木乃伊のごとく干からびた腕、蛇のように長く伸びたまま、ヒスイに迫りくる。胸に湧く嫌悪の感情。ヒスイ、黒い腕を目掛け一発。
ヒスイ:ウッ?!
銃声、なぜか誰かの金切り声となり、駅のホーム全体をこだまする。わずかに逸れた銃撃、黒い腕の小指を散らす。のけぞる黒い腕、不協和音にひるむヒスイ。
ホームに溢れている人の影、姿が瞬時にほのめき、色を変え、質を変える。それはゆらめく炎。焼き光つくすべきほ、ほほほ、炎。
腕、小指を喪うも、なおヒスイの喉を目掛けて爪をたてようとする。腕に襟首を掴まれ、体を持ち上げられるヒスイ。
ケメコ:ヒスイちゃん!
ケメコ、ヒスイを助けようとするも、周囲で渦をまく業火に阻まれる。業火、蛇の舌のごとく駅のホームを這う。しかしケメコとヒスイを隔てるのみで、襲いかかろうとはしない。
ヒスイ:(まずい)
センロの上まで持ち上げられるヒスイの体躯。不意にホームを流れる、異言語のアナウンスメント。
ケメコ:ヒスイちゃん、デンシャが来るわ!
ヒスイ、苛立ちまぎれに:分かってる! ――はあっ!
ヒスイ、踏ん切りをつけて黒い腕を蹴る。黒い腕の肘の部分に、ヒスイの蹴りが炸裂。湿った音と共に、肘は反対方向へ屈折する。ヒスイの襟首を離す黒い腕。ヒスイ、宙に放り出されながらも、悶え苦しむ腕目掛け一発。今度は赤子の泣き声――銃声! 薬指が弾けとび、かわせみに姿を変え、遠くの空へ飛び立つ。
め、めめん、めめん、めめん。
め、めめん、めめん、めめん。
ヒスイ、線路に叩きつけられる前に、体を丸め衝撃を緩和。センロに左肘を打ちつけ、思わず銃を手放す。
顔をしかめつつも、ヒスイ、起き上がろうとする。そこへ轟く警笛。ホームに差し掛かったデンシャ。車輪の唸る音。デンシャの圧倒的な質量の前に、ヒスイ、なす術がない――。
ケメコ:まったく、世話が焼けるわね。
ヒスイ:ケメコ?!
センロに降り立つと、ケメコ、ヒスイの身体をセンロの脇へ押しやる。脇へ押しやりつつ、ケメコ自身も敏捷に飛びのく。ホームの下にある安全地帯へ身を潜める二人。間一髪で轢かれ死ぬのを免れる。
ヒスイ:私の銃――。
ヒスイ、必死の声。ケメコもそこで、ヒスイが銃を持たないのに気づく。進路の前方に落ちた銃、レール上に引っ掛かっている。
デンシャの前輪、銃に触れる。次の瞬間――。
ヒスイ:なに――?
銃の放つ、強烈な稲妻。聞くに堪えぬ不協和音の更なる大合唱。それは竜の咆哮、アスファルトを突き破れずに死んでいったセミの幼虫達の哀歌、飛んでいったかわせみの鳴きまね、いななく孟然努羚マウレンチュグリ。赤子の泣き声。地Q全体が揺らぎ、熟れすぎたトマトのごとくひしゃげる。時間の変転、空間の暗転、重力の輪転。
ケメコ:ヒスイちゃん!
ヒスイ:ケメコ!
互いに互いのことを引き寄せようとするも、輪転する地Qの前になす術がない。ケメコとヒスイの手、離れる。声にならないヒスイの叫び。ヒスイ、ケメコ、互いに混沌の中に弾き飛ばされる。すべての風景、すべての雰囲気、すべての気質が渾然一体となり、ヒスイを呑み込む。坩堝の中で何も出来ぬ、弱い勇者の娘。ありとあらゆる混沌に体中をもみくちゃにされながら、ヒスイ、ついに気を失う。
め、めめん、めめん、めめん。
め、めめん、めめん、めめん。
どこかしらを通過する電車の音に、ヒスイは目を覚ました。暗く、湿った臭いの充満する建物の一室に、ヒスイはいる。
「ケメコ?」
案内人の名前を、ヒスイは口に出してみる。どこからも返事はなく、ヒスイの言葉だけが虚空に吸い込まれていった。
(ここはどこだ?)
