第14話:戦車(Бак)

 ギャングたちをい潜って、クニカとリンは隠れ場所を探す。狭い道には、菩提樹ぼだいじゅの並木が張り巡らされていた。並木は焦げていたり、根こそぎになっているものもある。

 それだけではない。立ち並んでいるアパートメントは、ところどころが微塵みじんに打ち砕かれている。鎧戸よろいどや、外壁や、店舗のひさしに使われるビニールシートなどが、街路に散乱していた。平和なときに干されていただろう洗濯物が、黒焦げになって窓に張りついている。

「ねぇ、リン」

「静かにしてろ!」

「ここ……おかしいよ?」

「分かってるよ――」

 とは言っているが、リンのこめかみにも冷や汗が伝っている。何か悪いことが、“黒い雨ドーシチ”よりもずっと悪いことが、この街では起きているようだった。

「あそこだ」

 リンの指差す先に、レンガ造りの建物がある。建物の周囲には、うっそうとつたの絡んだ、鉄細工の垣根が張りめぐらされていた。入り口に屋根がついていて、鉄製の枠には表札がはめてある。もとは金文字だったと思われる表札の文字は剥げていて、時代モノの鏡のように、細かいシミが一面についていた。

 表札には

 Ъеспин Швейная Машина Завод

 と書いてある。

「ミシン工場?」

「入るぞ」

 リンに急かされ、クニカも転がるように中へ入っていった。

◇◇◇

 中へ入るやいなや、リンは、迷うことなく二階へと進んでいく。

「どこに行くの?」

「とにかく、事務所みたいなところだ。地図を探さないと」

 リンの言葉に、クニカもうなずいた。二人とも、このベスピンという街をよく知らない。安全に街から抜け出すためには、地図が必要だった。

 「所長室」の前までやってくると、リンが扉を引っ張る。開かない。悪態をつくと、リンはスニーカーを脱いで、素足を扉につけた。足はたちどころにして鷹のかぎ爪に変わり、爪が扉に食い込む。紙を裂くようにして、扉が破れる。

「入るぞ! ――どうした?」

「すごいなァ、って……うぎゃっ?!」

「ばか。感心してる場合か」

 げんこつでぶん殴られているクニカをよそに、リンはさっさと扉をくぐる。所長室に入ると、リンは机の引出し、キャビネットなど、調べられるところを片っ端から漁り始めた。

「できることは何でもしないと――」

「……リン?」

 リンが静かになったので、クニカは顔を上げる。リンの視線は、窓の向こうに釘付けだった。

「リン、どうしたの?」

「クニカ、アレは……なんだ?」

「“アレ”?」

 リンが示す方向を、クニカも見つめてみる。そこは広場だった。――いや、もとはただの路地だったのだろうが、周辺の建物が粉々になったせいで、開けてしまっていた。

 そんな広場に鎮座しているモノを見て、クニカはすくみあがる。胴体の両側についている巨大なキャタピラ、分厚い装甲。ずんぐりした車体、遠近感を無視してそびえる一門の砲塔――。

 戦車ヴァクだった。

「せ、戦車……」

「センシャ?」

「でも、何でこんなところに……?」

「おい、クニカ、センシャって何だ?」

 クニカは一瞬、「シトォ?」と訊ききそうになった。しかし、その前に、戦車が不意に動くと、砲塔がクニカたちの方に向けられた。

「リン、伏せて!」

 二人はすぐさま、机の後ろに身を隠す。砲撃される! ――クニカはそう考えたが、弾が発射される気配はない。

「大丈夫そうか?」

「う……ん」

 リンに促され、クニカはやっとの思いで立ち上がる。腰が抜けてしまいそうだった。

「リン、戦車を見たのって初めて?」

 リンはうなずいた。もちろん、クニカだって戦車などは初めて見た。だが、リンは根本的に「戦車」が何なのか、分からないようだった。

 所長室を漁る傍ら、クニカは、戦車について説明した。初めはうなずき返していたリンも、だんだんと顔が引きつっていく。リンの胸に見える心の色も、くっきりとした冷たい青色に変わった。

「何だよ! どうなってんだよ!」

 しかし、クニカが喋り終わった途端、リンの癇癪かんしゃくが爆発した。

「リン、落ち着いてってば」

「おかしいだろ?! 何でギャングたちが戦車なんて持っているんだよ! オレたちだって欲しいよ! な、クニカ?」

(そういう問題じゃない)

