「おっ、あれ……? セフじゃないか」
「あ、ロイ――」
后来院を抜けてすぐのところ。門の脇に腰を下ろして、ロイが弓具の手入れをしている。
「どうしてここに……」
「なんだ、居ちゃあ駄目か?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
弦の端をいじって、ロイは何やら輪っかを作っていた。相変わらずぶっきらぼうな印象を、ロイはセフに与える。
そのまま会釈して通り抜けてもよかった。だが何故か、セフはロイの側で立ちすくんでしまった。
「悲しいな」
ややあってから、ロイが独り言のように呟いた。
「えっ?」
「ヒスイのことさ。何も殺されてやる必要はなかった。勇者だって、長生きする権利ぐらいはあるはず。だろ?」
「うん……まぁ、そうかも」
ロイはロイなりに自分をいたわってくれている――そのことにセフも気づき、少し照れる。
「ロイ、ええっと、その……ありがとう」
「なんか感謝されるようなことしたか?」
「ほら、ええっと、……閲兵観覧席から落ちたとき、助けてもらったから」
「そうだったかな?」
とぼけるロイに、ちょっとセフはむっとする。思えばロイに助けてもらった回数より、ロイにコケにされている回数のほうが断然多かった。そう考えると、だんだんロイに腹がたってくる。
「覚えていないみたいですけど、そうでした。何かご不満でも?」
なぜかセフは敬語になる。
「別に、不満はないさ」
「言わないと、わたしの気持ちが収まらないんです」
「相手に伝わらなきゃ、感謝したって無駄だろ」
(なんて奴だ――)
と、セフは食ってかかろうとした。だが、これまでも不用意に怒ってはロイにやり込められているのだ。ここはちょっと我慢しよう、と、セフも思い直す。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「だから、何もしなくていいんだってば」
「それだと、わたしの気持ちが収まらないんですっ!」
ずっと弓具の手入れにかまけていたロイだったが、ようやく一段落着いたようだ。できた輪っかを張られていない弓の一端にかけ、面白そうな顔でセフを見つめた。
「じゃあ、おっぱいを見せてくれ」
……
……
「はぁ?!!」
……
……
頭の中が真っ白になると同時に、自分の顔が真っ赤になってゆくのを、セフは感じ取っていた。何言ってるんだ、こいつ。飄々とした顔をして、ふざけやがって。
「あなた……あなた……道 (モラル)がないんですか?! 何言ってるんですか?! 見せられるわけないでしょっ?! こんな……こんな道のど真ん中でっ!」
「『道のど真ん中』じゃなけりゃいいのか?」
「違います、そうじゃないです! いくら年下だからって、わたしのことさんざん馬鹿にして――」
「あぁ、悪かった、悪かった、冗談だよ。気にするな」
いきり立つセフを、ロイは手で制した。しかもセフが口を開く前に、
「まぁ、俺だって子供のまな板みたいな褒 (乳房)を見て喜ぶような変態さんじゃないよ」
とつけ加えた。ますます頭にくる言い草だった。鼻の辺りが痛くなってくる。セフは涙が出そうになるのをこらえる。
「私は子供じゃありませんっ」
「そうか」
真面目くさった態度で応酬するセフに、ロイはそっけなかった。その分だけ、セフも多弁になる。
「だいたい、あなたも私もそんなに歳は離れてないと思うし……」
「え、そうなのか?」
その言葉に、ロイはかなり大袈裟に食いついてきた。
「この泰陰には私だって十七になります」
「マジかよ、十才ぐらいかと思ったぜ」
若くみられている……訳でもないようだった。あからさまにセフを「あどけない」とほのめかすような口ぶりが、ロイにはあった。
「ひどい……!」
「まぁ、そんなに怒るなよ。年なんて大した問題じゃないだろ? どっちにしろお前の方が年下なんだから、その分俺なんかよりぜんぜん延びしろがあるわけだし……」
“年下”、“延びしろ”――、
憤怒に支配されかけていたセフも、この言葉にはっと我に返った。
(この言い回し、どこかで聞いたことがある)
そうだ、昔ヒスイも同じことを言っていた。
「どうした、セフ?」
目を白黒させ、先ほどまでの勢いがなくなっているセフに、ロイが尋ねた。
「いや……今の言葉、ヒスイにそっくりだったから」
