ヒスイは、見逃さなかった。
僧正が事切れるその瞬間、セフの背後の空間が、蒸気にあてられたかのようにぼやけたのだ。ヒスイの頭のなかで、二つのことが一つに合わさった。今の直感は、銃がもたらしたイメージを裏付けるものだったのだ。
「ヒスイ――?」
エバの呼びかけに構わず、ヒスイはセフの背後めがけて銃を放つ。すると、
キィン、
という、本来ならば響くはずのない金属音が三人の耳に響いた。甲高いうなりに、エバは思わず耳を塞ぐ。
ヒスイの足元に、音の正体が滑りこんでくる。それは金属製のボウガンだった。
「いい加減、出てきなさい」
ヒスイは再度、引き金に指をかける。
「隠れてたってお見通しよ。見えているんですから」
「――さすがだ、勇者の娘。少し侮っていたよ」
第三者の声に、エバとセフとがぎょっとする。
ヒスイの掲げる銃口の先に、一人の人間が突如として姿をあらわした。背は三人よりもずっと高い。肩幅からして女性である。銀色の長い髪が、黒いローブに隠れていた。
異様なのは、彼女の肌だった。着込んでいるローブよりも、遥かに黒い色をしている。そしてどういうわけか、そんな女性の頭部はガラスの容器に覆われていた。
(眼が……)
女性の瞳を見て、ヒスイは唇をかむ。眼球は黒く、瞳は金色で、それこそ爬虫類を彷彿とさせた。
「サイファ……!」
信じられないとばかりに、傍らに飛びのいていたエバが呟く。
「サイファ? ……知り合いなの?」
「お友達に代わって説明してやろう、ヒスイ」
二人の会話を遮って、女性が――サイファが語りだした。銃口を向けられているというのに、サイファはまったく意に介していない様子だった。
「私の名前はサイファ。サイファ・コロッサスだ。国従宰として、この国の統治に携わっている」
「”統治”……?」
「フフフ、そうだとも。王が死んで以来、国従宰の職責に就いているのは私で三人目だ」
サイファが笑みを零すと、吐く息でガラスの内側が白くくもった。
「念のため言っておくと、”王”と”勇者”とは別々の人物だ。ヒスイ、私は君のお母さんのことについては何も知らないのだよ」
「――”お母さん”ですって?」
「そうだよ。勇者とは、君のお母さんのことさ、ヒスイ」
傍らにいるエバに、ヒスイは視線を送る。視線の意図を察知したエバは、首を横に振った。勇者の性別については、エバも充分に知らないようだった。
そんな二人を見て、サイファが薄く笑ってみせる。
「記憶が無いとさぞかし不便だろう、ヒスイ? 違うかね?」
「くそっ――」
ヒスイは小さく毒づいた。しかしサイファの言うとおり、記憶が無いとどうにもならない。
「――おっと、質問に答えそびれていたね? ここにいるエバって子の姉と、私とは知り合いなんだ」
「サイファ! 姉さんはどうしたの?!」
「いや、別に? むしろ私が知りたいぐらいだ。とはいえ、君が知る必要もなかろう――」
不意に、サイファが右腕を伸ばす。ローブの奥に隠れていた手が露になると、それが一気に伸びる。
「どうした、小娘、死にたいのかね?」
「セフ?!」
エバが悲鳴を上げる。目にも止まらぬ速さで移動した右腕が、セフの引き抜いた短剣を掴んでいた。サイファは涼しい表情をしているが、伸びた右腕は尋常でない力で短剣を締めている。
とうとう、短剣は音を立てて砕け散った。折れた弾みで、セフの小さな体が投げ出される。腕をめがけてヒスイは銃撃を放つが、サイファの腕は飴細工のように自在にうねり、銃撃をかわした。
「――くらえっ!」
エバが両手を突き出す。青白い火花が散ったかと思えば、サイファめがけて稲妻が渦を巻く。特段避けるそぶりもなく、サイファは左手を突き出した。エバが放った渾身の一撃が、サイファの手のひらに収束してしまう。
「これで終わりかね?」
膝をつき、肩で息をしているエバに対して、サイファが無慈悲に尋ねる。
エバをかばい、ヒスイがサイファの前に立ちはだかった。
「まだよ。私がいるわ」
「そうだ、ヒスイ。君がいる。後の二人は、悪いけどお呼びじゃない」
「サイ……ファ!」
ヒスイとサイファとの後方で、セフがうなり声を上げる。
「お前が……お前が……老師を!」
「――しつこいな」
忌々しげに、サイファが指を鳴らす。乾いた音に弾かれるようにして、セフの体が一回跳ねる。そのまま床に倒れ、セフは動かなくなった。
