ヒスイ、ケメコ、フスの後を追う。ヒスイ、街の大きさを改めて実感する。鮮やかな色彩。街路の左右にひしめく塔の数々。“竜の島”では見たこともないほどの摩天楼。整然とした、歪みひとつない道路。その道路を立体に交差する、水道橋のごとき別の道路。どこまで行っても街が続いているような錯覚。所々で移りこむ、”地球”からの人影。ただし音はまったくしない。落ち着かないヒスイ。
ヒスイ:この街は地Qの首都なの?
ケメコ:うん? フフフ……。
ヒスイ、ケメコの意味深な笑みに少し腹を立てる。
ヒスイ:あら? 何か私面白いことでも言えたのかしら?
ケメコ:半分正解で、半分はずれかしら? そうね。ただ私が説明に困っただけよ。
ヒスイ:じゃあ、ここは首都じゃないってわけ?
ケメコ:いいえ、ちゃんとした首都よ。といっても地Qの首都じゃなくて“ニホン国”の首都だけどね。
ヒスイ、逡巡しつつも:それって……つまりどういうこと?
ケメコ:困ったわね。――だから「困った」って言ったでしょう? ヒスイちゃんの世界には“竜の島”しかないから、“国”が説明できないのよ。存在しない概念を新しく伝えるのって至難の技なのよ?
ヒスイ:竜の島だって立派な国よ。ちゃんと南滄ナンスワイという名前だってあるし……。
ケメコ、ヒスイの話を遮りつつ:ええ、ええ。でも私たちの世界の国とヒスイちゃんのところの国はちょっとニュアンスが違うのよね。まぁ、いいわ。とりあえずヒスイちゃんが知ることの出来る世界は、この“トーキョー”しかないんだから、ニホン国の別名が地Qだと思ってしまって構わないわ。どう、分かった?
ヒスイ:ええ、いいわ、分かった。
と言いつつもヒスイ、ケメコのやや消極的な説明を嫌に思う。その間もフスの姿、明滅しながらある方角へ向かう。
ヒスイ、向こうにそびえる建物を見やる。水道橋のような立体道路の向こう、宮殿を思わせるほど大きい、しかし殺風景な白い建物。宮殿の城壁を分厚くしたかの容貌に、ヒスイ、息を呑む。その前には申し訳程度の広場。地面には不可解な横一文字の白い文様。
宮殿の上には大きな看板。しかしヒスイ、そこにある文字を読めない。下に目を移すヒスイ。そこには別の文字、
希善樹里駅
と書いてある。
ヒスイ、目を細めつつ:希善樹里?
ケメコ:ええ。でも、おかしいわね。
ヒスイ:「おかしい」?
ケメコ:ヒスイちゃんの世界の情報が、地Qに混濁している。……この場所は、本来”希善樹里”なんていう名前じゃないのに。
ヒスイ:じゃあ、やっぱりフスが……。
ケメコ:そうかもしれない。
そのとき、建物を横断する鉄の橋の上を、箱状の乗り物が移動し、建物内へと吸い込まれていく様子を、ヒスイは目撃する。ヒスイ、それが”デンシャ”であると気付く。
ヒスイ:あれは……”デンシャ”?!
ケメコ:そうよ。……この駅にはデンシャが行き交って、人が運ばれるの。もしここが地球だったら、それはもうすごい有様よ。「人海もかくや」と思っちゃうくらいにね。でも幸か不幸かここは地Q。人がほとんどいないから、わたしたちはフスちゃんだけを見失わないようにしなくちゃね。
ヒスイ、ケメコの言葉に気を引き締める。駅周辺になって、“地球”から移りこむ影の姿もまた多くなる。
だがこれをどう捉えればいいのだろうか。もしかしたら、自分達が影だと考えているものこそが本当の実体であり、もしかしたらそれらの実体において自分達こそが影と見られているのかもしれない。もしかしたらあるいは影だと思っているものが実は影であり、もしかしたら本当の影であると思い込んでいるもしかしたら本当の影である?
みなさん、みなさん! みなさん、みなさん!
