第76話:羊の皮を被る山羊

「どうなってる……?」

 まばゆい光が晴れると同時に、ロイが呟いた。

「ここ、どこだよ?」

 半ば途方にくれたような呟きだった。無理もない。三人が立っている建物は、転日宮とは似ても似つかない、木造ばりの家屋である。

后来院ホウライユェン……」

 だがエバは分かっている。ここが自らの学舎だったからだ。

(でも、どうして?)

 それでも、エバは釈然としない。エバが放った魔法は、ただ閃光を放つためだけのものだからだ。なぜ后来院まで引き寄せられたというのだろう。

「みなさま、ご無事ですね?」

「誰っ?!」

 三人の背後から上がった幼い声に、セフはとっさに身を翻した。鬼気迫る形相で太刀に手をかけるが、後ろにいたのは年端もいかない子供である。

「タミン……!」

 そして彼こそ、エバが探していた“賢者の弟子”・タミンだった。

「タミン? コイツが?」

 エバの言葉を聞いて、太刀を握っていたセフの拳がゆるむ。

「そうよ……ねぇタミン、どこへ行っていたの?」

「セフ殿が参られたので、一旦離れていただけです」

 詰問口調のエバに対して、タミンはやけに剽然と言葉を返していた。澄ました様子のタミンに、エバはややむかつきを覚える。

「同時にイェン同志の居場所も確認しておきました。幸い向こうの――」

 タミンは顎で、廊下の奥にうずくまる扉を示した。

「向こうの扉の奥におられるようです。エバ殿が魔法を放ったあと、私はお三方をこちらまで引き寄せ……」

「二人とも、下がってろ」

 タミンの言葉を遮るように、ロイがエバとセフの前へ出た。ロイの顎からしずくが落ちるのを、二人とも見逃さなかった。澄ました表情はいつもどうりだが、ロイは額にびっしょりと汗を掻いている。

「お前……本当に賢者の弟子だな?」

「ええ、その通りです」

 やっかみのこもった口調で、タミンは答える。「私は嘘をつきません」

「でも、本当のことだって言わないだろ?」

「……ロイ?」

 直感的に、ロイが怯えていることにエバは気づいた。ロイとタミンの間に横たわる空気は、殺伐としている。

「いずれにせよ分かることです――」

 タミンが言い終わらないうちに、イェンが扉の奥から現れた。

「イェンさん!」

「エバ?」

 正面にいるエバたちに、イェンも感づき、目を丸くする。――そんなイェンの様子に、エバもセフも、ロイさえも二の句が告げなかった。ヒスイの死が相当堪えているのだろう。端から見ても覇気がなかったし、心なしかやつれて見える。泣きはらしたらしく、目もはれていた。

「イェンさん、あの、私たち……」

 それでもエバは話をしようとする。が、その脇を掻い潜ってタミンが前面に顔を出した。

「しばらくのご無沙汰、イェン同志」

 津波のような沈黙のあと、イェンの顔色がたちどころに変わった。それも喜びの色ではない。この場にいてはならないものを思わず見てしまったような、恐れを含んだ色だった。分からぬようにイェンは極力装っているが、顔色だけは誤魔化せなかった。

