第87話:明かされた真実

「おいで、子供たち――」

 悠然と去る孟然努羚マウレンチュグリを側目に見てから、改めてカケイが二人に告げた。

 そのとき、

 ぱあん、

 という乾いた音が、のどかな銀台宮の空に突き抜けた。エバとセフは戦慄する。今の音は、紛れもなく銃声だった。

「今のは――」

「ヒスイだ」

 二人が口をさしはさむ前に、カケイが説明した。その一言に、二人の脚がすくむ。

――ヒスイ殿が先に復活し、おふた方がそれに間に合わずにいることを、主はお望みでないでしょう――

 ヒスイは生きている。紛れもない事実に胸が高鳴る反面、タミンの言葉が二人の脳裏をよぎった。

「どうした、子供たち?」

 浮かない顔をしているエバとセフを、カケイも不思議に思ったようだ。

「カケイ様は、その……お怒りですか?」

 顔色をうかがいながら、セフが訊ねる。

「私が? 何のために?」

「タミンが言っていたんです」

 セフが口を開くより先に、エバが話を続けた。

「あたしたちは、ヒスイが復活するより前に銀台宮へ行かなくちゃいけない、って――」

 そこまで言い終えると、エバは口をつぐんでしまった。

 思えばタミンの言っていることはおかしい。エバの目の前で、タミンはヒスイの死体を光に変えて集めていた。それは「ヒスイの復活に必要だから」だ。

 そんなタミンがエバたちと行動する以上、「ヒスイの復活に二人が間に合わない」なんてことはありえない。つまりタミンの言葉はどこかが嘘からできているのだ。それでは、何のために噓をついたのか?

「タミンはそんなことを言っていたのか」

 ややあきれ返った口調で、カケイが呟いた。

「いろいろと言わねばならぬことが多いようだ」

「それじゃあ……タミンの言っていることは嘘、ですか?」

「エバ、逆にどのような理由で私が怒ると思うのかね?」

「それは――」

 エバは言いあぐねる。タミンの言説を信じる要因は他にもある。イェンがためらったことなどは、その最たる例だろう。ただカケイを目の前にして、そうした例をあげつらうのは無駄な気がした。今、二人の目の前にいるこの大賢者が、烈火のごとく怒り狂うさまなどまるで想像ができなかった。

 ぱあん、

 ふたたび銃声が、木々の合い間に轟いた。

「タミンについては後で私から言っておく。――さぁ、それよりもヒスイだ」

 カケイはそういうと、銀台宮の軋んだ扉を開ける。

 魔術師の端くれである以上、エバは大賢者の部屋というものに興味があった。だがエバの期待とは裏腹に、銀台宮の内装は何ともつましいものだった。よく言えば整頓されている、悪く言えば物がまったくない。がらんどうなわけでもないが、少なくとも魔術的な道具はなかった。

「がっかりしたかね?」

「へ? ――い、いえ別に!」

「フフフ……」

 必死になってとりつくろうエバに、カケイは優しく微笑みかけた。カケイがさっと右腕を払う。その動作に応じて、脇においてあった籐製の椅子が三脚、部屋の中央にまで運ばれてきた。

「さあ二人とも、ここに座りなさい。……どれ、私がヒスイを呼んでこよう」

 カケイは二人を座らせると、部屋の置くにあったもう一つの扉へと向かった。建物の構造からして、中庭に面しているようだった。

「ヒスイ、」

 扉を開き、カケイが奥に向かって呼びかける。

「こっちへおいで、お客様だ」

 その言葉に、エバとセフは固唾を呑んだ。


 芝生を駆ける音が、二人の耳元まで近づいてくる。と、突然、

「好好……あっ!」

 泣きっ面をした赤い鬼の被り物が、ドアから顔を覗かせた。しかし角が扉の枠に引っ掛かり、お面を被っていた当人だけが部屋に転がり込んだ。

「いててて……」

「ヒスイ――」

 お面が床にこぼれ、軽やかな音を響かせた。

 涙目になって頭をおさえているのは、まぎれもなくヒスイだった。いても立ってもいられず、エバは椅子から立ち上がり、ヒスイの側へ寄る。茶色い髪、青い瞳に、無邪気そうな顔立ち。

好好兒カオカオア、エバ――」

 そしてこの言葉。

「どうしたのよ、エバ? フフフ……」

 エバはもう、ただヒスイに抱きつくしかなかった。今までの苦しみや、憎しみが、すべて波のように退いてゆく気がした。ヒスイの心臓の鼓動が、エバにも伝わってくる。ヒスイは、勇者の娘は生きている。

