第67話:ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ。

 飴色の丸帽子に、飴色のブレザー。やはり飴色の背嚢ランドセルに飴色のスカート。“フス”に似た少女、右脇に手提げを大事そうに抱え、行き止まりまで走る。ヒスイ、ケメコ、その様子を遠巻きに見つめる。

 行き止まりの扉、とつぜん閉まる。“フス”に似た少女、そのまま階下へとスライドしてゆく。

ヒスイ、いぶかしげに:どうなっているの?

ケメコ:エレベーターよ。

ヒスイ、たどたどしく:エレベーター?

ケメコ:昇降機って言ったほうがいいかしら? 人を上げ下げする乗り物よ。便利でしょう?

ヒスイ:便利そうだけど……私たちも使うの?

ケメコ:いいえ、こっちよ。

 ケメコが指差す先に、階段。ヒスイとケメコ、急いで階段を降りはじめる。階段に口があるならば、きっと階段は歌を

 歌っただろう、「歓迎ようこそ地Qへ! 次世代へ向けての大吐血。僕は 昇りの階段さ。

 歓迎そ地Qへ!

 歓そ迎Q地へ!

 へQ迎地そ歓!

 」と。

 め、めめん、めめん。

 め、めめん、めめん。

 階段を降りながら、

ヒスイ:どうしてエレベーターなんてものが必要なの? ここに階段があるのに。

ケメコ:ヒスイちゃん、お年寄りになっても高いところまで階段で行く気?

ヒスイ:それは……そうだけど。じゃあ、どうして私たちは階段で追いつく必要があるの?

ケメコ:あら、忘れちゃったの? 扉が閉まっちゃったら、もう一度同じところへ辿り着ける保証なんかないのよ。

ヒスイ:(そうだった)

 二人、ようやく階段を降りきる。

ケメコ:こっちよ。

 ヒスイ、ケメコに案内され、エレベーターの入り口前まで到達する。壁に取り付けてある点滅表示を、ケメコは確認する。

ケメコ:まだ着いていないようね――

 ケメコ、更に何かを言おうとする。だがそのとき、急激な殺意がヒスイを襲う。ヒスイ、険しい表情で銃を構え、エレベーターの入り口に照準を合わせる。固唾を呑むケメコ。

ヒスイ:ケメコ、何か来るわ――。

 エレベーターの本体、一階へ到着する。本体の奥にうごめく、“フス”ではない何者か。何者かの圧倒的な質量に、二人は後ずさる。撃鉄を上げるヒスイ。ケメコ、ポーチから取り出したパチンコ玉を幾つか取る。ケメコの手中で、光沢をよせるパチンコ玉。

 「ピンポーン」という間の抜けた音。姿を見せた“何者か”。――それは地Qに到着して早々、ヒスイを襲撃した謎の異形。蛹と化していたはずの異形、二人の眼前で“孵化”を開始する。

 ヒスイ、引き金をひく、銃声。銃撃を受けた蛹、金属の擦れ合うような不快な音を立てるも、微動だにしない。蛹を食い破り、急速に正体を見せつつある異形。

ヒスイ:(ううっ?!)

ケメコ:ヒスイちゃん、大丈夫?!

 ヒスイ、更なる銃撃を浴びせようとするも、吐き気を催すほどの強烈な頭痛に襲われ、よろめく。

ヒスイ:(クソッ、まただ――)

 ヒスイ、膝をつきかけるも、異形からは目を離さない。

 ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ、

 異形、先ほどよりも図体を大きくしている。黒ずんでいた部分は更に大きくなり、人間だった部分、および衣装をほとんど飲み込んでしまっている。もはや人間としての体裁を維持しているのは、異形の頭部のみ。頭部、異形の肉塊にほぼ埋没し、ただ顔の部分の皮膚だけが残っているに過ぎない。右手の指だった触手は更に発達し、昆虫の脚のごとき形状。かつて鎌だった部分は中央に移動し、断頭台ギロチンの刃のごとく下半身に垂れ下がっている。

 異形、エレベーターの個室を這い出てくる。異形、脚を天井に伸ばし、先端で穴を空け、そこへぶら下がる。

 ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ。

ケメコ、不愉快そうに:厄介ね……。

 ケメコ、スリングショットを引き絞り、パチンコ玉を放つ。しかし、ことのほか速い異形の身振りで、玉は天井に穿たれる。鞭のようにしなる、異形のギロチン刃。ケメコ、身を翻して間一髪でかわす。刃、地面に深い溝をつくる。

 無防備になるケメコ。異形の右前脚についた複眼、ケメコを睨む。ヒスイ、銃を構える。銃声。銃撃、複眼に炸裂。異形の雄叫び。異形、天井から落下し、床に叩きつけられる。ヒスイを睨み付ける、左前脚の複眼。

 異形の体、突如として“割れる”。湿った音。中から這い出る黒い触手。ヒスイ、即座に銃撃を叩き込むも、ちぎれ飛ぶあとからあとから触手が這い出てくる。

 触手、

「ぶっ!」

 という汚い音とともに、黄緑の体液を放出する。即座に身を丸め、それを避けるヒスイ。異形の体液、地面で泡を立て、小刻みな爆発を引き起こす。

ケメコ:ヒスイちゃん! これを狙って!

