深い闇の中で、少年がすすり泣いている。
先ほどの映画の主人公・加護原國香である。
一部始終を見せつけられ、クニカは自分の立場を理解した。銀幕を駆け抜ける映像は、自分の走馬灯だったのだ。
座席の片隅にうずくまったまま、クニカは泣いていた。周囲の闇が、今のクニカにとって唯一の救いだった。
涙を堪えようとするたび、後悔の波がクニカを襲った。走馬灯の中に映されていたのは、小・中・高の入学式だけ。
なぜそれだけだったのか?
簡単だ。ロクな人生じゃなかったからだ。
「うっ、うっ……」
クニカには、それが悔しかった。あっけなく命を落とし、今は闇の中に閉じ込められている。
「嫌だ……」
心の声が、クニカの喉を突いて出た。
声が甲高くなっていることに、クニカは気付かない。
◇◇◇
どれほどの時間が経っただろう。闇の奥から、音が響いてくる。それは、太鼓の音にも似た音だった。空気を震わせながら、音はクニカのもとまで近づいてくる。
顔を覆っていたクニカも、音が気になりだした。泣きはらした目を、クニカは闇の彼方へ向ける。近づくにつれ、音は低く、波のようにうねりだした。
何か来る――、クニカが腰を浮かせた、その矢先。
「うわっ?!」
突風が、クニカの全身を包んだ。息をすることもままならず、クニカは顔をかばう。まぶたの裏が明るくなった。闇がかき消えてしまったのだ。
「あっ――?!」
悲鳴を上げ、クニカは尻餅をついた。席が消え去っている。
びちゃっ、
クニカの周囲から、水のはねる音がした。先ほどと違い、周囲を遮るものはない。地面は浅く水をたたえ、水盤には、空と雲とが映りこんでいる。
吹きすさぶ風に、クニカは身震いした。どういうわけか、クニカは服を身につけていなかった。
視線を落としたクニカは、自分の身に起きた変化に気付く。丸みを帯びた関節、くびれた腰、ふくらんだ乳房――、
「何で――?!」
叫んでみれば、声は高い。
地面の瀝青に手を突くと、水辺に映る顔を、クニカは凝視した。丸い輪郭に、青くつぶらな瞳、桜色の髪に、柔らかそうなほっぺた――。
「そんな……」
クニカは女の子になっていた。
自分は死んでいる。走馬灯を見せられた。そして今、女の子になっている。
なぜ?
どうして?
心臓が鼓動を打つたび、頭の中に疑問が沸いてくる。疑問は沸き立って、クニカは爆発してしまいそうだった。
◇◇◇
這いつくばっているクニカを、大きな影が塞いだ。顔を上げたクニカは、立ちはだかっているものを理解するのに、数秒かかった。
「……だれ?」
まぬけな質問しか、クニカの脳裏には浮かんでこない。
巨大な人間が、クニカの前に立ちはだかっている。水盤の彼方に立ち、巨人はクニカを見下ろしていた。腰から下は、水平線に隠れて見えない。
世界中の闇を掻き集めたのではないかというくらい、巨人の肌は黒い。青い瞳でクニカを見据えると、巨人は右腕を上げた。塔のように太い親指と人差し指で、一本の針をつまんでいる。
ぎらついた針の先端を見て、クニカも我に返った。巨人にとっての針は、クニカにとっての幹である。刺されたりなどしたら、今度こそあの世行きだ。
「待って、やめて……」
蚊の鳴くような声を発し、クニカは逃げ出そうとする。だが、巨人は容赦ない。転んだクニカめがけ、針が迫った。
「嫌――!」
クニカの背中に、針が刺さる。針が触れた瞬間、クニカの全身を光が包んだ。痛みはない。ただ、全身がしびれた。
なおも這って逃げようとするクニカに、再び巨人の針が迫った。腰の左側に針があてがわれ、光がクニカの全身を包んだ。
恐怖のあまり、クニカは叫びっぱなしだった。クニカの額に、巨人は針を刺す。クニカはまぶたの裏からでも、光を感じ取ることができた。暗闇を抜けたときよりも明るく、穏やかな光だった。
巨人は針を下ろした。息を切らしているクニカを見下ろし、巨人は笑っているようだった。
巨人の姿が、忽然と消える。
クニカを支えていた水盤が、足元の方向へ傾きだした。
「ええっ?!」
声を出すので、クニカは精一杯だった。天地がひっくり返り、クニカの身体は、空へと投げ出される。混乱と恐怖に揺さぶられたまま、クニカは空中で意識を失った。