「どうなってる……?」
まばゆい光が晴れると同時に、ロイが呟いた。
「ここ、どこだよ?」
半ば途方にくれたような呟きだった。無理もない。三人が立っている建物は、転日宮とは似ても似つかない、木造ばりの家屋である。
「后来院……」
だがエバは分かっている。ここが自らの学舎だったからだ。
(でも、どうして?)
それでも、エバは釈然としない。エバが放った魔法は、ただ閃光を放つためだけのものだからだ。なぜ后来院まで引き寄せられたというのだろう。
「みなさま、ご無事ですね?」
「誰っ?!」
三人の背後から上がった幼い声に、セフはとっさに身を翻した。鬼気迫る形相で太刀に手をかけるが、後ろにいたのは年端もいかない子供である。
「タミン……!」
そして彼こそ、エバが探していた“賢者の弟子”・タミンだった。
「タミン? コイツが?」
エバの言葉を聞いて、太刀を握っていたセフの拳がゆるむ。
「そうよ……ねぇタミン、どこへ行っていたの?」
「セフ殿が参られたので、一旦離れていただけです」
詰問口調のエバに対して、タミンはやけに剽然と言葉を返していた。澄ました様子のタミンに、エバはややむかつきを覚える。
「同時にイェン同志の居場所も確認しておきました。幸い向こうの――」
タミンは顎で、廊下の奥にうずくまる扉を示した。
「向こうの扉の奥におられるようです。エバ殿が魔法を放ったあと、私はお三方をこちらまで引き寄せ……」
「二人とも、下がってろ」
タミンの言葉を遮るように、ロイがエバとセフの前へ出た。ロイの顎からしずくが落ちるのを、二人とも見逃さなかった。澄ました表情はいつもどうりだが、ロイは額にびっしょりと汗を掻いている。
「お前……本当に賢者の弟子だな?」
「ええ、その通りです」
やっかみのこもった口調で、タミンは答える。「私は嘘をつきません」
「でも、本当のことだって言わないだろ?」
「……ロイ?」
直感的に、ロイが怯えていることにエバは気づいた。ロイとタミンの間に横たわる空気は、殺伐としている。
「いずれにせよ分かることです――」
タミンが言い終わらないうちに、イェンが扉の奥から現れた。
「イェンさん!」
「エバ?」
正面にいるエバたちに、イェンも感づき、目を丸くする。――そんなイェンの様子に、エバもセフも、ロイさえも二の句が告げなかった。ヒスイの死が相当堪えているのだろう。端から見ても覇気がなかったし、心なしかやつれて見える。泣きはらしたらしく、目もはれていた。
「イェンさん、あの、私たち……」
それでもエバは話をしようとする。が、その脇を掻い潜ってタミンが前面に顔を出した。
「しばらくのご無沙汰、イェン同志」
津波のような沈黙のあと、イェンの顔色がたちどころに変わった。それも喜びの色ではない。この場にいてはならないものを思わず見てしまったような、恐れを含んだ色だった。分からぬようにイェンは極力装っているが、顔色だけは誤魔化せなかった。
「タミン……!」
辛うじてそれだけ声を絞り出すと、イェンは三人の顔をそれぞれ確認した。何かを探している――そんなそぶりである。
「タミン、お主……何をしにここまで来たのじゃ?!」
「主がエバ殿と、セフ殿にお入り用なのです」
イェンとタミンとの口調には、やや温度差がある。
「主……カケイ様か?!」
イェンの瞳が輝く。
「しかし何故じゃ? 今更いったい――」
「ヒスイ様の復活をお待ちしているところです」
「ふ、復活じゃと?」
「さよう。ヒスイ様の死は乗り越えられるべき運命です。ヒスイ様の復活を見届けるためにも、主はエバ殿とセフ殿を銀台宮まで招待なさいました」
銀台――その名前に、タミンとエバ以外は身を固くした。転日宮の北東部を、まとめて“銀台”と呼ぶ。切り立った山々と濃い霧のために、常人を寄せ付けぬ辺境の土地である。
「妾は、妾は呼ばれぬのか?!」
「主はイェン同志をお呼びでありません」