 ヒスイの腕を撫でて、エバはヒスイの指を掴もうとした。それができずに視線を這わせ、エバは目を見開いた。

「うそ……?」

 ヒスイの左手を握り、それを目線の高さまで持ち上げる。

「ヒスイ、その指……」

 二人を呆然と眺めていたセフも、思わず声をあげた。

ヒスイの左手には、小指と薬指がなかった。叩き切られたかのようななまなましい傷跡が、ヒスイの左手に大きなあざを作っていた。

「えへへ、ちょっとしくじっちゃった」

「しくじった、って……」

 おどけて舌を出すヒスイの一方で、エバはそんなヒスイの左手に、自らの両手を重ねた。

「なんで?! そんな……そんなことって!」

「大丈夫よ、エバ。……右手でも、銃くらい握れるわ」

「でも!」

 銃の魔力は、ヒスイにも直接作用する。だからこそヒスイはグローブで左手を固めていたのだ。左手が使えない今、ヒスイは無防備のまま銃を使わなくてはいけなくなる。

「“そんなことよりも”、ね……」

 エバの両手を穏やかに払いのけると、ヒスイはほほえみを崩さぬまま、二人に眼差しを送った。

「二人とも、ごめんなさい。……私のために闘ってくれて、ありがとう」

 ヒスイの謝罪に、エバもセフも言葉に詰まった。

 どういうわけか、ヒスイに謝られている。

 ただ二人とも、その理由には薄々感づいていた。

「――見てたの?」

 おそるおそる、エバが問いかけた。ヒスイは顔を上げると、静かに頷く。

 所在なく、セフが顔を背けた。

 エバたちが到着する遥か以前に、もうヒスイはこの銀台宮にたどり着いていたのだろう。そしてそれから、ヒスイはずっと二人のことを見ていたのだ。きっとカケイが手を貸したのだろう。

「ごめんね」

「――やめて」

 エバが答えるより前に、セフがヒスイをさえぎった。

「謝られると……みじめになる」

 重苦しい沈黙が、三人を苛んだ。こんな気持ちになるために、はるばるここへやって来たわけではないはずなのに。

「――さぁ、三人とも」

 カケイが口を開く。

「今はもう話してくれるな。お茶をごちそうしよう」

 身をひるがえし、カケイが台所へ近づいた。

「子供たち、話はそれからだ」

「話……ですか?」

 エバが訊ねる。

「そうだ」

 カケイが指を鳴らすと、コンロに火が灯った。

「三人とも、私に聞きたいことがたくさんあるはずだ」

 ヒスイが拳を握るのを、エバもセフも見逃さなかった。


 三人の下まで、茶が運ばれてくる。立ち上る湯気が、三人の鼻をついた。

「さあ、どうぞ。二人とも、きっと疲れたことだろう」

「――いただきます」

 碗を抱え、エバは口をつける。ほんのりと甘い茶が、喉の渇きを潤してゆく。

「さぁ……何について話そうか」

 椅子に腰かけ、カケイはくつろいだ姿勢をとる。

「カケイさん、」

 と、ヒスイが口を開いた。

「イスイのことを話す前に、キスイの話をしてくれない?」

「キスイ?」

 はじめて聞かされる言葉に、セフが首を傾げた。

「ジスモンダのことよ、セフ」

「そうだ……!」

 エバもセフも、顔を見合わせた。ジスモンダの企てについて、ヒスイに話をしなくてはならない。

「あのジスモンダってやつは――」

「……あれは私の妹よ」

 言葉をすぐに受け止めきれず、エバもセフも口を開けたまま、ヒスイの瞳を見つめた。ヒスイがおどけていないと分かると、エバとセフは凍りついた。

 そうだ、どうして気づかなかったのだろう。あれほど似ているのだから、姉妹であることを疑ってもよかったはずだ。

「信じられない……」

 ただ、これがエバの率直な感想だった。ジスモンダがヒスイに似ているとはいえ、どうしても現実味は沸かなかった。ヒスイの親類が、イスイの他にもいるなんて。

「はじめは私も信じられなかった」

 お茶を啜りながら、ヒスイが話を続ける。

「けどね、二人がここへ来る間、私も旅をしていたのよ。キスイについては、そこで知ったわ」

「旅って……どこに?」

 身を乗り出して、セフが訊いてくる。

「チキュウだ」

 ヒスイに代わって、カケイが話を継いだ。

「チキュウ……?」

 どこかで聞いたような単語に、エバは眉をひそめた。それからふと、フスとのやり取りを思い出した。フスは自らを“転生者”だと名乗っていた。そしてそんなフスがかつていた世界こそ“チキュウ”だった。

