第10話:立ちはだかる敵

 ヒスイは、見逃さなかった。

 僧正が事切れるその瞬間、セフの背後の空間が、蒸気にあてられたかのようにぼやけたのだ。ヒスイの頭のなかで、二つのことが一つに合わさった。今の直感は、銃がもたらしたイメージを裏付けるものだったのだ。

「ヒスイ――?」

 エバの呼びかけに構わず、ヒスイはセフの背後めがけて銃を放つ。すると、

 キィン、

 という、本来ならば響くはずのない金属音が三人の耳に響いた。甲高いうなりに、エバは思わず耳を塞ぐ。

 ヒスイの足元に、音の正体が滑りこんでくる。それは金属製のボウガンだった。

「いい加減、出てきなさい」

 ヒスイは再度、引き金に指をかける。

「隠れてたってお見通しよ。見えているんですから」

「――さすがだ、勇者の娘。少し侮っていたよ」

 第三者の声に、エバとセフとがぎょっとする。

 ヒスイの掲げる銃口の先に、一人の人間が突如として姿をあらわした。背は三人よりもずっと高い。肩幅からして女性である。銀色の長い髪が、黒いローブに隠れていた。

 異様なのは、彼女の肌だった。着込んでいるローブよりも、遥かに黒い色をしている。そしてどういうわけか、そんな女性の頭部はガラスの容器に覆われていた。

(眼が……)

 女性の瞳を見て、ヒスイは唇をかむ。眼球は黒く、瞳は金色で、それこそ爬虫類を彷彿とさせた。

「サイファ……!」

 信じられないとばかりに、傍らに飛びのいていたエバが呟く。

「サイファ? ……知り合いなの?」

「お友達に代わって説明してやろう、ヒスイ」

 二人の会話を遮って、女性が――サイファが語りだした。銃口を向けられているというのに、サイファはまったく意に介していない様子だった。

「私の名前はサイファ。サイファ・コロッサスだ。国従宰として、この国の統治に携わっている」

「”統治”……?」

「フフフ、そうだとも。王が死んで以来、国従宰の職責に就いているのは私で三人目だ」

 サイファが笑みを零すと、吐く息でガラスの内側が白くくもった。

「念のため言っておくと、”王”と”勇者”とは別々の人物だ。ヒスイ、私は君のお母さんのことについては何も知らないのだよ」

「――”お母さん”ですって?」

「そうだよ。勇者とは、君のお母さんのことさ、ヒスイ」

 傍らにいるエバに、ヒスイは視線を送る。視線の意図を察知したエバは、首を横に振った。勇者の性別については、エバも充分に知らないようだった。

 そんな二人を見て、サイファが薄く笑ってみせる。

「記憶が無いとさぞかし不便だろう、ヒスイ? 違うかね?」

「くそっ――」

 ヒスイは小さく毒づいた。しかしサイファの言うとおり、記憶が無いとどうにもならない。

「――おっと、質問に答えそびれていたね? ここにいるエバって子の姉と、私とは知り合いなんだ」

「サイファ! 姉さんはどうしたの?!」

「いや、別に? むしろ私が知りたいぐらいだ。とはいえ、君が知る必要もなかろう――」

 不意に、サイファが右腕を伸ばす。ローブの奥に隠れていた手が露になると、それが一気に伸びる。

「どうした、小娘、死にたいのかね?」

「セフ?!」

 エバが悲鳴を上げる。目にも止まらぬ速さで移動した右腕が、セフの引き抜いた短剣を掴んでいた。サイファは涼しい表情をしているが、伸びた右腕は尋常でない力で短剣を締めている。

 とうとう、短剣は音を立てて砕け散った。折れた弾みで、セフの小さな体が投げ出される。腕をめがけてヒスイは銃撃を放つが、サイファの腕は飴細工のように自在にうねり、銃撃をかわした。

「――くらえっ!」

 エバが両手を突き出す。青白い火花が散ったかと思えば、サイファめがけて稲妻が渦を巻く。特段避けるそぶりもなく、サイファは左手を突き出した。エバが放った渾身の一撃が、サイファの手のひらに収束してしまう。

