第2話:異世界へ(В Подполье)

 深い闇の中で、少年がすすり泣いている。

 先ほどの映画の主人公・加護原カゴハラ國香クニカである。

 一部始終を見せつけられ、クニカは自分の立場を理解した。銀幕を駆け抜ける映像は、自分の走馬灯だったのだ。

 座席の片隅にうずくまったまま、クニカは泣いていた。周囲の闇が、今のクニカにとって唯一の救いだった。

 涙をこらえようとするたび、後悔の波がクニカを襲った。走馬灯の中に映されていたのは、小・中・高の入学式だけ。

 なぜそれだけだったのか?

 簡単だ。ロクな人生じゃなかったからだ。

「うっ、うっ……」

 クニカには、それが悔しかった。あっけなく命を落とし、今は闇の中に閉じ込められている。

「嫌だ……」

 心の声が、クニカの喉を突いて出た。

 声が甲高かんだかくなっていることに、クニカは気付かない。

◇◇◇

 どれほどの時間が経っただろう。闇の奥から、音が響いてくる。それは、太鼓の音にも似た音だった。空気を震わせながら、音はクニカのもとまで近づいてくる。

 顔を覆っていたクニカも、音が気になりだした。泣きはらした目を、クニカは闇の彼方かなたへ向ける。近づくにつれ、音は低く、波のようにうねりだした。

 何か来る――、クニカが腰を浮かせた、その矢先。

「うわっ?!」

 突風が、クニカの全身を包んだ。息をすることもままならず、クニカは顔をかばう。まぶたの裏が明るくなった。闇がかき消えてしまったのだ。

「あっ――?!」

 悲鳴を上げ、クニカは尻餅をついた。席が消え去っている。

 びちゃっ、

 クニカの周囲から、水のはねる音がした。先ほどと違い、周囲を遮るものはない。地面は浅く水をたたえ、水盤には、空と雲とが映りこんでいる。

 吹きすさぶ風に、クニカは身震いした。どういうわけか、クニカは服を身につけていなかった。

 視線を落としたクニカは、自分の身に起きた変化に気付く。丸みを帯びた関節、くびれた腰、ふくらんだ乳房――、

「何で――?!」

 叫んでみれば、声は高い。

 地面の瀝青れきせいに手を突くと、水辺に映る顔を、クニカは凝視した。丸い輪郭りんかくに、青くつぶらな瞳、桜色の髪に、柔らかそうなほっぺた――。

「そんな……」

 クニカは女の子になっていた。

 自分は死んでいる。走馬灯を見せられた。そして今、女の子になっている。

 なぜ?

 どうして?

 心臓が鼓動こどうを打つたび、頭の中に疑問がいてくる。疑問はき立って、クニカは爆発してしまいそうだった。

◇◇◇

 いつくばっているクニカを、大きな影が塞いだ。顔を上げたクニカは、立ちはだかっているものを理解するのに、数秒かかった。

「……だれ?」

 まぬけな質問しか、クニカの脳裏には浮かんでこない。

 巨大な人間が、クニカの前に立ちはだかっている。水盤の彼方かなたに立ち、巨人はクニカを見下ろしていた。腰から下は、水平線に隠れて見えない。

 世界中の闇をき集めたのではないかというくらい、巨人の肌は黒い。青い瞳でクニカを見据えると、巨人は右腕を上げた。塔のように太い親指と人差し指で、一本の針をつまんでいる。

 ぎらついた針の先端を見て、クニカも我に返った。巨人にとっての針は、クニカにとっての幹である。刺されたりなどしたら、今度こそあの世行きだ。

「待って、やめて……」

 蚊の鳴くような声を発し、クニカは逃げ出そうとする。だが、巨人は容赦ようしゃない。転んだクニカめがけ、針が迫った。

「嫌――!」

 クニカの背中に、針が刺さる。針が触れた瞬間、クニカの全身を光が包んだ。痛みはない。ただ、全身がしびれた。

 なおもって逃げようとするクニカに、再び巨人の針が迫った。腰の左側に針があてがわれ、光がクニカの全身を包んだ。

 恐怖のあまり、クニカは叫びっぱなしだった。クニカの額に、巨人は針を刺す。クニカはまぶたの裏からでも、光を感じ取ることができた。暗闇を抜けたときよりも明るく、穏やかな光だった。

 巨人は針を下ろした。息を切らしているクニカを見下ろし、巨人は笑っているようだった。

 巨人の姿が、忽然こつぜんと消える。

 クニカを支えていた水盤が、足元の方向へ傾きだした。

「ええっ?!」

 声を出すので、クニカは精一杯だった。天地がひっくり返り、クニカの身体は、空へと投げ出される。混乱と恐怖に揺さぶられたまま、クニカは空中で意識を失った。

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