「フスが話していたところ?」

「――そうよ」

 ためらいがちに、ヒスイが答えた。それから左手を、二人の眼前につき出す。

「その世界で、指と、案内人を失ったわ」

 ヒスイの口調は、悲痛そうな響きを伴っていた。

「そう……なんだ」

 案内人とは誰なのか、エバもセフも知りたかった。だがヒスイに訊ねるのは憚られるような気がした。二人とも、フスを喪い自分を責めるヒスイのことを思い出したからだ。

「ヒスイ、あれは君のせいじゃない」

 すかさず、カケイがヒスイに答えた。

「あの案内人は、自分の意思で君の案内をかってでたのだ。死ぬことも覚悟していただろう。――君がそれを気に病む必要はないし、ケメコだってそれを望むまい」

 “ケメコ”という名の案内人は、タミンよりも非力だったらしい。だがタミンに比べれば、ケメコという案内人はなんと忠実だったのだろうか。

「ケメコのためにも、私は負けるわけにはいかない」

 低い声で、しかし決然とヒスイは呟いた。その迫力に、エバもセフも無言のまま頷く。

「その……」

 ややあってから、セフが口を開いた。

「カケイ様、一つ伺ってもよろしいですか?」

「いいとも。何についてだね?」

「わたしの……師範ダォシのことです」

 ヒスイとエバは、互いに顔を見合わせた。お互いの脳裏に、僧正の発した最期の言葉がよみがえってくる。

――国従を探すのだ!

 死の末期、僧正は確かにそう言った。国従、すなわち金瓶梅魚ジムペイバイイヲを探すのも、三人の冒険における目的の一つだった。

「カケイ様、わたしは――ダォシはもう死んでしまったと考えています」

 セフの言葉に、ヒスイは思わず息を殺した。セフにとって、イヲはかけがえのない存在だろう。そんな自らの師匠の死を、実に淡々とセフは受け入れていた。

「ですが、もしご存知ならばお教えください、カケイ様。わたしのダォシが、どのように死んだのかを」

 セフの言葉を聞き終えると、カケイは深くため息をついた。それから建物の天井を見上げ、何かを考える仕草をする。カケイが何かを知っているのは明らかだった。三人とも真剣な眼差しを、カケイの挙措に向ける。

「セフ、イヲは死んでなどいない」

 その言葉に、セフは答えなかった。いや、答えられなかったのだろう。

「じゃあ、今どこに――」

「いや、難しい。生きているとも言いがたい」

 呆気にとられているセフを尻目に、カケイはヒスイに視線をおくった。

「ヒスイ、君は地Qで、たびたび異形に襲われたはずだ。君の指を損なった異形のことを、忘れてはいないだろうね?」

「はい――」

 そこまで答えたヒスイは、カケイの質問の意図を見破った。

「それが……まさか、その異形が?!」

「そうだ」

「でも、そんな……ちょっと待ってください!」

 堪らずセフが悲鳴を上げた。

「ごめんなさい、カケイ様……でも、でもそんなこと言われても、わたし、その、どうすればいいのか――」

「セフ、落ち着いて」

 思わず立ち上がったセフを、エバが必死で宥める。

「そうだろう……にわかには信じがたい話だ……」

 カケイはしばらく思案げに顎を撫でていたが、やがて何かを思いついたらしい。

「ヒスイ、セフ。今から君たちに幻を見せよう」

「まぼろし、ですか?」

「そうだ。二人にとって大事な幻だ。ヒスイの喪った記憶と、セフの失われたダォシがそこにいる」

「それは……」

 ヒスイが尋ねる前に、カケイが指を鳴らした。

「ヒスイ、これって――」

 セフが不安げに訊ねる。だが、言葉の最後のほうは、ほとんどかすれ、聞こえなくなっていた。部屋にあるありとあらゆる物が色を失い、影を失い、質量までも失っているような錯覚に、ヒスイはとらえられた。立ちくらみを覚え、ヒスイはとっさに椅子を掴もうとしたが、やけに空気が重く感じた。

 天井がヒスイにのしかかり、床がヒスイめがけてせり上がってくる。カケイの放った魔法が空間をゆがめ、ヒスイとセフを魔法の世界へ誘おうとしていることが、ヒスイにもようやく分かった。

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