「タミン……!」

 辛うじてそれだけ声を絞り出すと、イェンは三人の顔をそれぞれ確認した。何かを探している――そんなそぶりである。

「タミン、お主……何をしにここまで来たのじゃ?!」

「主がエバ殿と、セフ殿にお入り用なのです」

 イェンとタミンとの口調には、やや温度差がある。

「主……カケイ様か?!」

 イェンの瞳が輝く。

「しかし何故じゃ? 今更いったい――」

「ヒスイ様の復活をお待ちしているところです」

「ふ、復活じゃと?」

「さよう。ヒスイ様の死は乗り越えられるべき運命です。ヒスイ様の復活を見届けるためにも、主はエバ殿とセフ殿を銀台宮まで招待なさいました」

 銀台――その名前に、タミンとエバ以外は身を固くした。転日宮の北東部を、まとめて“銀台”と呼ぶ。切り立った山々と濃い霧のために、常人を寄せ付けぬ辺境の土地である。

あれは、妾は呼ばれぬのか?!」

「主はイェン同志をお呼びでありません」

 すがるような口調のイェンに対し、タミンは非情に言いはなった。

「呼ばれなくとも行くぞ、妾は……」

「ええ。あなたの性分を考えるに、おそらくそうするでしょう」

 珍しくややためらいがちに、タミンが言葉を繋いだ。

「例えば、私がエバ殿とセフ殿のお二方を案内する、そしてイェン同志がその後ろをたどる……といった工夫は可能です」

……

……

「ですがイェン同志、銀台宮に到着した際に、私はあなたの命を保証できません」

 思わぬタミンの言葉に、「えっ……」とセフが小声を上げる。

「……そなた、妾を殺すつもりか?」

「いえ。おそらくはカケイ様が自らあなたを殺しなさるでしょう」

 イェンを除く三人は、その言葉に凍りついた。分からないことが多すぎる。イェンはカケイとともに闘った仲間ではないのか? それをカケイが殺すとはどういうことか? イェンとタミン、そしてカケイ――この三人はどんな関係なのか。

「正確にいえば、私はイェン同志を見殺しにすることになります。職分上私は主に逆らえませんし、仮に逆らったとしてもやはりあなたは死ぬでしょうから」

 タミンの口調は相変わらず淡々としていて、淡々としているがために迫力があった。もどかしげな表情をしたまま、イェンは口をつぐんでいる。イェンもまた、自身と大賢者との実力差を計っているのかもしれない。

「エバとセフが行くのじゃな……?」

 独り言とも、確認ともとれる呟きを、イェンが発した。イェンが視線を動かし、ロイを見据える。

「ロイ……背嚢ランドセルを二つ持ってまいれ。準備するのじゃ、急げ!」

 憮然とした表情だったが、ロイは黙ってその場を去った。

「タミン、お主は先に北東門まで行くのじゃ。妾が責任を持って二人を届ける」

「御意、イェン同志」

 応じてすぐ、タミンの姿が消える。タミンが消えるのに、何の予備動作も術式も要らなかった。エバの隣で、セフが息を呑んでいる。

「エバ、」

 息をついてすぐ、イェンがエバのもとへ近づいた。

「教えてもらってよいかの? あの後――何があったか――すべて!」

 語気におされるようにして、エバはこれまでの事情をすべて説明した。ヒスイの死体をタミンが持っていること、ジスモンダが謀叛者であること、姉が――リリスがジスモンダに与していること、

 このままでは、すべてが危険なこと。

 話し込むエバの後ろでは、ロイが背嚢を引っ張り出し、荷物を詰め合わせていた。話がジスモンダとリリスのくだりになると、ロイはせわしなく動かしていた手を止め、露骨に舌打ちをした。勘ぐっておきながら、決定打を打てなかった自分に憤りを覚えているのだろう。

「分かった――」

 涙ぐみかけるエバに、イェンは強く頷き返し、両肩に手を添えた。

「分かった」

「イェンさん、私は銀台宮まで行きます」

 目元を拭いながらも、エバは決然と言い放った。

「だからイェンさんは……姉さんのことをお願いします」

「分かった」

 何が願われたかを、お互いに口には出さなかった。言ってはならない気がしていた。

「ほら、受けとれよ」

 荷物を詰めた背嚢を、ロイは二人に渡した。

「国従、これからどうするつもりだ?」

「ジスモンダを叩く」

 イェンが即座に切り返した。

「あやつが何を企んでおるかは分からん。じゃがヒスイの帰りまでまごまごしている訳にはいかぬ」

「だな」

 懐に腕を突っ込んで、ロイはぶっきらぼうに答える。タミンがいなくなり、やや気楽になったようだ。

「妾は二人をタミンまで送る。――ロイ、そなたは町のようすを見て参れ。エバ!」

 ロイの返事を聞くまでなく、イェンは再度エバとセフに向き直った。二人の肩に手を回し、抱き抱える。

「ちょっと、イェンさん……」

「二人とも、必ず戻れ」

 あわてふためくセフに、イェンはそう言った。そして付け加えた、

「タミンに……あやつに喰われるな」

 と。

「どういう意味ですか?」

 エバは思わず、イェンに訊き返した。だがイェンは無言でじっと二人を見つめるばかりで、質問に答えようとはしない。

 しかし、その態度だけで充分だった。エバとセフは、お互いに顔を見合わせる。どうしても言えない、口にできない“何か”を、イェンは知っているのだ。イェンが怖れるほどのおぞましさを、タミンはどこかに秘めているわけだ。