 ケメコ、ヒスイへ注意を促し、持っていた赤く細長い“樽”を異形に投げる。金属製の赤い“樽”、異形の中央に激突する。ヒスイ、その激突の瞬間に、

ヒスイ、澄んだ瞳で:アデュウ!

 引き金を引く手応え。弾ける赤い“樽”。中から飛び出す白い液体。瞬間、爆発! ――風圧にさらされるヒスイの体。熱気。一瞬にして吹き上がる汗。耳障りな音――それは警報音。吹き上がる紫煙。耳をつんざきかねない、異形の切実な悲鳴。火に包まれる異形の体躯。焼けただれた体躯に、容赦なく降り注ぐシャワーの水。それはスプリンクラーの水。顔を背けるヒスイ。異形、全身をひきつらせた挙げ句、ついに動かなくなる。

ケメコ、口笛を鳴らして:いいわね、いいわよ、ヒスイちゃん!

ヒスイ:ハァ、ハァ――

 ヒスイ、額の汗を拭ってから立ち上がる。立ち上がる間にも、異形の体躯から黒い血が吹き出る。黒い血、ふたたび異形を覆う蛹と化す。

 ヒスイ、至近距離から蛹を試し打ちする。銃声を掻き消すほどの、ものすごい不協和音。蛹、割れ鐘のような音を弾くも、傷一つつかない。

ヒスイ、あきれて:なんなのよ、コイツ。金剛みたいね。びくともしないわ。

ケメコ、腕を組んで:そうね。ほんと、困ったものよね。ピンチになるとこんな風に殻に閉じこもっちゃうんだから。それにこの怪物、ヒスイちゃんが目当てみたいよ?

 舌打ちするヒスイ。異形の正体は不明。異形に会うたび、ヒスイを襲う頭痛。

ヒスイ:(コイツ……元は誰だったんだろう?)

 ヒスイ、懸命に記憶を辿ろうとするも、頭の痛みがそれを遮る。

ヒスイ:(ダメだ。まだ思い出せない。きっと、コイツは最後の一日に関わっている)

ヒスイ、観念して:いいわ……それよりもあの子のことよ。

ケメコ:そうね。でも――。

 ケメコ、エレベーターの方向を見つめる。既にエレベーターは、上の階へと戻ってしまっている。ヒスイ、水の生臭さが気になり、もう一度足元を見つめる。

 いつの間にやら、水溜りには無数の蟻が死んでいる。

ヒスイ、おぞましげに:何これ……?

ケメコ:蟻さんの死体ね。

ヒスイ:そんなこと分かっているわよ。いったいどうして……?

 ヒスイ、スプリンクラーを一瞥する。スプリンクラーを一瞥する、ヒスイ。ヒスイを一瞥する、スプリンクラー。スプリンクラー、ヒスイを一瞥する。どれが正しいのかと訊かれたときに到達すべき正しい答えとして:ヒスイ、ヒスイを一瞥するヒスイ、ヒスイ。スプリイイイイイイイインクラー、スプリイイイイイイイイイインクラアアア。もしスプリンクラー、人並みの貞操観念と大匙いっぱいの大八車があれば、きっと天晴れ、天晴れ! 天晴れ、天晴れ! 天晴れ、天晴れ!

 天晴れ、天晴れ! 天晴れ、天晴れ!

 め、めめん、めめん。

 め、めめん、めめん。


ケメコ:ここが地Qだからよ、ヒスイちゃん。この世界では合理が通用しないのよ。「合理が通用しない」ってことをちゃんと知っておかなければ、普通の人なんか即座に狂っちゃうわ。

 ケメコ、靴のかかとで水溜りに浮く蟻の死体をすり潰す。ヒスイ、一瞬スプリンクラーから直に蟻の死体が撒き散らされているのではないかと思い慄然とする。しかしスプリンクラー、依然として普通の水を放出するのみ。

ヒスイ、怪訝そうに:じゃあケメコ、あなたはやっぱり普通の人じゃないわけね?

ケメコ:ええ、ヒスイちゃんのフアンですもの。

 ケメコ、悪戯っぽく笑う。ヒスイ、それに応じず、憮然とした表情を作る。

 ヒスイ、気配を感じて後ろを振り返る。そこは建物の出口。奥に覗く街路や街路樹を見て、ヒスイ、やや安心感を抱く。

 ヒスイの目前で、何かしらの揺らぎ。蒸気のような揺らぎ、さらに大きくなり、一定の形を帯びる。

 それは“フス”の後姿。

ヒスイ、思わず:フス!

 “フス”に似た少女、一瞬だけ立ち止まり、不思議そうに後ろを振り向く。あどけない“フス”の表情。ヒスイ、少女が生まれ変わる前の“フス”だということを確信する。

ケメコ、小声で:気づいてないみたいね。

 フス、しばらく当たりを見回すも、ふたたびせわしなく駆け出し、出口を抜ける。

ヒスイ:どういうこと?

ケメコ:わからないけど……地球と地Qとの境をふらついている、ってところかしら?

ヒスイ:とにかく、行ってみましょう。

ケメコ:ええ。

 ヒスイ、ケメコ、フスの後を追う。

 二人の去った後。異形、怪しげな脈動。黒い蛹、ふたたび割れ、中から異形の鋭い爪が露になる。

 め、めめん、めめん。

 め、めめん、めめんめ。

 ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ。

 ぶらぶらぶら、ばぁばぁばぁ。

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