クニカが再び眠りについてから、突然起き上がった人物が一人いた。リンである。息苦しさを感じ、リンは目を覚ましてしまったのである。リンの周囲は真っ暗で、皆寝静まっているようだった。
(何だよ)
と、リンは心の中で悪態をついた。寝る前に皆で
「見張り番を立てよう」
と決めていたからだ。
チャイハネの次は、リンの番である。それなのに、チャイハネはリンを起こしに来ていない。きっと、チャイハネも寝てしまっているのだろう。
「全く……」
起き上がると、リンは寝所から抜け出し、ダイニングへと出た。“鷹”属性の魔法の属性のため、昼間は抜群の視力を誇るリンだったが、夜になってしまえば、リンの視力は普通の人と大差がなかった。
何とか机まで近づくと、リンは机の上のものを掴み取った。ロウソクである。テーブルを手で撫で回してマッチを探り当てると、リンはマッチに火を着けた。
「うぉっ?!」
リンは、危うくマッチを取り落しそうになる。マッチの明かりに照らされて、椅子に座っていた人物の姿が、はっきりと映し出されたからである。
それは、チャイハネだった。
「あぁ、ビックリした……。全く、脅かすなよな」
「リン……起きてたのか……」
無表情のまま、チャイハネはリンに言った。
「目が覚めちまってな。お前こそ、何で起きてんだよ?」
「夜行性なんだ、フクロウは」
「そういうことか」
椅子を引っ張ると、リンも座った。腕を組むと、リンはチャイハネが話し始めるのを待った。ところが、チャイハネは物思いにふけっているようで、いっこうに話し出すそぶりがなかった。
「あのさ……」
結局、リンが先に口を開くことになった。チャイハネは、目線だけを動かし、リンに応じる。
「その……悪かったよ」
「悪い?」
「ほら、病院で……お前たちのこと疑っただろ? クニカがヤバかったら、オレも、チャイハネと同じことをしてたと思うんだ」
「ふーん?」
チャイハネはわざとらしく天井を見上げた。
「そんなことあったかな?」
「何だよ、ちぇっ」
リンはそっぽを向いた。
「人がせっかく勇気出して謝ってるっていうのに――」
「分かってるよ、リン。なぁ、すねるなって。ホント正直だよな、リンって」
「別に」
とはいうものの、リンはまんざらでもなかった。
ともすれば、少しくらいおどけたっていいかもしれない――、リンがそう考えていた。その矢先、
「だからさ、」
と、いつになく真剣な口調で、チャイハネが言った。
「なぁ、だからさ、リン。お前のその正直さを、クニカにも見せてやってほしいんだ」
「どういう意味だよ?」
「クニカはお前の家族じゃない、ってことさ」
チャイハネのこの言葉を聞いた瞬間、リンは氷漬けにされたかのように、ぴたりと動作を停止した。チャイハネの言葉に対し、リンはどう反応すれば良いのか、分からなかった。
「さっき、クニカが起きてきたんだ。それで、あの子のロケットを触った」
チャイハネの口調はぶっきらぼうだったが、両腕だけは、机の上に置いてあった。激高したリンが飛びかかってくることを想定して、チャイハネも警戒していたのだ。
しかし、そんなチャイハネの思惑とは裏腹に、リンはただ動揺しているだけだった。
「見たのか……中身を……ロケットの……?」
リンの声は震えていた。チャイハネは首を振った。
椅子から立ち上がると、リンは、チャイハネの服の袖を引っ張った。
「なぁ……頼む。アイツには……クニカには言わないでくれ、お願いだ」
「やめろよ、リン」
声を荒げると、チャイハネはリンの手を振りほどく。
「そういうのはやめろよ。お前らしくないだろ?」
チャイハネの言葉は諭すようだったが、それがリンの心の闇を、深々とえぐってしまった。
「――お前にオレの何が分かるんだよ?!」
「何も分からないさ、リン」
チャイハネは答えた。
「ちょうどリンが、あたしの気持ちを分からないのと同じだよ」
リンは、顔を背けた。
「……困らないだろ?」
「『困らない』?」
チャイハネが目をむいた。
「そうかい? まぁ、そうかもしれないな。それで、どうなるんだ、リン? その先は? クニカに黙ってるつもりなのか? あの子がお前に付き合ってくれると、本気で思ってるのか?」
「それは――」
「おせっかいだってことは分かってるさ、リン。だけどお前の問題だろ? このままでいいのか? いつか言われるんだぞ、クニカに『リンの言うことは嘘だ』って――」
チャイハネは言葉を切った。クニカとシュムは、壁一枚を隔てて寝ている。二人には、特にクニカには、この会話を聞かれるわけにはいかなかった。
「……言いたいことはそれだけか?」
かすれた声で、リンはチャイハネに尋ねてくる。リンの拳は、固く握り締められていた。
「リン……喧嘩したいわけじゃないんだよ」
チャイハネは辛抱強く、リンに言った。
「言い過ぎたのなら、謝るよ。だけど、あたしはただ――」
「もういい」
チャイハネに向き直ると、リンはただ一言、そう口にした。そのままきびすを返すと、リンは寝所へと戻ってしまう。
「リン!」
チャイハネはリンに呼びかけたものの、それ以上にどうすることもできなかった。椅子に座り直すと、チャイハネは頭を抱え、長い夜をひとりで過ごした。