我の口より喫む者は、都我のごとくなるべし。而して我もまた、其の者となるべし。
『トマスによる福音書』、第108節
「チャイ、起きてください!」
「ン……?」
眩まぶしい――。親友に揺り動かされていることを感じ、チャイハネは目を覚ました。開け放たれた扉から差し込んでくる光が、チャイハネの網膜を刺激する。
(光……陽射し?)
その意味するところに気付き、チャイハネははっとした。”梟”属性の魔法が発現して以来、チャイハネの生活は昼夜が逆転していた。この光は、チャイハネが久しく浴びることのなかった、目覚めの陽射しなのだ。
「シュム……? いったい何が……?」
「こっちのセリフです、チャイ」
身を起こそうとするチャイハネに、シュムは腕を貸した。
「クニカがいないんです」
「“いない”? まさか――!」
起き抜けのはっきりしない頭で、チャイハネはそれでも考えを巡らせた。クニカはやはり、リンを諦めることができなかったようだ。そして、チャイハネとシュムとを眠らせて、クニカは一人でサリシュ=キントゥス人のアジトへと向かったのだろう。
「あのバカ――」
「チャイ、行きましょう」
悪態をついているチャイハネの手を、シュムが握り締めた。
「行くって、どこへ?」
「――クニカのところに決まってます!」
シュムの眼差しを受け止められず、チャイハネは顔を背けた。
「――もう間に合わない」
「そんなの、行ってみなければ分かりません」
むきになって答えるシュムに対し、チャイハネはかぶりを振った。
「シュム、冷静にならないと……。あたしたちじゃどうにもならない」
「――チャイは冷静過ぎます!」
シュムの言葉の最後の方は、ほとんど悲鳴に近かった。
「二人が心配じゃないんですか?!」
「――心配じゃないわけないだろ?」
シュムの手を振りほどくと、チャイハネはため息をついた。
「あたしだって嫌さ、こんなの」
うなだれるシュムに対し、チャイハネは言った。
「だけど二人じゃどうしようも――」
「――三人だゾ。」
予期せぬ声に、チャイハネとシュムとが同時に振り返った。
窓枠に腰かけ、足でせわしなく白木の床を叩いているのは、カイだった。カイはいたんだ黒のオーバーオールを身にまとい、軍手をはめ、釣竿と魚籠とを担いでいた。まるでこれから、釣りに行くとでもいったような有様だった。
「カイ……?」
串焼きにされた魚を頬張っているカイを見て、チャイハネは目を丸くする。
「いったいどうして……?」
「カイ、クニカと友だちだゾ。」
魚を口に含んだまま、カイは言った。
「クニカの友だちは、カイの友だちだゾ。だからカイ、二人を呼びに来たゾ。みんなでクニカのところに行くゾ」
とつぜん立ち上がると、カイは魚を握ったまま、
「ニンゲンを捕る漁師!」
と、声を張り上げた。
「カイ……言葉の意味、ちゃんと分かってる?」
腕を振り上げたままのカイのもとへ、チャイハネはにじり寄る。
「死ぬかもしれないんだぞ? 冗談抜きで――」
「――分かってないのはチャイの方だゾ?」
「え……?」
「死ぬかもしれないけど、クニカはリンのところへいったゾ」
魚の骨を噛みつぶしながら、カイは答える。
「だからカイも、死ぬかもしれないけど、クニカのところへ行くゾ」
チャイハネは、すぐに言い返すことができなかった。カイの言っていることは素直だった。そして素直であるがゆえに、自分が越えられない枠を、カイが軽々と飛び越えているように、チャイハネの目には映った。――カイは、チャイハネに枠を越えるよう、手を差し伸べているのだ。
「――さぁ、みんなでクニカのところへ行こー!」
「チャイ――」
立ち尽くしていたチャイハネの右手に、シュムが自らの手を滑り込ませた。
「シュム……?」
「行きましょうよ、チャイ。二人じゃダメでも、三人ならきっと大丈夫です。だってそうでしょう? だから私たち、ウルノワで助かったんですよ? チャイ、勇気を出してください!」
「おおーっ?!」
シュムの言葉を聞き、カイの目がきらめく。
「カイ、友だちが増えるの嬉しいゾ!」
「私もです、カイ!」
「アハハ!」
かん高い声で笑うと、カイは焼き魚の串を振り回した。
「ニンゲンを捕る漁師――!」
「分かった、分かったよ……!」
焼き魚を振りかざすカイのこぶしに、チャイハネは手を添えた。
「行こう。だけど死にに行くんじゃない。リンを助けに行くんだ。絶対にうまくいく。そうだろ、シュム?」
「当たり前です、チャイ!」
「おーし!」
分かっているのか、いないのか。カイが声を張り上げた。
雲一つない青空だった。今日ばかりは、“黒い雨”も降りそうになかった。