そうであるのならば、この目に映りこむ地Qの影像とほほほは何なのだろうか? 幻影以上の価値を帯びているとでも言うのだろうか? ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ。こんにちは、さようなら。こんにちは、さようなら。ありがとうの入り込む余地のない、それはこんにちは、さようなら、らららら、らららら。アスファルトを突き破れずに死んでいった、セミの幼虫達の哀歌。
セミの幼虫たち:死んでしまったら、らららら、らららら。死んでしまったら、らららら、らららら。
ヒスイ、ケメコ、影を掻い潜りつつ、フスに接近する。フス自身も影を巧みに避けながら、駅構内へと入ってゆく。
め、めめん、めめん、めめん。
め、めめん、めめん、めめん。
駅構内に、電車の走る音が響いてくる。
ケメコ:気をつけてね、ヒスイちゃん。
ケメコ、そう言いながら、自身もスリングショットを片手に握る。ヒスイも銃を握り締め、周囲に気配を配る。異質な駅構内の様子。ただヒスイには既視感デジャヴ。――かつてサァキャと潜り抜けた“カイサツ”の存在。
ヒスイ:あれが“カイサツ”よね?
ケメコ:ピンポーン。当たりよ、ヒスイちゃん。
フスの影、ブレザーのポケットから札を取り出すと、それをカイサツの一端に添える。カイサツの一端、札を受けて発光し、行く手を塞がなくなる。
ヒスイイイイイイ、青いひ、ひく、ひじゅく、光を初めて見る。
ヒスイ、思わず:青い光……
ケメコ、はじめはその言葉の意味が判らない。
ケメコ:青い光って、どういうこと?
ヒスイ、指差して:あれよ。あの“カイサツ”の青い光。
ケメコ:え? ああ。――ヒスイちゃん、気になるわけ?
ヒスイ:ええ。青い光なんて、はじめて見たから。
ケメコ:ウフフ……そうよね。異なった世界には、異なったものがあるわ。
ヒスイ:でも、この世界は――。
ヒスイ、ここで言葉を切る。この世界は確かに、ヒスイの住む“竜の島”より遥かに清潔で、遥かに住み心地も好いだろう。ただそれでも、ヒスイ、この世界から受け入れられないと考える。おそらくはキスイもそうだろう。だから“竜の島”へやってきた。
そしておそらくは、生まれ変わる前の“フス”だって。
ケメコ:向こうへ行ったわ。
ケメコの言葉通り、フス、カイサツを通り抜けて真っ直ぐ進む。
ヒスイ、ケメコ、空いたカイサツを抜けようとする。しかしそのとき、
カイサツたち:ごきげんよう、さようなら! れるれる・ろいろい、らららら! れるれる・ろいろい、らららら!
ヒスイ、舌打ちをして:何よ、まったく!
ケメコ:ヒスイちゃん、気をつけて!
カイサツたち:青い光、青い光、らららら! 青い光、青い光、らららら! 「死んでしまった」と言われて初めて死ねる人たち! 死体に向かってアデュウという勇者の娘! 亡者にむかってメメント・モリという竜の娘! 青い光、青い光、らららら! 青い光、わおういいいわおういいい、青い光、らららら!
ヒスイ、突如として脚を締め付けられる。事態を把握するより前に、床に転がされるヒスイ。カイサツの影、不気味に変形をし、ヒスイの脚にまとわりついている。
ヒスイ、顔をしかめつつも、銃を構え、一発。銃撃はカイサツに命中。カイサツ、煙を噴き上げ、サイレンを鳴らす。
すかさず電車の音、
め、めめん、めめん、めめん。
め、めめん、めめん、めめん。
ヒスイ、立ち上がって:何、これだけ?
ケメコ:ええ。――そのようね。
崩れたカイサツから漂う、焦げ付いた臭い。一つのカイサツを叩いたのみで、他のカイサツも沈黙。
ヒスイ:どうして地Qの……というか地Qは私について知っているわけ?
ケメコ:地Qは見たくないものを見せてくれるからよ。
ヒスイ、ケメコ、警戒しつつもカイサツを通り抜ける。
ヒスイ:それは……私の影、ってことかしら?