周囲を見回しても、ヒスイにはまったく見覚えがない。しかし今鳴り響いたデンシャの音からして、ヒスイはまだ地Qにいるらしい。あの明滅がなんだったのかは分からない。ただ少なくとも地Qは元に戻ったようだ。
周囲の安全を確かめてから、今までに起きた出来事をヒスイは考え直してみる。フスと出くわしてからというもの、考える時間などはほとんど与えられなかった。
まず、フスだった少女は死んだ。
そして、何がしかの力で、いまヒスイはケメコとはぐれている。
その力とは、ヒスイの銃によるもの。
そして今、ヒスイは銃を持っていない。
(どうする?)
ヒスイは顎に手をあて、思考を巡らした。とりあえずはケメコの所在と、銃のありかを確かめなくてはならない。体術に覚えはあるが、丸腰のままではヒスイだってつらい。不思議とヒスイは、銃を喪失したという気はしなかった。なぜかどこかに、銃が転がっているという確信があった。
問題はケメコに会うのが先か、銃を探すのが先かである。今のヒスイには、どちらも同じくらいの難題に思えた。ただ自ら水先案内人を名乗る以上、ケメコがそう簡単に狗斃ばるとも思えなかった。もしケメコが無事だとするなら、きっとヒスイを探しに今頃動いているだろう。
しかし、である。あの稲妻に巻き込まれ、ケメコが無事であるかどうかは分からない。ヒスイの経験則上、稲妻を浴びて無事だった人間はいない。稲妻の直撃は免れたにしても、ケメコが無事であるとは限らない。
ならばとにかく、銃を探しに行くのが先決である。――ヒスイがそう決断した矢先、不意にヒスイの後方が明るくなった。
「お姉ちゃん」
その言葉に、ヒスイは凍りつく。恐る恐る振り向くヒスイに、声の主は眼差しを注ぐ。
そこには下天で死んだはずの、フスの姿があった。下天の装束を着た、正真正銘のフスの姿だった。
「フス……?」
半信半疑で、ヒスイは声を出す。手すりをつたって段差を降り、フスはヒスイへ近づいてくる。
「どうしてここに……うっ?!」
だが、それ以上の言葉をヒスイは紡ぎ切れない。フスが突然、ヒスイに密着してきたのだ。同時に走る、脇腹への鈍い衝撃。ヒスイは顔をしかめた。全身から冷や汗が吹き出し、右足が震えだす。
フスは黙ったまま、ヒスイから一歩離れる。その右手には、鋏が握られている。鋏の刃は血糊に塗れ、まだらな光沢を放っていた。
「どうして……?」
後ずさることもままならず、ヒスイはそのまま地面に崩れ落ちた。両手で懸命に右脇腹を押さえ、ヒスイは出血を止めようとする。それでも、溢れでる血はヒスイの黒い胴衣を浸しはじめる。
赤い瞳を輝かせ、恍惚とした表情で、フスはヒスイを見下している。右手は所在なく鋏を動かし、口許にはうっすらと笑みまで浮かべていた。えも言われぬ恐怖心が、ヒスイにもどかしさを募らせる。
「久しぶりだね、お姉ちゃん」
機械的にフスは口を開いた。それから更に近づくと、フスはヒスイの右足を踏みつける。か細いフスの足からは想像もつかない、強烈な力だった。焼き付くような痛みに、ヒスイは呻き声をあげる。その声を聞きつけて、フスは満足げに笑みをこぼした。
「どうしたの? ヒスイお姉ちゃん、痛いの?」
「フス……こんな真似はやめなさい……」
「『こんな真似』って、どんな真似? ――あたし馬鹿だから、そんなこと言われたって分かんないよ」
ヒスイの体に、フスはまたがる。傷口を刺激され、ヒスイはまたもや呻き声をあげた。なぜこれほどまでに重いのだろう? 今のフスはまるで、鋼のかたまりのようだった。
「ヒスイお姉ちゃん、あたし、お姉ちゃんのこと好きよ?」
「……じゃあ、よしてくれない? こんな、こんな真似……」
「フフフ……お姉ちゃんって、口だけは達者だよね?」
フスは左手で、ヒスイの左腕を覆うグローブを外した。小刻みに震えるヒスイの指を、フスはいとおしげに眺める。
「あたしも、お姉ちゃんみたいになりたいなァ――」
