第93話:覚者の童心

 がたつきながらも、デンシャは目的地へ到達した。速度が急速にしぼんでゆき、停止線の間際でぴたりと停止する。

「着いた……」

 感慨深げに、セフが言葉を発した。デンシャの扉はひとりでに開いて、三人を主なき都へと招きいれる。

「暗いわね」

 周囲の安全を確かめつつ、ヒスイはぼやいた。高架を抜けてすぐに、デンシャはトンネルの中へ入ってしまっていた。転日京内の建物のどこかなのだろうか、いかんせん暗く、場所も分からない。

 イェンだったら何かを知っているのかもしれない。しかしヒスイの銃撃を喰らった後、イェンは目を閉じたままだった。胸が緩やかに上下しているから、死んでいるわけではないのだろう。しかし気絶したままでは、取り付くしまがない。

「――耀ひかりあれ!」

 不意に、エバの鋭い叫び声がした。その言葉に呼応するかのように、ヒスイの背後からまばゆい光が漏れた。ヒスイがそちらを振り向いてみれば、エバが手から白い泡を放っていた。白い泡は青白い光を投げかけ、周囲をほのかに照らしていた。

「この場所……」

 建物の内装に目を向けたヒスイは、いぶかしげに周囲をにらんだ。この建物全体が、下天で見た“チカテツ”の様子に酷似していた。

「うっ?!」

 そのとき、ヒスイの頭を頭痛が襲った。

「ヒスイ?!」

「大丈夫、大丈夫よ――」

 慌てて駆け寄ってきたエバに、ヒスイは手で合図した。だがその言葉とは裏腹に、ヒスイは自らの頭痛の正体を疑っていた。今までも時々頭痛が襲ってきた。しかしそれは、ヒスイの記憶に繫がるキッカケがあったからに過ぎない。記憶の蘇った今になって、どうして頭痛が襲ってくるのだろうか。

 だが、悠長に考えている時間はヒスイに残されていなかった。身の毛もよだつような叫び声が、通路の向こうから複数聞こえたためである。

「来る!」

 即座にヒスイは銃を構え、通路の奥を狙い澄ました。叫び声が聞こえてから標的がやってくるまでには、妙に間延びした時間が溢れかえった。それでも間違いなく、敵はヒスイたちへと吸い寄せられてきた。

 通路から飛び出してきたのは、初老の兵士だった。ヒスイも一瞬、引き金を引くのをためらう。

 男が顔を上げる。目は血走っており、歯と歯茎の間からは黄色い汁が滴っていた。

 異常な様子に三人は立ちすくんでしまった。それでも男の叫び声に、ヒスイが真っ先に我に返った。

 背筋を伸ばし、ヒスイが男へ銃口を向ける。銃声! 男の顔に渦ができ、そして瞬時に四方へはじけた。辺りに飛び散ったのは、鮮血ではなく黄色い汁だった。そのむっとする臭いに、エバが衣の裾で鼻を覆う。

 闘いはまだ終わらない。今しがたの男に引き続き、標的が次々と通路からなだれ込んでくる。皆が黒の衣を着た兵士たちだった。

「はぁっ!」

 ヒスイの後方でエバが甲高い声をあげた。にわかに周辺が暗くなり、ヒスイの背筋を怖気が走った。

「下がって、ヒスイ!」

 エバの周りを黒い煙が取り囲んでいた。ヒスイが立っていた直線上を、エバの放った闇の稲妻が迸った。黒い稲妻はたむろしていた標的たちを貫き、黒い火花となって一気に膨張した。膨張の風圧で壁が軋み、瀝青が剥がれる。