「……分かりました、戻ってきます、必ず」

 エバは決意を固め、イェンの言葉を繰り返した。


 后来院から北東門までの道を、四人は静かに歩いてゆく。サイファは倒れたというのに、街は思いの外静かだった。

 念のため、エバとセフの二人は透明マントを羽織っていた。

「気をつけろ」

 弓の変わりに手斧ちょうなを持ち、ロイが索敵をしつつ先導する。街の静けさが嵐の前の静けさであることを、エバもセフも感じ取っていた。

 やはりまだ、闘いは終わっていないのだ。

 あと少しで北東門――その矢先、路地から急に男が飛び出してきた。紺色の制服に身を包んだ、兵士の一人だった。丸腰の状態で背をかがめ、何かを必死に探している。

 前を行くロイが、エバとセフを手で制した。

「気をつけろ」

 同じセリフを、さっきよりも息を殺して、ロイは呟く。

 兵士の一人が、こちらを振り向いた。目は血走り、唇を噛み潰したのか、口の中が真っ赤だった。

「止まれ」

 イェンが兵士に呼びかけた。上官の命令であるはずなのに、兵士に立ち止まる様子は無かった。浅くあえぎながら、歯をむき出しにして、兵士は四人へと近寄ってくる。

「止まるのじゃ!」

 イェンが叫んだのと、男が口から泡を飛ばしつつ駆け出したのは同時だった。エバもセフも戦慄に包まれる。相手は異形ではない――だが、人間でもない。動物的な本能が、二人に鳥肌を立たせる。

 叫び声をあげながら、兵士がロイの胸ぐらを掴もうとする。ロイは身体を開くと、即座に兵士の右腕を掴み、背負って投げ飛ばした。路地に叩きつけられた兵士は受身もままならず、苦しげな叫び声をあげた後に沈黙した。危機はひとまず過ぎ去った。

「いったい何なんだよ」

 兵士がのびてしまったのを確認してから、ロイが悪態をついた。

「洗脳されているようです」

「――うおっ?!」

 そして気づけば、タミンが近くにいた。騒ぎを聞きつけて、ここまでやってきたらしい。

 タミンが、エバの方を向いた。目が合ったエバは、居心地が悪くなる。透明マントを被っていたが、タミンには効かないらしい。

「洗脳じゃと……?」

「そのようです、イェン同志」

 これといった感慨も無さそうに、タミンが答える。「原理ははかりかねますが、ジスモンダは相手を洗脳する術を身につけているようです」

「じゃあ、なんだ? 俺たちも洗脳されるってことか」

 半ば軽口のようなロイの言葉だったが、誰もそれに返事ができなかった。

「ねぇ、エバ……」

 言いにくそうにして、セフがエバに提案する。

「無理して行く必要は無いんじゃないかな? まずはジスモンダを相手にして、それから――」

「いいえ、セフ。行かないと」

 エバはかぶりを振った。

「ヒスイがいないと、始まらないもの」

「でも……」

「いいから!」

 苛立ちながらエバは答える。セフは不服げだったが、それでもしぶしぶ頷いた。

「大丈夫じゃ、セフ」

 イェンは腰に手を当てる。

「妾もロイも、そう簡単にはやられん。安心してゆくのじゃ。必ず戻って来い」

「そうだ。俺と国従とで、先にジスモンダをぶちのめしておく」

 心なしか、ロイは愉快そうだった。

「分かった――」

 エバはそういうと、来ていた透明マントを脱ぎ、イェンに託した。セフもそれに習い、自らのマントをロイに手渡す。

「たぶん、イェンさんたちのほうが必要でしょ? あたし達、必ず戻ってくるから」

「承知した」

 イェンは深く頷き返す。

「では、おふた方、参りましょう」

 タミンは話を切り上げると、足早に北東門を抜けた。後ろ髪が引かれる思いだったが、エバとセフもその後を追った。

 山沿いの隘路に一行の姿が潰えるまで、イェンとロイは二人の背中をいつまでも目で追っていた。

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