「ていうか……何なの、これ――」
箒の柄を握りしめたまま、エバがうめいた。
血の海――。それ以外の言葉で、この状況を適切に形容することなどできないだろう。堂内の床石は血飛沫で赤黒く染まっており、あちこちに僧兵たちの遺体が散らばっている。
「よそ見しちゃダメ、エバ!」
照準を堂の中央に向けたまま、ヒスイはエバに声を掛ける。
死体に囲まれた堂の中央で、怪物と少女とが対峙していた。少女の姿は、ヒスイがイメージで見たものと同じだ。
(じゃあ、あの怪物は何なんだ――?)
銃把が汗でしめる。投影されたイメージの中に、こんな異形はいなかった。異形の体格は、ヒスイの二周りは大きいだろう。黒く太い尾が、鞭のようにしなっている。その姿は、さながら翼のない竜を彷彿とさせた。
「ヒ、ヒスイ……」
異形に対峙している少女が、か細い声でヒスイに呼び掛ける。刀を握る手は小刻みに震え、黒髪は血糊でベッタリと汚れている。ヒスイを見つめる丸くて大きな瞳からは、既に涙が溢れていた。
「葉、しっかりしなさいよ?!」
エバがそんな彼女に――セフにどなった。
「ヒスイ、わたし、わたし――」
「――セフ、逃げて!」
言うが早いか、ヒスイは銃の引き金を引いていた。だが怪物の巨駆が銃撃できしむより前に、その太い尾がセフを捕らえていた。
「セフ――!」
セフの小さな体が宙に舞う。地面転がると、セフは血糊を滑って壁に叩きつけられる。
「エバ、セフをお願い!」
言いながら、ヒスイは銃撃を異形に叩き込む。数発が頭部に命中し、異形の鎌首がヒスイに向けられた。
刹那、異形が跳躍する。――それはもはや、手足の筋力だけで滑空しているのと同じだった。異形の尾のしなる音が、ヒスイの耳にもこだまする。ヒスイが横へ転がりこんだと同時に、異形の尾がヒスイのいた場所を叩いた。衝撃で血柱が上がり、石畳が割れて吹き飛ぶ。
「こっちよ――!」
ヒスイが立ち上がるタイミングで、箒で中空に舞っていたエバがタクトを振るう。エバの周囲から発せられた火花が、一筋の稲妻となって異形に命中した。
瞬間、異形の体が炎に包まれる。ここにきて初めて、怪物が鋭い悲鳴をあげる。
「セフ! しっかりして!」
地面に降り立つと、エバがセフを介抱する。ヒスイの見るかぎり、セフは無事のようだった。
だが、このままでは埒が開かない。
(どうする――?)
逃げることができないのならば、闘うしかない。
(お願い……!)
すがるような気持ちで、ヒスイは銃把を握りしめ、目を閉じた。――脳裡に流れ込むイメージは、堂の中空を舞うエバの姿を投影した。目で見る以上にイメージは鮮烈だった。エバだけではない、背後に映っている照明だって――。
(照明? そうか、これだ……!)
「――こっちよ!」
「ちょっと、ヒスイ!」
異形に呼び掛けるヒスイに、エバがまじろいだ。そんなエバに、ヒスイは「大丈夫だ」と合図を送る。
一方の異形は、既に体の炎を消し去っていた。それでも、動作がさっきより鈍くなっている。
チャンスは今しかない。
「こっち!」
ヒスイの声に呼応し、怪物が突進してくる。タイミングを見計らって、ヒスイは銃口を天井へ向ける。銃声! ――三発の銃撃が、照明を吊る鎖を引きちぎる。
落下した照明の鋭利な尖端が、怪物の喉に深々と突き刺さる。怪物は地面に釘付けとなり、血へどを吐いている。
「さらば!」
「――やめてぇっ!!!」
ヒスイの銃撃と、セフとの声が重なった。ほぼ無心状態だったヒスイは、セフの言葉に背筋を震わせる。
それでも、放たれた銃弾は止まらない。とどめの一撃が、異形の脳天に加えられた。