「これで終わりかね?」

 膝をつき、肩で息をしているエバに対して、サイファが無慈悲に尋ねる。

 エバをかばい、ヒスイがサイファの前に立ちはだかった。

「まだよ。私がいるわ」

「そうだ、ヒスイ。君がいる。後の二人は、悪いけどお呼びじゃない」

「サイ……ファ!」

 ヒスイとサイファとの後方で、セフがうなり声を上げる。

「お前が……お前が……老師を!」

「――しつこいな」

 忌々しげに、サイファが指を鳴らす。乾いた音に弾かれるようにして、セフの体が一回跳ねる。そのまま床に倒れ、セフは動かなくなった。

「サイファ! セフに何をしたの?!」

「なに、ちょっとした細工さ。そうカッカとするな」

 わざとらしく、サイファは肩をすくめてみせる。

「ヒスイ、お母さんに会ってみたくはないかね?」

「……どういう意味?」

「そのままの意味さ。君はれっきとした勇者の娘。君がその気になれば、お母さんに会うことはたやすいことだと、私には思えるのだ」

「かも知れないわね? ――もっとも、あなたが記憶を返してくれたらの話だけど」

 目を丸くして、エバがヒスイを見つめる。

「――どうしてそう思う?」

「私があなただったら、こんなまだるっこしい真似はしないわ。私にどうしても確かめたいことがあるのでしょう? あなたは私の記憶を奪って、何かを見つけようとした。けれど結局見つかっていないから、私に尋ねているのよ。『もしかしたら記憶があるかもしれない』って。――殺すこともせずに、ね」

「――あぁ、そうさ。それさえなければ、とっくに殺している」

「”殺されている”の間違いでしょ?」

「フン……」

 サイファが鼻を鳴らした。ヒスイの軽口が、腹に据えかねているらしい。

「少なくとも、殺してやりたくはなったな」

「あら、ありがとう」

「この動乱を首謀したのはお前のお母さんだ」

 唐突なサイファの言葉に、エバが目を丸くする。

「ウソよ。……ヒスイ、騙されちゃダメ!」

「いや、本当のことだ、ヒスイ。現実を受け入れたまえ」

 エバの必死の呼びかけを、サイファは容赦なく一蹴する。

「この島を滅ぼそうと決めたのは、ヒスイ、君のお母さんだ。そしてその手伝いを私はしているのだ……しかし、だ。もし君のお母さんを倒すことができれば、私はこの世界を完全に自分のものにすることができる。そのときに、私は王を名乗ることができるわけだ。だから勇者の娘である君に、母親の居場所についてわざわざ尋ねている」

 次の言葉を繋げる前に、サイファは一呼吸置いた。

「――ヒスイ、どうかね? ここは一つ私と協力しないか? 君が母親について探り当ててくれるのならば、私は君に世界の半分をあげよう……」

 語るのをやめ、サイファがヒスイを咎める。ヒスイが肩を震わせて笑っていたためだ。

「どうした、ヒスイ?」

「あなたを倒して、おかあさんなり、あるいは勇者なりを倒せば、私は半分どころか、世界のすべてを手に入れることができるのよ?」

 堂内全体が、水を打ったように静まり返った。

「……本気で言っているのか?」

「ええ。……あなたを倒して、記憶を返してもらう。そして勇者を引きずりだして、そいつも倒す。あなたの言っていることが本当で、勇者がこの世界を滅ぼすつもりならば、世界の一部である私もあなたも、結局のところ殺されるわ。私は馬鹿げた交渉なんかしない。最後まで戦うわ」

「結構!」

 サイファが両手を叩いた。

「ヒスイ、君は私が考えていたような人間じゃないようだ。……とてつもない愚か者で、軽口だけの小便臭いガキだ。君に話したいことなどもうない。悪いが、死んでもらおう」

 サイファの合わさった両手から、黒い光が漏れる。堂全体が光の明滅にあわせて振動し、軋んだ。ヒスイがサイファめがけて銃撃を叩き込むも、サイファの放つ強烈な魔力に阻まれる。

 神童の強さに、ヒスイは立っていられない。それでもサイファに銃口を向けたまま、ヒスイはうなだれているセフを助け起こした。

「ヒスイ!」

 そんなヒスイの側に駆けつけると、エバが結界を張る。

「無駄だ――!」

 サイファがもろ手を振り上げた。その手のひらには、闇の火球が渦巻いている――。

 次の瞬間――何が起きたか?

 闇の渦をヒスイたちに投げようとしたサイファが、急に堂の天井を見上げる。反射的にヒスイは腕を伸ばすと、エバとセフとを巻き込みつつ床に伏せる。

 天井に亀裂が走り、外側から何かが飛び込んでくる。轟音と衝撃波とが、その後からヒスイを揺さぶった。

 飛び込んできた何かは、人の形をしていた。そいつはヒスイの二倍ほどはある金棒を握りしめると、サイファめがけて思い切り振りかぶる。空間が裂けたかのような錯覚にヒスイはとらわれる。

 しかし金棒が、サイファを捕らえることはなかった。魔術を駆使したのだろう、サイファは瞬間的に移動していた。

 ――が、そこにはヒスイがいる。

 銃口を目の当たりにし、サイファが目をむいた。

 銃声!

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