 しかし、リンの言うとおりである。ただのギャングたちが、戦車を持っているなんておかしい。

 そもそも、リンが狙撃された段階からしておかしいのだ。どうやってギャングたちは、ライフルなどという物騒なものを入手したのだろうか。

 程なくして、リンが目当てのものを探り当てる。

「あったぞ、クニカ!」

 机の上にあるものを、リンは腕で払いのける。ペン、インク壺、文鎮などが床に散らばった。

【ベスピン市市街図。製作:ベスピン商工会議所】

 クニカもリンも、目を皿のようにして地図を見つめた。まずクニカの目を引いたのは、市街を東西に分断しているエツラ(Эзра)川だった。ほとんど地図の四分の一が、この川で埋め尽くされている。

「か、川?!」

 クニカは声を上げてしまう。街に入ってからこのかた、川の存在などこれっぽっちも感じ取れなかったためだ。

 しかも、このエツラという川、相当幅が広いようだ。――道すがらに見たオミ川を思い出し、クニカの背中を汗が伝う。エツラ川も、オミ川に劣らず広いはずである。

 となると、このベスピンという街、ヤンヴォイとは比べ物にならないほど大きい。

「クニカ、ここを見ろ。オレたちはここだ。――ここが国道。そのままこっちに来てるから……」

「右岸にいる、ってこと?」

「そうだ」

 エツラ川を示す水色のラインを、リンが人差し指で叩く。川を中心に、街は東西に分かれている。クニカとリンは今、右岸にいる。脱出するためには、左岸へ渡らなければならない。

「ここだ」

 リンは指で、地図の一部を囲った。エツラ川を横切るようにして、赤いラインが四、五本描かれている。

「橋?」

そうだダァ。これで向こう岸へ渡れる」

「そうか。……えっ、でも、それって――」

「どうした?」

――納まってるのは対岸のコンテナの中さ。

――お頭が取りに行くのを許すと思うか?

 水路の中で聞いた話を、クニカは思い出した。“お頭“なる人物がいて、人が対岸へ渡ることを禁止しているのだろう。

「ねぇ、リン、いったん橋の様子を――」

 確かめに行こう、クニカがそう言おうとした矢先、

「おォい、誰かいんのかァ?」

 間の抜けた声が、窓の向こう側から響いてきた。自分たちに向けられた声だと察知し、クニカもリンも戦慄する。

「おい、ウスノロ、あんまのろのろしてると、雨が降ってきても助けてやんねぇぞ」

 窓の向こうから、別の人物の笑い声がした。今しがた声をかけたのは、リンを狙い撃ちしたあの“ウスノロトゥピッツァ”らしい。

「でもよォ……」

「『でもよォ』じゃねえ、バカ。とっとと戻るぞ。お頭が呼んでる」

 “ウスノロ”はうなったり、鼻をすすったりしていたが、とうとう諦めたらしい。“ウスノロ”と思しき人間の心のもやもやが遠ざかっていくのを見て、クニカはほっとする。

「いなくなった……」

「待ってろ、確かめる」

 窓に近づくと、リンは外を注視する。安全なのを確認し、改めてクニカに立ち上がるよう合図した。

「クニカ。続きを話してくれ」

 クニカは話を続けた。橋は通行止めになっていること、その命令を下しているのが、“お頭”なる人物であるということ――。

「なるほどな」

 天井を見上げ、リンは考え込む。リンのポニーテールが、頭の動きに合わせて揺れる。

「つまり、お頭ってヤツが分からないと、何も分からない、ってことだよな?」

 リンの言葉に、クニカはゴクリと唾を呑みこんだ。

「……なぁ、クニカ、さっきのヤツら“戻るぞ”って言ってたよな?」

「うん」

 クニカは頷き返した。

「どこに戻るつもりなんだ?」

「アジト、とかじゃない?」

「――そこに行ってみよう」

「でも……危険じゃ……」

「バカ。オレ一人で行くんだよ。お前は隠れてろ。どんくさいからな」

「うっ……」

 そんなことを言われるのではないかと覚悟はしていたが、面と向かって「どんくさい」と言われると、クニカは落ち込んだ。

「でも、わたしも一緒に行きたいよ、リン」

「ダメだ」

「撃たれたらどうすんの?」

 何気なく尋ねたクニカだったが、リンの身体がビクリと震えた。リンの心の色が一瞬、恐れを示す青色に変わった。

「そしたら……」

 リンは言いかけるが、最後まで続かなかった。

 リンの手を、クニカは握り締める。クニカの想像する以上に、リンの手は冷たかった。

「わたしも一緒に行く」

「わかった、分かったよ」

 リンも、クニカの手を握り返した。

「オレからぜったいに離れるなよ。危険だったら、すぐに引き返す。いいな?」

 リンの言葉に、クニカはうなずき返した。

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