――この言葉を顕らむる者、死を超ゆる者たらん(この言葉の意味を理解できるものは、死を味わうことがないであろう)。
『トマスによる福音書』、第2節
何ごとも、始めが肝心である。
だから、物語に入る前に、ちょっとだけ想像力を働かせてみてほしい。
今、あなたは映画館の前にいるとしよう。
チケットを切ってもらったあなたは、館内で自分の席を探す。照明が消える前に、あなたは席に着かなければならない。映画はすぐに始まるからだ。
席へ着くと同時に、映画が始まった。映写機の乾いた音が、館内に流れ出す。
オープニングロールの幕が開いた。題名は
『加護原 國香君の一生』
である。
さえないタイトルだが、ここは忍耐のしどころだ。良く言えば「奇をてらわない」、悪く言えば「ぱっとしない」題名の作品こそ、案外名作だったりするのだから。
一瞬、画面が暗くなる。
次には、新しいシーンが投影される。
映し出されたのは、小学校の校門だ。入学式、校門の前には、三人の親子連れが立っている。両親の間には、一人の男の子がいる。三人は、写真を撮ってもらおうとしていた。
少年が着るブレザーのポケットには、
かごはら くにか
と書かれた名札がついている。クニカ少年は緊張した面持ちで、唇を引き結んでいた。真新しいランドセルに、クニカ少年は“背負われている”といった格好だ。
息子を見て、夫婦は微笑みを交わした。母親は専業主婦で、父親は地方銀行の行員だ。平凡で、しかしつつましやかな家庭だった。
桜の花が見ごろをむかえている。少年の門出を、花びらが祝福していた。
一瞬、画面が暗くなる。
次には、新しいシーンが投影される。
スクリーンに映し出されたのは、またしても学校の門である。立て札に書き込まれているのは、中学校の校名だ。映りこむ人数は、二人に減っている。多忙な父親は、息子の入学式にとうとう行くことができなかった。母親が寄りそうようにして、少年と肩を並べている。
学ランを身につけた少年は、うかない顔をしていた。反抗期ゆえだったが、まだ幼い顔立ちとあいまって、むしろ周囲を微笑ほほえましくさせた。
クニカ少年は背が伸びた。男の子の例に漏れず、母親そっくりである。つぶらな瞳と、丸い輪郭は、母親とうり二つだった。
今年は、春の訪れが早い。桜の花びらは街路を埋め尽くし、木々には若葉が目立っている。
一瞬、画面が暗くなる。
次には、新しいシーンが投影される。
高校の門の前に、一人の少年がたたずんでいる。クニカ少年である。クニカ少年は、着慣れないブレザーが窮屈そうだった。
クニカ少年は律儀に、両手をベルトの前で重ねていた。これも何かの宿縁なのだろうか。それは、銀行員の父親をほうふつとさせる仕草だった。
相変わらず顔立ちは母親に似ているが、眩しい日差しに眉をひそめる表情などは、父親そっくりだ。
父親の姿も、母親の姿も、クニカ少年の傍らにはない。父親は仕事が忙しく、母親は病気の叔父を見舞うために、郷里へ帰っていた。
そんなクニカ少年を気遣い、中学時代からの友人の父母が、彼のことを写真に収めてくれたのだ。
桜は散り際だった。クニカ少年を塗りつぶすように、桜の花びらが降り注いでいる。
一瞬、画面が暗くなる。
次には、新しいシーンが投影される。
今度は、どこでもない。スクリーンのすべてを、青い空が占めている。カメラはアングルを下に持ってゆく。
画面の中央に、ひしゃげた自転車が登場する。千切れ飛んだサドルが映り、サイレンの音が館内を埋め尽くした。救急車のサイレンだ。
車道に倒れているのは、一人の少年だった。ダンプカーに撥はねられ、少年はピンポン球のように弾き飛ばされたのだ。左手首が、変な方向によじれている。鞄かばんは破れ、教材が散逸していた。『物理Ⅰ』の教科書に、血がしみこんでゆく。少年の血が、少年の身体を沈めていった。
散らばっている道具の中に、学生証がある。
加護原 國香
と書いてあった。
映像はここで途切れる。
◇◇◇
映画は終わった。照明は全て落ち、周囲は静寂に包まれた。
「あぁ……」
闇の中、一人のうめき声が聞こえる。顔を両手で覆い、すすり泣いているようだ。
その人を見てみよう。