ヒスイの左小指に、フスの鋏が通される。刃先が皮膚に食い込む。ヒスイの全身から脂汗が噴出した。刃の冷たい感触は、激痛となってヒスイの全身を迸る。全身に針を刺されたかのような痛み。それでいて、肝心の左手は痺れ、痛みを感じなかった。
「できた――」
フスが顔を上げる。ヒスイの千切れた小指が床を這った。あふれ出る血を、フスは目を細めて舐め取る。再度襲う激痛にヒスイは悶えたが、フスは容赦なくヒスイの左手にしゃぶり付く。
どれほど時間が経ったのかは分からない。痛みを堪えるヒスイにとっては、永遠の月日が過ぎていったような感覚がした。ヒスイの血の味を満喫すると、フスは床に転がったヒスイの小指を摘み取り、口の中へ放り込んだ。
骨を噛み潰す音が、暗い室内に響き渡る。フスは鼻息を荒くし、心底美味そうにしてヒスイの小指を食べている。
「あァ――」
ヒスイの小指を嚥下し、頬を上気させたフスは、もう一度ヒスイの左手を掴み取る。ヒスイの血糊を服の裾で拭い去ると、フスはふたたびヒスイの手指に鋏を立てる。荒々しく薬指に鋏を這わせ、強引にフスは薬指を断ち切った。噴射するヒスイの血と、悲鳴。返り血を顔に浴びながら、それでもフスはぎらついた目線をヒスイから外さなかった。
ヒスイは歯を食いしばり、必死に痛みを堪える。フスが傷口にしゃぶりつく度、ヒスイは気絶しそうになる。既に立ち上がれるのか分からない。わき腹から溢れる血が、ついに床にもはびこり出した。
「お姉ちゃん、ヒスイお姉ちゃん、聞こえる?」
顔を青ざめさせているヒスイに、フスは何度も呼びかけた。「分かる、お姉ちゃん? 指が三本になっちゃったのよ? もう左手で銃は握れないよね? お姉ちゃんはおしまいよ。指が二本欠けちゃっただけなのに。ヒスイお姉ちゃんは、本当にただのお姉ちゃんなの――」
フスはいったん言葉を切ると、鋏を滴るヒスイの血を舐めた。
「ヒスイお姉ちゃん、あたしね、お姉ちゃんのこと大好き。だからね、あたし、お姉ちゃんに早く死んでほしいの。『伝説たるために、勇者は死なねばならぬ』ってことよ、分かる、お姉ちゃん?」
奥歯を噛み締め、ヒスイは真剣にめまいを堪える。
(死ぬのか?)
今度こそ、そのときなのかもしれない。竜の島で一度死に、この地Qで二度死ぬ。次には一体どこで死ぬというのだろう。あるいはそのときこそ、ヒスイは自我から解放され、漂白されるときだというのだろうか。
「違う」
雑多な思考のひしめく中で、しかしヒスイは明朗に答えた。自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
「“違う”? ――何が違うの?」
いぶかしげにフスは問うた。そうだ。一体何が違うというのだろう? だが自らの戸惑いとは別に、言葉そのものは次々とあふれ出てくる。枯れてしまったはずの泉が、息を吹きかえしてゆくかのようだった。
「私は勇者なんかじゃないわ」
不服そうな顔をしたまま、フスは鋏を所在無く動かす。
「フス、聞いて。勇者かどうかは、人に決められることじゃないの、私が決めることよ。私は勇者になんかならないし、伝説になるつもりもないわ」
ヒスイの脳裏に、燃える人がほのめいた。それはまだ見ぬ勇者・イスイの本性。
「この世界に……私の住む世界に、勇者は一人で充分。私以外の一人で充分よ。フス、分かるでしょ? 私の言いたいことが」
フスの頬が、一瞬だけ引き攣った。ヒスイがかつて目にしたことのないほど、フスは不満げな様相だった。鋏を動かしていた手が止まる。
「うん、分かったよ、お姉ちゃん――」
鋏を逆手に握り、フスはヒスイの胸を狙う。
「でも私は、お姉ちゃんに勇者になってほしいの。だからもう――サヨナラ!」
握り締めた鋏が、ヒスイの胸を目掛け振り下ろされる――。
そのとき、
「やめなさい」
