第71話:偶然の幸い

「おっ、あれ……? セフじゃないか」

「あ、ロイ――」

 后来院ホウライユェンを抜けてすぐのところ。門の脇に腰を下ろして、ロイが弓具の手入れをしている。

「どうしてここに……」

「なんだ、居ちゃあ駄目か?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 弦の端をいじって、ロイは何やら輪っかを作っていた。相変わらずぶっきらぼうな印象を、ロイはセフに与える。

 そのまま会釈して通り抜けてもよかった。だが何故か、セフはロイの側で立ちすくんでしまった。

「悲しいな」

 ややあってから、ロイが独り言のように呟いた。

「えっ?」

「ヒスイのことさ。何も殺されてやる必要はなかった。勇者だって、長生きする権利ぐらいはあるはず。だろ?」

「うん……まぁ、そうかも」

 ロイはロイなりに自分をいたわってくれている――そのことにセフも気づき、少し照れる。

「ロイ、ええっと、その……ありがとう」

「なんか感謝されるようなことしたか?」

「ほら、ええっと、……閲兵観覧席テラスから落ちたとき、助けてもらったから」

「そうだったかな?」

 とぼけるロイに、ちょっとセフはむっとする。思えばロイに助けてもらった回数より、ロイにコケにされている回数のほうが断然多かった。そう考えると、だんだんロイに腹がたってくる。

「覚えていないみたいですけど、そうでした。何かご不満でも?」

 なぜかセフは敬語になる。

「別に、不満はないさ」

「言わないと、わたしの気持ちが収まらないんです」

「相手に伝わらなきゃ、感謝したって無駄だろ」

(なんて奴だ――)

 と、セフは食ってかかろうとした。だが、これまでも不用意に怒ってはロイにやり込められているのだ。ここはちょっと我慢しよう、と、セフも思い直す。

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「だから、何もしなくていいんだってば」

「それだと、わたしの気持ちが収まらないんですっ!」

 ずっと弓具の手入れにかまけていたロイだったが、ようやく一段落着いたようだ。できた輪っかを張られていない弓の一端にかけ、面白そうな顔でセフを見つめた。

「じゃあ、おっぱいを見せてくれ」

……

……

「はぁ?!!」

……

……

 頭の中が真っ白になると同時に、自分の顔が真っ赤になってゆくのを、セフは感じ取っていた。何言ってるんだ、こいつ。飄々とした顔をして、ふざけやがって。

「あなた……あなた……ダォ (モラル)がないんですか?! 何言ってるんですか?! 見せられるわけないでしょっ?! こんな……こんな道のど真ん中でっ!」

「『道のど真ん中』じゃなけりゃいいのか?」

「違います、そうじゃないです! いくら年下だからって、わたしのことさんざん馬鹿にして――」

「あぁ、悪かった、悪かった、冗談だよ。気にするな」

いきり立つセフを、ロイは手で制した。しかもセフが口を開く前に、

「まぁ、俺だって子供のまな板みたいなフア (乳房)を見て喜ぶような変態さんじゃないよ」

 とつけ加えた。ますます頭にくる言い草だった。鼻の辺りが痛くなってくる。セフは涙が出そうになるのをこらえる。

「私は子供じゃありませんっ」

「そうか」

 真面目くさった態度で応酬するセフに、ロイはそっけなかった。その分だけ、セフも多弁になる。

「だいたい、あなたも私もそんなに歳は離れてないと思うし……」

「え、そうなのか?」

 その言葉に、ロイはかなり大袈裟に食いついてきた。

「この泰陰テウンには私だって十七になります」

「マジかよ、十才ぐらいかと思ったぜ」

 若くみられている……訳でもないようだった。あからさまにセフを「あどけない」とほのめかすような口ぶりが、ロイにはあった。

「ひどい……!」

「まぁ、そんなに怒るなよ。年なんて大した問題じゃないだろ? どっちにしろお前の方が年下なんだから、その分俺なんかよりぜんぜん延びしろがあるわけだし……」

 “年下”、“延びしろ”――、

 憤怒に支配されかけていたセフも、この言葉にはっと我に返った。

(この言い回し、どこかで聞いたことがある)