「サイファ! セフに何をしたの?!」
「なに、ちょっとした細工さ。そうカッカとするな」
わざとらしく、サイファは肩をすくめてみせる。
「ヒスイ、お母さんに会ってみたくはないかね?」
「……どういう意味?」
「そのままの意味さ。君はれっきとした勇者の娘。君がその気になれば、お母さんに会うことはたやすいことだと、私には思えるのだ」
「かも知れないわね? ――もっとも、あなたが記憶を返してくれたらの話だけど」
目を丸くして、エバがヒスイを見つめる。
「――どうしてそう思う?」
「私があなただったら、こんなまだるっこしい真似はしないわ。私にどうしても確かめたいことがあるのでしょう? あなたは私の記憶を奪って、何かを見つけようとした。けれど結局見つかっていないから、私に尋ねているのよ。『もしかしたら記憶があるかもしれない』って。――殺すこともせずに、ね」
「――あぁ、そうさ。それさえなければ、とっくに殺している」
「”殺されている”の間違いでしょ?」
「フン……」
サイファが鼻を鳴らした。ヒスイの軽口が、腹に据えかねているらしい。
「少なくとも、殺してやりたくはなったな」
「あら、ありがとう」
「この動乱を首謀したのはお前のお母さんだ」
唐突なサイファの言葉に、エバが目を丸くする。
「ウソよ。……ヒスイ、騙されちゃダメ!」
「いや、本当のことだ、ヒスイ。現実を受け入れたまえ」
エバの必死の呼びかけを、サイファは容赦なく一蹴する。
「この島を滅ぼそうと決めたのは、ヒスイ、君のお母さんだ。そしてその手伝いを私はしているのだ……しかし、だ。もし君のお母さんを倒すことができれば、私はこの世界を完全に自分のものにすることができる。そのときに、私は王を名乗ることができるわけだ。だから勇者の娘である君に、母親の居場所についてわざわざ尋ねている」
次の言葉を繋げる前に、サイファは一呼吸置いた。
「――ヒスイ、どうかね? ここは一つ私と協力しないか? 君が母親について探り当ててくれるのならば、私は君に世界の半分をあげよう……」
語るのをやめ、サイファがヒスイを咎める。ヒスイが肩を震わせて笑っていたためだ。
「どうした、ヒスイ?」
「あなたを倒して、おかあさんなり、あるいは勇者なりを倒せば、私は半分どころか、世界のすべてを手に入れることができるのよ?」
堂内全体が、水を打ったように静まり返った。
「……本気で言っているのか?」
「ええ。……あなたを倒して、記憶を返してもらう。そして勇者を引きずりだして、そいつも倒す。あなたの言っていることが本当で、勇者がこの世界を滅ぼすつもりならば、世界の一部である私もあなたも、結局のところ殺されるわ。私は馬鹿げた交渉なんかしない。最後まで戦うわ」
「結構!」
サイファが両手を叩いた。
「ヒスイ、君は私が考えていたような人間じゃないようだ。……とてつもない愚か者で、軽口だけの小便臭いガキだ。君に話したいことなどもうない。悪いが、死んでもらおう」
サイファの合わさった両手から、黒い光が漏れる。堂全体が光の明滅にあわせて振動し、軋んだ。ヒスイがサイファめがけて銃撃を叩き込むも、サイファの放つ強烈な魔力に阻まれる。
神童の強さに、ヒスイは立っていられない。それでもサイファに銃口を向けたまま、ヒスイはうなだれているセフを助け起こした。
「ヒスイ!」
そんなヒスイの側に駆けつけると、エバが結界を張る。
「無駄だ――!」
サイファがもろ手を振り上げた。その手のひらには、闇の火球が渦巻いている――。
次の瞬間――何が起きたか?
闇の渦をヒスイたちに投げようとしたサイファが、急に堂の天井を見上げる。反射的にヒスイは腕を伸ばすと、エバとセフとを巻き込みつつ床に伏せる。
天井に亀裂が走り、外側から何かが飛び込んでくる。轟音と衝撃波とが、その後からヒスイを揺さぶった。
飛び込んできた何かは、人の形をしていた。そいつはヒスイの二倍ほどはある金棒を握りしめると、サイファめがけて思い切り振りかぶる。空間が裂けたかのような錯覚にヒスイはとらわれる。
しかし金棒が、サイファを捕らえることはなかった。魔術を駆使したのだろう、サイファは瞬間的に移動していた。
――が、そこにはヒスイがいる。
銃口を目の当たりにし、サイファが目をむいた。
銃声!