二人の背後から、第三者の声がした。目を閉じかけていたヒスイの視野に、黒い物体が横切る。物体はフスの握る鋏とぶつかり、強烈な稲妻を発した。フスの小柄な体は稲妻に煽られ、水平方向へ吹っ飛ぶ。壁に叩きつけられるフス。湿った音。
「ケメコ――」
首だけを動かして、ヒスイは声の主に呼びかけた。そこに立つケメコは、外からの光を浴びて輪郭がおぼろげだ。
ヒスイに近づくと、ケメコは黙ったままヒスイを立たせる。膝に手をつきながらも、ヒスイは何とか立ち上がった。それから腰を落ろすと、ケメコは銃をハンカチに包んでヒスイへ手渡す。ヒスイは躊躇いがちに、その銃を右手に受けた。いつも使っている銃だというのに、素手で触ると重たく感じた。
「ほら、ヒスイちゃん。無いと困るでしょう?」
額の汗を拭いながら、ケメコはそう口にする。
「見つけてくれたの? 大丈夫だった?」
「ええ。……まぁ、『大丈夫』というとウソになるけれど」
拭ったそばから、ケメコこめかみを汗が伝う。ケメコの左腕にこびり付く血糊に、ようやくヒスイも気づいた。
「この血――」
紺色のセーラー服で分からなくなっていたが、ケメコは負傷していた。左肩に丸い穴が開き、そこから血が染み出している。
「さすがはあなたの銃よね。握った瞬間、身体を乗っ取られて、ドーン、よ」
「――どうしてそんな無茶をするの……!」
「フフフ……」
肩を震わせてケメコは笑う。しかし笑みを浮かべた唇は、血色がかなり悪かった。「ヒスイちゃん、私はあなたのファンよ」
「ファンだから、私のために死ぬわけ? ――馬鹿げてるでしょう! そんなの!」
「馬鹿げてなんかいないわよ、ヒスイちゃん。私は大真面目よ?」
するどく言い放つヒスイに、ケメコはあくまで冷静だった。
「フスちゃんって子は下天で、『今日を生きるために生きていた』と言ってたでしょう? 私も同じ。この瞬間を背負うために、今日まで生きてきたのかもしれないわ。……見て?」
ケメコは顎で、ヒスイの後方を示した。目を移したヒスイは、そこで見える光景に唖然とする。
稲妻を喰らったフスが、緩慢な動作で起き上がりつつあった。頭部はねじくれて、ひしゃげ、あたかも巻貝のようになっている。
小刻みに左右へ震えたあと、フス“だったもの”が変形を始める。両腕は肥大化し、蟹の爪のようになる。目は落ち窪み、頭部からは角が生える。皮膚の色は肌色から黒に代わり、先ほどとはうって変わって巨躯をなした。ビルの上でヒスイを襲い、マンションの一階でヒスイを襲った異形――それがまたしても姿を変え、今度こそ完全に人間の姿を喪って、ヒスイに襲い掛かってきたのである。
「――っ!」
ふたたびヒスイを頭痛が襲う。この異形を見るたびに、ヒスイは頭痛に襲われるようだった。今度はヒスイも予想がつき、何とか頭痛を堪える。指のかけた左手が痛い。
――闘エ!
右手に握る銃が、ヒスイにけしかける。冷や汗を感じながらも、ヒスイは右手で引き金を引いた。銃声。角が弾けとび、異形は体勢を崩す。かつてない衝撃が、ヒスイの右肘と右肩に圧し掛かった。思いがけぬ苦痛に、ヒスイは不甲斐無くよろめく。そんなヒスイの背中を、ケメコが支えた。
「逃げましょう、ヒスイちゃん」
ケメコが、ヒスイの腕を引っ張る。それにつられて、ヒスイも光の向こうへ駆け出そうとする。ヒスイにはもう、異形と闘いうるだけの力は残っていなかった。
お互いに無言のまま、ヒスイとケメコは階段を下る。これまでと違い、扉を開け放っても異なる空間には繫がっていない。
自らも怪我をしているというのに、ケメコはしきりにヒスイをいたわってみせた。そんなケメコの配慮が、今のヒスイには辛かった。
マンションを抜けて、フスを見たとき――あのとき、ケメコの言い分に従っていればよかったのだ。そうすれば、フスが死ぬのを見なくて済んだし、ケメコは傷つかなかったし、ヒスイ自身だって負傷しなくて済んだ。
(これからどうする――?)