ケメコ:そうかもね。もっとも、だいたいの人間にとって“見たくないもの”は共通しているけど。
ヒスイ、ケメコの言葉に共感する。狂奔。噴火する膿。郵便ポストの中に入っている、ヤマのような鼠の死骸。切り刻まれたカエル。血液を吸引されるあわれな老人。落書き。絞首により首の伸びきった自殺者。生まれながらにして、心臓に穴の空いた胎児。
そして“フス”の幻影。――それらに共通する「死」の影。
ヒスイ:はやく“フス”を何とかしないと。
ケメコ:そのようね、行きましょう。
ケメコに案内され、ヒスイは先へ進む。
複雑な駅構内。影を避けつつ進む二人。
ついに目的のホームへ降り立つ。ホームにひしめく人の影。影、さまざまな格好をしているが、黒い装束を着た人間が多い。ヒスイ、緊張しつつも、万が一に備え銃を構える。
フス、影の中にまぎれつつ、奥へと進む。
め、めめん、めめん。
め、めめん、めめん。
黄緑の線を模様として施した“デンシャ”、ホームへと入り込む。ものすごい人の群れが、扉越しに行き交う。ただの影であるにもかかわらず、ヒスイ、人酔いをおぼえ気分を悪くする。人の波、ヒスイとケメコまで押し寄せる。
ケメコ:突っ切るしかないわね。
ケメコの言葉通り、人の影が殺到。押し寄せる人の波を、二人、直立したままやり過ごす。影に呑まれ、黒く染まる視界。
ヒスイ:ケメコ、行きましょう、フスを見失っちゃうわ。
ケメコ:ええ――。
二人、影を掻き分けるように前へ。影のなだれが終わり、ようやく視界がすっきりする。
ホームの半ば、フス、列の先頭に並んでいる。ホームに響き渡るアナウンスメント。ヒスイ、言葉の意味は判らない。
ヒスイ、あることに気づく。フスの周囲のみが光に当てられたように輝いており、フスの装束が鮮やかに輝いている。地Qに似つかわしくない、妙な神聖さ。
ヒスイを襲う、強烈な胸騒ぎ。
頭に溢れかえるイメージ。ミンチ、そしてトマトとかいう果実。視界の上方によぎる、デンシャの無機質な影。フスの死。
ヒスイ:まずい――。
ケメコ:どうしたの?
ヒスイ:あの子、死んじゃうわ。
ヒスイ、とっさに駆け出す。電車の鼻先、ホームに到達する。間に合わない!
ヒスイ、必死に:フス!
静かなる地Q世界に響き渡る、ヒスイの言葉。俯き加減のフス、ヒスイの声に呼応するように顔を上げる。
ちょうどそのとき。
フスの体、突如として前へはじき出される。否、フスの後ろから突き出した、黒く痩せた右手、フスの頭を掴み、センロへ叩きつける。蛇のように長く、干からびた腕。木乃伊のように薄汚れた、不自然な腕。黒い腕、フスの小さな頭を、センロに叩きつける。嫌な音。背嚢ランドセルがほどけ、教材が散らばる。フス、苦痛に顔をゆがめながらも、ホームを見上げる。
迫るデンシャ。時が止まったかのような錯覚。センロと車輪の間に挟まれるフスの柔らかい体。バターが溶けるように、車輪に巻き込まれてすり潰されるフスの体。
め、めめん、めめん。
これは電車の走る音。
め、めめん、めめん。
デンシャ、なぜか通り過ぎる。まるでフスなどいなかったかのような、誤差のない走り。立ちすくむヒスイ。これまでになく大きく軋んでいるかのような、デンシャの金切り音。
ヒスイ、呆然と:まただ……。
ヒスイの言葉、虚しく響き渡る。ホームに停止する電車。ふたたび人影たちを乗り降りさせ、何事もなかったかのようにホームを走り去る。
ヒスイは二度殺し、フスは三度死ぬ。
ヒスイ、フスを「死んだ」と認める。これが第一の死。
ヒスイ、拳を握り締めて:また……助けられなかった。
ケメコ、鼻白みながら:ヒスイちゃんのせいじゃないでしょう?
ヒスイ:“私の見たくない世界”よ。ならば私の関わっている世界だわ。
ケメコ:でも……じゃあヒスイちゃんには何が出来たって言うの? フスちゃんの代わりに、ヒスイちゃんが電車に轢かれれば好かったわけ?
ヒスイ、ケメコの言葉に答えられず、唇を噛む。もう一度前のホームの見やり、まばたきをする。
まばたきをし終えるヒスイ。そこへ突如として現れる新たな“影”。
それはフスを突き飛ばした、黒くて長い腕。