 ヒスイが目を開いたときにはもう、標的たちはばらばらにはじけ飛んでいた。虫の息になっている残党の喉は、セフの握りしめた氷霜剣で掻き切られる。

「……これで全部かしら?」

 目から溢れる黒い涙を拭いつつ、エバがヒスイに訊ねた。

「そうだといいんだけど……」

 エバに返事をしつつ、ヒスイは千切れ飛んだ兵士の亡骸を探った。兵士の遺骸には、エバの放った稲妻の爪跡がくっきりと残っている。そんな傷口から黄色い汁が染み出し、湯気を立てていた。

 目を凝らしていたヒスイは、そこであることに気づいた、皮膚と衣服との断面から、青いかけらがはみ出している。

(この青色……)

 イェンの角も、同じ青色が付着していた。

「触るな、ヒスイ」

 手をのばしかけたヒスイの耳に、誰かの声が響き渡った。

「――ロイ?」

 聞き覚えのある声に、太刀にかけた手をセフは放した。再び通路の奥から、一人の人影が現れた。エバが光の泡を操り、通路の奥を照らす。

「ロイ? ロイなの?!」

「そうだ、ヒスイ」

 駆け寄ったヒスイのもとに、ロイの全身が明らかになる。しかしロイの有様を見て、三人は言葉に窮した。

 三人が最後に見たときと同じ服装を、ロイはしていた。ただ青かったはずのその胴衣は焼け焦げ、血みどろになり、もはや何色だったのか判然としなくなっていた。服の帯には、荒縄で何かがくくりつけてある。それは幾つかのドクロだった。

「そのドクロ……」

「ん? ああ、これか?」

 ロイは縄を引っ張ると、腰に提げていたドクロを見せびらかす。

「これが、サイ督尉の頭蓋だ」

 淡々としたロイのセリフが、三人の心を深くえぐった。

「で、こっちが俺の相棒のレンって奴の骨だ。で、これが……」

「――もういい!」

 ロイの言葉を遮ったのは、セフだった。

「ロイ、やめて……お願いだから……」

 冷徹な視線をセフにささげていたロイだったが、やがてドクロを持ち上げていた手を離し、ヒスイに向き直った。

「お前がいなくなったら、みんな死んでしまったぜ。反対にお前がやってきたら、何が起きるんだ?」

 ヒスイの隣で、エバが怪訝そうな顔をしていた。ロイの言葉を、エバは皮肉か、それとも挑発だと受け取ったのだろう。

 だがヒスイは違った。ロイの放った言葉は挑発でもなんでもない。ヒスイ自身の真価を問うような、一つの問答をロイは発しているのだ。それをヒスイは直観した。

「何も起きないわよ、ロイ」

 ロイは黙ったまま、まだヒスイを見ていた。

「強いて言うのなら、ひねくれ者がやってきて、人間嫌いが死んでいくだけ」

 そのやり取りを、エバとセフが固唾を呑んで見守る。ヒスイの含意こそ読み取れなかったが、二人にはロイの反応だけが気がかりだった。

「ふふっ……」

 視線を交わし終えた後、何を思ったのか、ロイが俯いて小さく笑った。よほどヒスイの答えが気に入ったのだろうか、ロイはしばらく肩を振るわせていた。

「そうか……俺にとっては、残念な時代が来るな」

 深くため息をついてから、ロイはそれだけ返事をした。その言葉に、先ほどの問い詰めるような圧力はなかった。

「ええ……でも、私にとってもよ?」

 ヒスイはそう嘯くと、ロイに一歩近づいた。不安げに様子を見ていた二人も、ロイのほうへ引き寄せられる。

「ロイ、その……仲間のことだけど」

「気にすんな。死んでしまえば皆同じだ」

 打って変わってあっけらかんとした口調で、ロイがエバの言葉を遮る。慰める必要もないものと判断したらしく、エバも鼻白む。

 その一瞬の間に、ロイはエバの表情を盗み見ていた。しかしそれに気づいたのはヒスイだけだった。

「ねぇロイ。私たちがいない間に、転日京で何が有ったの?」

「――詳しく話すとすげぇ長くなる」

 短刀を砥石で研ぎながら、ロイが三人を外まで先導する。

「まず俺とイェン国従で、ジスモンダを捕まえようとした。はじめはうまくいくと思ったんだが、あいつのほうが一枚上手だった。サイファを討伐する段階で、既に何人かを洗脳していたらしい」