手拭で止血した自らの左手を眺め、ヒスイは途方にくれる。たかだか二本の指を失っただけだというのに、もうヒスイは左手で銃を握れない。これからは右手で銃を駆るしかない。だがそれだって首尾よくいくか分からない。
みじめだ。あまりにも、みじめだ。
「着いたわ――」
何度目かの扉をくぐり、何度目かの階段を降りた先――、そこへ降り立つと、ケメコは壁に手をついて、深くため息を洩らした。
「ケメコ――!」
ヒスイ自身も足取りは重かったが、それでもケメコの様子をうかがおうとする。だがケメコはかぶりを振って、黙ったまま歩き出した。かける言葉が見つからず、仕方なくヒスイもそのあとを追った。
ここも駅構内のようだ。ただ、駅全体が建物に包まれているようだった。たしか下天でフスは“チカテツ”だと言っていた。
「ここは……」
天井を埋め尽くす細長い照明――蛍光灯――を見て、ヒスイは口を開く。
「下天と同じ……」
「そうよ。寧ろ『下天が同じ』って言って欲しいかしら?」
「フスがデンシャを教えてくれたわ」
「あら、フフフ――」
ケメコが笑みを零した。体調は最悪であるだろうに、ケメコの笑みはいつも通りだった。それが却って、ヒスイの心をえぐる。
「ならば私もフスちゃんと一緒よ。――ほら」
ケメコは前方を指差す。俯き加減だったヒスイも、つられて前に視線を移した。
ホームには、一台のデンシャが停まっている。あのときと同じ、赤い車体が何両も連なっている。
ヒスイがやってくるのを待ちかねていたかのように、デンシャの扉が開いた。内部の照明が、ヒスイたちに明るい光を投げかけていた。
「このデンシャは――どこへ行くわけ?」
「フフフ……どこへ行くのかしら? ヒスイちゃん、当ててみれば?」
顔色こそ青白かったが、ケメコは心底面白そうな様子だった。そんなケメコを見て、ヒスイも一つの答えを思いつく。
「まさか、カケイ様のところへ――」
「そうよ」
更にヒスイが口を開こうとしたとき、恐るべき轟音が通路の向こう側から響いてきた。ヒスイもケメコも怖気を感じ、通路の奥を見やる。異形の姿は、今は見られない。しかしすぐにここまでやってくるだろう。何度も二人を追い詰め、ヒスイの指を奪った異形が。
「……早く出発しないと」
「ええ、そうしましょう」
ヒスイは身を翻し、デンシャへと飛び乗る。
「さぁ、ケメコも――」
それ以上の言葉を、ヒスイは口にしなかった。いや、出来なかったと言ったほうが正しい。スリングショットを取り出すと、ケメコがその柄でやおらヒスイの眉間を打った。文字通り面を喰らい、その衝撃でヒスイは崩れ落ちる。
「……ぅ……あ……」
「ごめんね、ヒスイちゃん」
……
……
「私とは、ここでサヨナラよ」
立ち上がれないヒスイを見て、ケメコは無邪気に笑う。ケメコは頭に手を回し、お面を被りなおした。
……
……
「どうして……?」
「フフフ……」
一歩下がりケメコは電車から離れる。デンシャのドアが閉まる。
「だって私は、あなたの飯ですもの。ヒスイちゃん、あなたは飯より長生きしなくちゃいけないのよ? 分かる?」
……
……
ヒスイとケメコとを、デンシャのドアが隔てている。
「待って、ケメコ、どういうつもりよ!!!」
よろめきながら立つと、ヒスイは必死にケメコへ向かって叫ぶ。だがケメコは微笑んだままで、何かを答えようとはしない。
「ケメコ、開けなさい! 命令よ! 私の飯なんでしょう?!」
不意に車体が揺れ、デンシャが発進する。
「ケメコ……お願い」
ヒスイは拳でドアを叩きつける。零れる涙。だがケメコはホームに立ち止まったまま。ホームの奥から、異形が姿をあらわす。遠のいてゆくホームの光景。ヒスイの目に映る、異形とひとり対峙するケメコの姿。
デンシャ、暗闇の奥へと吸い込まれてゆく。ヒスイはその場に崩れ落ちる。
め、めめん、めめん、めめん。
め、めめん、めめん、めめん。