第9話:翼のない竜(2)

 不気味な沈黙が、堂内を埋め尽くしていた。ヒスイは黙ったまま、銃口から立ち上る紫煙を見つめていた。エバは息絶えた異形を見すえ、肩で息をしている。

 そんなエバに抱えられ、呆然としていたセフだったが、まるで稲妻にでも打たれたかのように飛び上がると、すぐさま異形の側に駆け寄る。

「あっ、ちょっと――」

老師ラォシ!」

 エバが言い終わる前に、セフの悲鳴が堂内に響き渡った。

「老師、あぁ、お願いです! 死なないでください! ――老師!」

 ”老師”の言葉を聞きつけ、エバの顔から血の気が引く。

「老師……って、ウソでしょ……?」

 そのときだった。異形の体躯が震えだしたかと思うと、黒い煙が立ち上りはじめる。煙が噴出すにつれ、異形の体躯は見る見るしぼんでいった。

 とうとう、異形の黒い身体は溶けきって、中から人が姿をあらわした。それは、やせ細った老人の姿だった。

「僧正様……こんなことが――うっ?!」

「エバ!」

 目の前で繰り広げられるおぞましい光景に、エバは耐え切れなくなったのだろう。堂の中央に背を向けると、口からものを吐き、盛んにえずきだした。

 エバの隣に寄り添うと、ヒスイは彼女の背中を叩いて介抱する。

「大丈夫?」

「あ……あたしは大丈夫。――それよりも……そんなことよりも……」

 口元を拭うと、エバはふたたび堂の中央に目を向けた。

「セフ、いったい、どうなってるていうの?! あたしにも説明して。……泣いてるだけじゃ何もわかんないでしょ!」

 容赦ないエバの言葉にもかかわらず、セフは嗚咽を交えながら語り始める。

「……街の人を避難させようとしてた。……わたしと、他の人たちとで……。老師も一緒だった……だけど突然苦しみだして……みんなで堂まで老師を運んだんだ、そしたら――」

「そしたら、異形に変わった、ってこと?」

 ヒスイの問いかけに、セフは黙って頷いた。そのまま歯を食いしばり、セフはうつむく。セフの目からは、涙がとめどなく零れ落ちてゆく。

(だけど、変だ)

 悲惨な光景を目の当たりにしながらも、ヒスイは冷静に考えていた。これまでに出くわした異形で、人間の姿に戻った異形などいない。

 僧正の場合だけ特殊だったのだろうか? それは何かの偶然なのだろうか?

「あ……ァ……」

「老師?!」

 考え事をしていたヒスイの耳に、セフの声が届いてくる。セフの腕に抱えられていた僧正が、虚空に腕を伸ばしていた。

 どうやら、僧正にはまだ息があるらしい。

「老師、ここです! セフはここにおります!」

「探せ……」

 僧正の命を繋ぎとめようとするかのように、セフは懸命に声を張り上げる。だが、僧正の耳にはほとんど届いていない様子だった。うつろな視線の様子からして、きっと目も見えていないのだろう。

「”探す”? 探すって、僧正、何を? 何を探せばいいんですか?!」

 エバも駆け寄って、必死に僧正に質問する。

国従コクショウ……を、探せ、国……を……」

「老師――?!」

 それ以上の言葉を、僧正が語ることは無かった。僧正は苦しみに悶え、胸元を掻きむしるそぶりを見せると、腕をだらりと垂らし、遂に動かなくなった。

「あ……そんな……!」

 僧正の細い肩を掴むと、セフは懸命に揺さぶった。

「老師……嘘です……返事を、どうか返事をしてください。……嫌だ、嫌だぁっ!」

 セフの悲鳴が、堂全体を覆う沈黙を突き破った。自分の身体の温もりを分け与えるかのように、セフは事切れた老人の亡骸を抱きしめる。

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