すがるような口調のイェンに対し、タミンは非情に言いはなった。
「呼ばれなくとも行くぞ、妾は……」
「ええ。あなたの性分を考えるに、おそらくそうするでしょう」
珍しくややためらいがちに、タミンが言葉を繋いだ。
「例えば、私がエバ殿とセフ殿のお二方を案内する、そしてイェン同志がその後ろをたどる……といった工夫は可能です」
……
……
「ですがイェン同志、銀台宮に到着した際に、私はあなたの命を保証できません」
思わぬタミンの言葉に、「えっ……」とセフが小声を上げる。
「……そなた、妾を殺すつもりか?」
「いえ。おそらくはカケイ様が自らあなたを殺しなさるでしょう」
イェンを除く三人は、その言葉に凍りついた。分からないことが多すぎる。イェンはカケイとともに闘った仲間ではないのか? それをカケイが殺すとはどういうことか? イェンとタミン、そしてカケイ――この三人はどんな関係なのか。
「正確にいえば、私はイェン同志を見殺しにすることになります。職分上私は主に逆らえませんし、仮に逆らったとしてもやはりあなたは死ぬでしょうから」
タミンの口調は相変わらず淡々としていて、淡々としているがために迫力があった。もどかしげな表情をしたまま、イェンは口をつぐんでいる。イェンもまた、自身と大賢者との実力差を計っているのかもしれない。
「エバとセフが行くのじゃな……?」
独り言とも、確認ともとれる呟きを、イェンが発した。イェンが視線を動かし、ロイを見据える。
「ロイ……背嚢を二つ持ってまいれ。準備するのじゃ、急げ!」
憮然とした表情だったが、ロイは黙ってその場を去った。
「タミン、お主は先に北東門まで行くのじゃ。妾が責任を持って二人を届ける」
「御意、イェン同志」
応じてすぐ、タミンの姿が消える。タミンが消えるのに、何の予備動作も術式も要らなかった。エバの隣で、セフが息を呑んでいる。
「エバ、」
息をついてすぐ、イェンがエバのもとへ近づいた。
「教えてもらってよいかの? あの後――何があったか――すべて!」
語気におされるようにして、エバはこれまでの事情をすべて説明した。ヒスイの死体をタミンが持っていること、ジスモンダが謀叛者であること、姉が――リリスがジスモンダに与していること、
このままでは、すべてが危険なこと。
話し込むエバの後ろでは、ロイが背嚢を引っ張り出し、荷物を詰め合わせていた。話がジスモンダとリリスのくだりになると、ロイはせわしなく動かしていた手を止め、露骨に舌打ちをした。勘ぐっておきながら、決定打を打てなかった自分に憤りを覚えているのだろう。
「分かった――」
涙ぐみかけるエバに、イェンは強く頷き返し、両肩に手を添えた。
「分かった」
「イェンさん、私は銀台宮まで行きます」
目元を拭いながらも、エバは決然と言い放った。
「だからイェンさんは……姉さんのことをお願いします」
「分かった」
何が願われたかを、お互いに口には出さなかった。言ってはならない気がしていた。
「ほら、受けとれよ」
荷物を詰めた背嚢を、ロイは二人に渡した。
「国従、これからどうするつもりだ?」
「ジスモンダを叩く」
イェンが即座に切り返した。
「あやつが何を企んでおるかは分からん。じゃがヒスイの帰りまでまごまごしている訳にはいかぬ」
「だな」
懐に腕を突っ込んで、ロイはぶっきらぼうに答える。タミンがいなくなり、やや気楽になったようだ。
「妾は二人をタミンまで送る。――ロイ、そなたは町のようすを見て参れ。エバ!」
ロイの返事を聞くまでなく、イェンは再度エバとセフに向き直った。二人の肩に手を回し、抱き抱える。
「ちょっと、イェンさん……」
「二人とも、必ず戻れ」
あわてふためくセフに、イェンはそう言った。そして付け加えた、
「タミンに……あやつに喰われるな」
と。
「どういう意味ですか?」
エバは思わず、イェンに訊き返した。だがイェンは無言でじっと二人を見つめるばかりで、質問に答えようとはしない。