「へぇ、そうか」
べつだん興味も無さそうに、ロイが相槌をうつ。
「まぁ、そうだろうな」
そのロイの応答が、セフには気にかかった。
「それは、どういう……?」
「俺とヒスイは似てる、ってことだ」
弦を弓に引っかけ、ロイは立ち上がった。塀の溝に弓の先端を引っ掛け、体重をかけて弓をしならせる。輪っかのもう一端をたぐり寄せると、ロイは弓を張った。
「似てません、ぜったいに!」
「いや、同じだ」
自分のことをヒスイと同じに扱うなんて、図々しいにも程がある。人のおっぱい見せろとか、そんなふざけたことをヒスイが言うはずが無い。いくらロイがそういう人間だからって、こればかりは冗談の範疇を超えている。
断乎、抗議してやる――セフがそう意気込んだ矢先、ロイが言葉を続けた。
「だから俺とアイツは、仲良くなれないぜ」
「……えっ?」
「アイツは絶対に、俺をよく思わない」
はりつめた弦の音を確かめつつ、ロイは丁寧にセフへ言い直した。
「俺もアイツをよくは思わないけどな。確かに――あれだ、銃を扱う技量は一人前だ。身体も柔らかいし、肌も綺麗だからな、身体能力はかなり高いだろう。……弓を引かせてもいけるな。女なのが残念だが、もし男だったら俺と同じか、あるいは俺以上に強い弓だって引ける。それは認める。……だけど技量と人格は別だ。アイツは絶対に、他人を信用しない。要は、ひねくれてるんだな」
「何を、そんな……」
激昂がセフを襲った。
「ヒスイのことをひねくれてるだなんて、ひどい……いくらなんでも、ロイにそんなこと分かるわけがないでしょ!」
「いや、分かるさ。セフ、お前はヒスイを買い被りすぎだ。ヒスイはそんな偉人じゃない。俺はそのことがよく分かっているつもりだし、ヒスイ自身だって知りすぎているぐらいだ。あいつも俺もひねくれてる。あいつも俺も『ひねくれてる』と言われるのが怖い。――『ひねくれてる』なんてことが見透かされたら、自分が凡人だってばれてしまうからな。だからあいつも俺も、人を観察するのが得意になる。いつ、誰が自分のことを『ひねくれ者』というか、それに見当をつけているのさ。――俺がこういうことを話すのだって、自分がひねくれていることを隠すためなんだぜ、ふざけてるだろ? ……人間の観察なんて、人間嫌いのすることだ。な、分かるだろ? 俺の言っていること」
「分かりません」
にべもなく、セフは打ち消した。
「分かりたくもない。……あなたには失望しました。あなたは、ヒスイより、ぜんぜんふざけてます。ヒスイのことをどうこう言う資格なんか、あなたにありません!」
「まぁ、セフにも無いけどな。ありがとよ」
「誉めてないです!」
頭に血が昇っているのを、セフは感じ取っていた。これまでの出来事なんか、みんな瑣末な出来事に思えてしまうくらい、今のロイの発言は強烈だった。ヒスイが死んで、みんなが悲しんでいるというのに、ロイだけはそうでないようだった。まるで自分がさも親しい人間であるかのように、ロイは死んだヒスイをダシにして“遊んで”いるのだ。死者をとむらう気持ちも、勇者を尊ぶ気持ちも、ロイは持ち合わせていないようだった。ヒスイを侮辱することだけは許されない。仮にそんなことになっても、ロイより先に自分の方に権利が来るはずだ。
後ろからロイが何かを言っている。が、ロイに一瞥をくれてやることもなく、セフはその場を立ち去る。
エバがどうしているのかが大切だ。あんな所で立ち話するべきじゃなかった。もっと言えば、ロイなど無視してしまってもよかったのだ。そうするだけの権利が、自分にもあるはずだ。第一自分は、国璽尚書から――
(そうだ)
ここにきてようやく、セフも思い出した。ジスモンダから渡された繍(ワッペン)の存在である。改めて見ても、青く、きらびやかなよい繍だ。
(これをロイにも――)
そこまで考えて、セフは踏みとどまる。のこのこと舞い戻ったら、またロイになんと言われるか分からない。そもそもロイはジスモンダのことを好いていないのだ。きっとそれも、ロイがひねくれているせいだ。これを渡したって、また下らない難癖をつけてくるに違いない。ちょっとぐらい、ロイを困らせてもよいはずだ。
セフは繍をしまうと、そのまま転日宮へ舞い戻ることにした。
おかげで、ロイは救われたのである。