「洗脳って……」

「“竜の瞳”ってヤツだ」

 初めて聞く言葉に、ロイ以外の三人は顔を見合わせる。

「ジスモンダがシフ(ワッペン)だと偽ってたヤツだよ。それを持っていると、まるで生き物みたいに身体をはいずって、人の体と一体化してしまう。そうなるともう、体が完全に乗っ取られてしまうんだ」

 動揺を隠すために、エバが口元を覆った。

「で、気づいたらまわり中敵だらけになっていた。ま、俺もイェン国従も逃げ足だけは早いからな、夢中になって逃げたり戦ったりしていたが、つい先日にイェン国従が捕まっちまったんだ――」

「イェンさんなら、大丈夫よ」

 ヒスイに促されて、ロイは過ぎ去った方角を眺めた。淡い光の遥か奥に、デンシャが佇んでいるのが見える。

「あの中で今は眠っているわ」

「そうか……あれに乗ってきたのか?」

「そうよ、ロイ」

「大賢者には会えたのか?」

 その質問に、三人は再び顔を見合わせた。カケイとイスイの連関について、ヒスイたちはまだ答えが出せていなかった。

「会えたわ。でも――」

「……ロイ、ジスモンダがヒスイの妹だって知ってる?」

 ヒスイが言い終わらないうちに、エバがロイに告げる。短刀を研いでいたロイの手が止まった。

「――本当か?」

「ええ、そうよ」

「似ていない姉妹だな」

 その言葉に、他ならぬヒスイが動揺した。

「“似ていない”?」

 気になったヒスイに代わり、セフが質問を返す。

「ああ。似ていないな」

「でも、ジスモンダは……いや、キスイって言うんだけど、キスイとヒスイは双子だし――」

「まぁ、外見は似ているかもな」

 砥石を懐に押し込むと、ロイは短刀を鞘に納めた。いつしか、四人の目の前には階段が出現していた。

「でもそれに気を取られると、本質を見誤るぜ。ヒスイと、そのキスイが“似ている”んじゃないだろうな。正しく言えば、キスイってやつがヒスイに“近づきたがっている”って言うか……いや、上手く言えねぇな……」

 その言葉に、ヒスイとセフは顔を見合わせる。キスイがヒスイに「近づきたがっている」というのは、つまりどういうことなのだろうか。

「で、その話がどう大賢者に繫がるんだ?」

 ヒスイが疑問を口にする前に、ロイが話しの続きを催促した。

「繫がりなんかないわ。ただ、ロイがどのくらい知っているのか確かめたかっただけ」

「あいにく、俺は何にも知らないがな」

「カケイ様がヒスイのお母さんよ」

 その言葉に、ロイがはじめて歩みを止める。それから後ろを振り返って、エバに胡乱げな視線を投げかける。

「本気か?」

 ロイはそう訊き返した。「本当か」ではなく、「本気か」と訊ねた。

「本当よ、ロイ」

 是非を確かめるロイの質問に、エバは真偽の答えを返した。再度訊ね返す代わりに、ロイはヒスイの方を振り向いた。エバの言葉をまったく信じていないことが、ロイの瞳からありありと伝わってくる。

 だが、ヒスイも迷っている最中だった。後ろめたい気持ちを抱えながらも、ヒスイはロイから視線をそらす。それを見たロイが、不満げに鼻を鳴らした。

「カケイ様は――」

「――しっ!」

 構わず話し続けようとするエバを、ロイが遮った。と同時に、階段を覆う天井全体が、低くどよめいた。三人とも身構え、上を確認する。

「来たな」

 押し殺した声で、ロイが呟いた。

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