しかし、その態度だけで充分だった。エバとセフは、お互いに顔を見合わせる。どうしても言えない、口にできない“何か”を、イェンは知っているのだ。イェンが怖れるほどのおぞましさを、タミンはどこかに秘めているわけだ。
「……分かりました、戻ってきます、必ず」
エバは決意を固め、イェンの言葉を繰り返した。
后来院から北東門までの道を、四人は静かに歩いてゆく。サイファは倒れたというのに、街は思いの外静かだった。
念のため、エバとセフの二人は透明マントを羽織っていた。
「気をつけろ」
弓の変わりに手斧を持ち、ロイが索敵をしつつ先導する。街の静けさが嵐の前の静けさであることを、エバもセフも感じ取っていた。
やはりまだ、闘いは終わっていないのだ。
あと少しで北東門――その矢先、路地から急に男が飛び出してきた。紺色の制服に身を包んだ、兵士の一人だった。丸腰の状態で背をかがめ、何かを必死に探している。
前を行くロイが、エバとセフを手で制した。
「気をつけろ」
同じセリフを、さっきよりも息を殺して、ロイは呟く。
兵士の一人が、こちらを振り向いた。目は血走り、唇を噛み潰したのか、口の中が真っ赤だった。
「止まれ」
イェンが兵士に呼びかけた。上官の命令であるはずなのに、兵士に立ち止まる様子は無かった。浅くあえぎながら、歯をむき出しにして、兵士は四人へと近寄ってくる。
「止まるのじゃ!」
イェンが叫んだのと、男が口から泡を飛ばしつつ駆け出したのは同時だった。エバもセフも戦慄に包まれる。相手は異形ではない――だが、人間でもない。動物的な本能が、二人に鳥肌を立たせる。
叫び声をあげながら、兵士がロイの胸ぐらを掴もうとする。ロイは身体を開くと、即座に兵士の右腕を掴み、背負って投げ飛ばした。路地に叩きつけられた兵士は受身もままならず、苦しげな叫び声をあげた後に沈黙した。危機はひとまず過ぎ去った。
「いったい何なんだよ」
兵士がのびてしまったのを確認してから、ロイが悪態をついた。
「洗脳されているようです」
「――うおっ?!」
そして気づけば、タミンが近くにいた。騒ぎを聞きつけて、ここまでやってきたらしい。
タミンが、エバの方を向いた。目が合ったエバは、居心地が悪くなる。透明マントを被っていたが、タミンには効かないらしい。
「洗脳じゃと……?」
「そのようです、イェン同志」
これといった感慨も無さそうに、タミンが答える。「原理ははかりかねますが、ジスモンダは相手を洗脳する術を身につけているようです」
「じゃあ、なんだ? 俺たちも洗脳されるってことか」
半ば軽口のようなロイの言葉だったが、誰もそれに返事ができなかった。
「ねぇ、エバ……」
言いにくそうにして、セフがエバに提案する。
「無理して行く必要は無いんじゃないかな? まずはジスモンダを相手にして、それから――」
「いいえ、セフ。行かないと」
エバはかぶりを振った。
「ヒスイがいないと、始まらないもの」
「でも……」
「いいから!」
苛立ちながらエバは答える。セフは不服げだったが、それでもしぶしぶ頷いた。
「大丈夫じゃ、セフ」
イェンは腰に手を当てる。
「妾もロイも、そう簡単にはやられん。安心してゆくのじゃ。必ず戻って来い」
「そうだ。俺と国従とで、先にジスモンダをぶちのめしておく」
心なしか、ロイは愉快そうだった。
「分かった――」
エバはそういうと、来ていた透明マントを脱ぎ、イェンに託した。セフもそれに習い、自らのマントをロイに手渡す。
「たぶん、イェンさんたちのほうが必要でしょ? あたし達、必ず戻ってくるから」
「承知した」
イェンは深く頷き返す。
「では、おふた方、参りましょう」
タミンは話を切り上げると、足早に北東門を抜けた。後ろ髪が引かれる思いだったが、エバとセフもその後を追った。
山沿いの隘路に一行の姿が潰えるまで、イェンとロイは二人の背中をいつまでも目で追っていた。