの表情が明るくなる。
「ソウカ、アノ子ハオマエノ友ダチダッタンダナ」
「分かるの、ニコル?!」
「アア。ウチノ オ偉イサン、アワテテアノ子ヲ引ッ張ッテイッタゾ」
ニコルの言葉に、クニカは奥歯を噛みしめた。リンはみずからを「竜の魔法使いだ」といつわったのだろう。嘘だとばれたら、リンはただでは済まされない。
「――ねぇ、ニコル。リンがどこへ行ったか分かる?」
クニカの問いに、ニコルの顔つきがけわしくなった。
「追イカケルツモリカ?」
クニカはうなずいた。
「危険ダゾ? 死ヌカモシレナイ」
クニカはもう一度、やはり黙ったままうなずいた。
「ニコル、わたしどうしても、友だちを助けたいんだ」
「ソウカ……。――ハッハッハ!」
ニコルがとつぜん、朗らかに笑いだした。
「ニ、ニコル?」
「オマエニソレダケ慕ワレテイルノナラ、ソノ友ダチハ幸セ者サ。――ワカッタ、クニカ。オレモ力ヲ貸ソウ」
「いいの?!」
「モチロンダ、クニカ。オマエニハ世話ニナッタシナ」
しみじみと言ってのけるニコルを前にして、クニカは胸が熱くなった。
「ありがとう、ニコル……!」
「気ニスルナ。――サァ、コッチダ。急ゴウ!」
クニカとニコルの二人は、もと来た道を駆け戻っていく。
――……
いったん建物の外へ出ると、ニコルはまっすぐ、目の前にある小屋へ向かった。
「ニコル、ここって……?」
クニカはかわるがわる、左右を見回してみる。六頭の馬が、おとなしく水を飲み、草を食んでいた。
「馬小屋ダ。コノ馬タチ、オレガ面倒ヲ見テイルンダゼ」
「そうなんだ……」
そっと手を伸ばすと、クニカは馬の頭をなでてみた。馬の鼻息は荒かったが、クニカがたてがみの辺りをなでると、何度も耳をひくつかせた。
「良カッタナ。喜ンデルゾ」
「ホント?!」
「アァ」
馬小屋の奥に分け入ると、ニコルはうず高く積まれていたがらくたをどかしはじめた。
「アノアト、オレハ任務ニ失敗シタカラ、馬ノ世話係ニ降格サレテシマッタンダ」
「そ、そうだったんだ……」
どうりでニコルは、まともに軍服を着ていないわけである。
「ダケドナ、オレニトッテハ、願ッタリ叶ッタリダッタンダナ。本当ダゼ? オレノ家ハ、代々馬飼イダッタンダ。大キナ牧場モアッタンダゼ。ダカラ、コッチノ方ガ落チ着クンダナ」
そのように語るニコルの言葉は、クニカの耳にもはずんで聞こえてきた。そういえばウルノワの病院で会ったときも、ニコルは「馬の世話をしていたい」と言っていた。だからいまのニコルは、それなりに幸せなのだろう。
「ねぇ、ニコル。いま牧場はどうなってるの?」
「……イヤ、ソレガ今ハナインダ」
錆びついたペンキの缶を、ニコルは乱暴に投げ捨てる。
「オレガ小サイトキニダナ、皇帝ノ命令デ、牧場ハ接収サレテシマッタンダ。ダカラ今ハ、工場ニナッテイルヨ」
「そう……なんだ」
「――ナァ、クニカ。実ハダナ、オレハ今日、コノ基地カラ脱走スルツモリデイタンダ」
「え……どうして?」
「オレタチハ今、コウシテ南ノ大陸ニ侵攻シテイルダロ? ナゼダカ分カルカ?」
“侵攻”という言葉の生々しさに、クニカは唇を引きむすんだ。生きてウルトラまでたどり着くのに必死だったから、いまのニコルの言葉は、クニカにとって、まったく違う世界の話のように聞こえた。
「えっ、と……わかんない」
「オレタチノ国モナ、昔ハソレナリニ豊カダッタンダ。ダケドナ、今ノ皇帝ガ“産業化”ヲ推進シタセイデ、山ヤ、川ヤ、空気ガ、ミンナダメニナッテシマッタンダ。オレタチノ国ハ、モウ長クハモタナイナ。ダカラ南ノ国ノ、資源ガ欲シインダ」
どこかの世界で、何度も耳にしたような話を聞いて、クニカは頭が痛くなってくる。
「でも……それって……」
「ヒドイ話ダロ? デモ皇帝ノ命令ダカラ、誰モ逆ラエナイ。ダケド南ノ大陸ダッテヒドイ状況デ、コッチモ大勢死ンデイル。ミンナウンザリシテルノニ、皇帝ハ計画ヲ変エルツモリナンカナインダ」
前方をふさいでいたベニヤ板を、ニコルは引きはがして脇へ移動させる。すると、今まで隠されていた鉄扉が、クニカの目の前に現れた。
「ケレドナ、クニカ。オレハモウ、命令ナンテタクサンダ。コノ南大陸デ姿ヲクラマセテ、馬ト一緒ニ生キヨウト思ッテル。ソコヘダ、クニカ。オマエガヤッテ来タンダナ。コレモキット、運命ナンダロウナ」
手を伸ばすと、ニコルは扉を開け放った。扉の奥には階段があり、ずっと地下まで続いている。
「非常通路ダッタトコロダ。ココカラナラ、友ダチノイルトコロマデツナガッテイル。アト一息ダ、クニカ。最後マデ面倒ミテヤル」
「ありがとう、ニコル……!」
「サァ、行コウ!」
ニコルにつき従ったまま、クニカは基地の最深部をめざし、階段をまっすぐ降りていった。