 そうだ、昔ヒスイも同じことを言っていた。

「どうした、セフ?」

 目を白黒させ、先ほどまでの勢いがなくなっているセフに、ロイが尋ねた。

「いや……今の言葉、ヒスイにそっくりだったから」

「へぇ、そうか」

 べつだん興味も無さそうに、ロイが相槌をうつ。

「まぁ、そうだろうな」

 そのロイの応答が、セフには気にかかった。

「それは、どういう……?」

「俺とヒスイは似てる、ってことだ」

 弦を弓に引っかけ、ロイは立ち上がった。塀の溝に弓の先端を引っ掛け、体重をかけて弓をしならせる。輪っかのもう一端をたぐり寄せると、ロイは弓を張った。

「似てません、ぜったいに!」

「いや、同じだ」

 自分のことをヒスイと同じに扱うなんて、図々しいにも程がある。人のおっぱい見せろとか、そんなふざけたことをヒスイが言うはずが無い。いくらロイがそういう人間だからって、こればかりは冗談の範疇を超えている。

 断乎、抗議してやる――セフがそう意気込んだ矢先、ロイが言葉を続けた。

「だから俺とアイツは、仲良くなれないぜ」

「……えっ?」

「アイツは絶対に、俺をよく思わない」

 はりつめた弦の音を確かめつつ、ロイは丁寧にセフへ言い直した。

「俺もアイツをよくは思わないけどな。確かに――あれだ、銃を扱う技量は一人前だ。身体も柔らかいし、肌も綺麗だからな、身体能力はかなり高いだろう。……弓を引かせてもいけるな。女なのが残念だが、もし男だったら俺と同じか、あるいは俺以上に強い弓だって引ける。それは認める。……だけど技量と人格は別だ。アイツは絶対に、他人を信用しない。要は、ひねくれてるんだな」

「何を、そんな……」

 激昂がセフを襲った。

「ヒスイのことをひねくれてるだなんて、ひどい……いくらなんでも、ロイにそんなこと分かるわけがないでしょ!」

「いや、分かるさ。セフ、お前はヒスイを買い被りすぎだ。ヒスイはそんな偉人じゃない。俺はそのことがよく分かっているつもりだし、ヒスイ自身だって知りすぎているぐらいだ。あいつも俺もひねくれてる。あいつも俺も『ひねくれてる』と言われるのが怖い。――『ひねくれてる』なんてことが見透かされたら、自分が凡人だってばれてしまうからな。だからあいつも俺も、人を観察するのが得意になる。いつ、誰が自分のことを『ひねくれ者』というか、それに見当をつけているのさ。――俺がこういうことを話すのだって、自分がひねくれていることを隠すためなんだぜ、ふざけてるだろ? ……人間の観察なんて、人間嫌いのすることだ。な、分かるだろ? 俺の言っていること」

「分かりません」

 にべもなく、セフは打ち消した。

「分かりたくもない。……あなたには失望しました。あなたは、ヒスイより、ぜんぜんふざけてます。ヒスイのことをどうこう言う資格なんか、あなたにありません!」

「まぁ、セフにも無いけどな。ありがとよ」

「誉めてないです!」

 頭に血が昇っているのを、セフは感じ取っていた。これまでの出来事なんか、みんな瑣末な出来事に思えてしまうくらい、今のロイの発言は強烈だった。ヒスイが死んで、みんなが悲しんでいるというのに、ロイだけはそうでないようだった。まるで自分がさも親しい人間であるかのように、ロイは死んだヒスイをダシにして“遊んで”いるのだ。死者をとむらう気持ちも、勇者を尊ぶ気持ちも、ロイは持ち合わせていないようだった。ヒスイを侮辱することだけは許されない。仮にそんなことになっても、ロイより先に自分の方に権利が来るはずだ。

 後ろからロイが何かを言っている。が、ロイに一瞥をくれてやることもなく、セフはその場を立ち去る。

 エバがどうしているのかが大切だ。あんな所で立ち話するべきじゃなかった。もっと言えば、ロイなど無視してしまってもよかったのだ。そうするだけの権利が、自分にもあるはずだ。第一自分は、国璽尚書から――

(そうだ)

 ここにきてようやく、セフも思い出した。ジスモンダから渡されたシフ(ワッペン)の存在である。改めて見ても、青く、きらびやかなよいシフだ。

(これをロイにも――)

 そこまで考えて、セフは踏みとどまる。のこのこと舞い戻ったら、またロイになんと言われるか分からない。そもそもロイはジスモンダのことを好いていないのだ。きっとそれも、ロイがひねくれているせいだ。これを渡したって、また下らない難癖をつけてくるに違いない。ちょっとぐらい、ロイを困らせてもよいはずだ。

 セフは繍をしまうと、そのまま転日宮へ舞い戻ることにした。

 おかげで、ロイは救われたのである。

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