第65話:夢まぼろしの統治

 脚に羽が生えたかのような速さ。ヒスイ、恐怖に駆られつつも、何とか扉をくぐる。ケメコ、後方を注視しながら、扉を閉ざす。

 今しがた掻い潜ってきた光景。石でできた床から、無数に生える右足。金切り声を上げる男たちの虚像。わずかに人間の面影があるせいで、よりグロテスクに見える。

ヒスイ:ハァ、ハァ――

ケメコ、額の汗を拭いながら:やれやれ、間一髪ってところかしら?

ヒスイ:ケメコ、説明して。今のはいったい何だったの?

ケメコ、上方を見つめながら:ええっと、そうねぇ……なんて言えばいいのかしら? ――“地Q人”ってところかしら。もっとも、「生きている」とは言いがたいんだけど。

ヒスイ:じゃあ、何? 死人の癖に歩き回っている、とでも言いたいわけ?

ケメコ:まさか! 生きていないのに、死ぬことなんてできっこないわ。そうでしょう?

ヒスイ:(それもそうだ)

 ヒスイ、腰に手を当てたまま黙り込む。目を閉じるヒスイ。まぶたの裏に焼きついた残像を、必死に脳裏から追いやろうとする。

ケメコ:そうね、そうねぇ。地Qの一部分、って考えたほうがいいのかしら。

ヒスイ:あの“地Q人”たちが?

ケメコ:そうよ。「人の狂気は天の正気」、……言いえて妙よね? ヒスイちゃんだって、そんな思いをしたことが一度あるはずよ。

ヒスイ、目を細めて:……下天のことを言ってるのかしら?

ケメコ:ええ、もちろん。

 ヒスイ、ケメコの有する自身の情報量に舌を巻く。

ケメコ:あの下天だってそうだったでしょう? あそこにいる人間達の多くは、歪で、おかしな人たちばかりじゃない? でもアレは環境のせいなんかじゃないのよ? 普通の人間が、異常な環境で育ったわけじゃないの。異常な環境が、異常な人間を生み出したのよ。

ヒスイ、皮肉げに:……ずいぶん詳しいのね。まるで下天へ言ったことがあるような言い草じゃない。

 ケメコ、あえてすぐに答えず、唇の端をゆがめて笑う。身体のあちこちを眺め、支障がないことを確認するヒスイ。ゆえにヒスイ、ケメコの不敵な笑みを気づかない。

ヒスイ、沈黙を不思議に思い:どうかしたの?

ケメコ:フフフ……今のは私の意見じゃないのよ。

ヒスイ:じゃあ、誰の意見だっていうのよ?

ケメコ:あなたのフアンの意見よ。

 ヒスイ、怪訝な顔をして言い返そうとするが、そのときになってケメコの「フアン第一号」という言葉を思い出す。

ヒスイ:それって、もう一人の飯フアンのこと?

ケメコ:ええ、そうよ。――あなたに会えることを楽しみにしていたわ。

ヒスイ、言い草を気にして:――“していた”?

ケメコ、目を伏せて:ええ、過去の話よ。その子、今はここにいないんですもの。

ヒスイ:……こんなところにいるほうがおかしいんじゃないかしら?

ケメコ、おどけて:あら、ヒスイちゃん? 自分が変人であることを認めるわけ?

ヒスイ、涼しい顔をして:「おかしな世界」にいることが“おかしい”のよ。

ケメコ:ウフフ……そうね、そうかもしれないわね。

 ケメコ、歩み寄り、ヒスイの前へでる。

ケメコ:さぁ、ツアーを続行しましょう。

ヒスイ:でも、ここって……?

 ヒスイ、今自分のいるところを確認する。四方を建物に囲まれた四角い中庭、その中央。四角く切り取られた青空。中庭には芝生。よく分からないおもちゃが散乱。シーソー台、滑り台。建物は四階建て。同じ間隔で張り巡らされた扉。

ケメコ:“マンション”よ。

ヒスイ:マンション……

 ケメコの言葉を繰り返したヒスイ、あることに気づく。

ヒスイ:地球でも、私たちの言葉は使えるの?

ケメコ:いいえ。使える人間などいやしないわ。まぁ、なんとかあなたたちと意思疎通できる人たちはいるだろうけど。

ヒスイ:……あなたもその中の一人だったわけ?

ケメコ、肩をすくめて:ええ、まぁ、そんなところかしら?

ヒスイ:そう。で、このマア……マアンションが何なの?

ケメコ、指で示して:マンション、ね。あそこよ、

 ケメコ、指の先、“マンション”の一角、扉。

ケメコ:あそこまで行くつもりよ。そこまでゆけば、少しはヒスイちゃんのことをもてなせるから。

ヒスイ:――別にもてなしてくれなくたっていいわ。大賢者様に会うんでしょう? だったら急がないと……

ケメコ:ええ。でも、少しぐらい寄り道したって、罰は当たらないはずでしょ。

ヒスイ、不服げな声で:そうだけど――

ケメコ:じゃあ、決まりね? 地球人の生活に、興味ぐらいあるでしょ?


 ケメコの案内で、ヒスイ、玄関を潜り抜ける。いたって普通の間取り。ヒスイ、特に感慨はない。

ケメコ:今からお風呂をたくからね。

ヒスイ、いぶかしんで:――なんで?

ケメコ:いいじゃない。少しぐらいリラックスしましょうよ。

 ケメコ、風呂場までヒスイを案内する。

ヒスイ、浴場を見て:(ちょっと狭いかな)

ヒスイ:(でも、……清潔そうだ)

 ヒスイ、フスの「チキュウは清潔」という言葉を思い出す。

ヒスイ:(フスの言ったとおりだ)

 ケメコ、蛇口をひねってお湯を出す。“水道”を知らないヒスイ、その現象に面食らうも、つとめて動揺を隠そうとする。

ヒスイ:……水はどうやって引っ張ってくるの?

ケメコ、愉快そうに:フフ、ヒスイちゃん、興味があるのかしら?

ヒスイ、視線をそらして:いや……別に。

 両者押し黙ったまま、浴槽に注ぎ込まれる水を見やる。

ケメコ:さぁ、このままじゃ退屈だから、部屋まで戻りましょう?

 ケメコにしたがって、お湯が溜まるまで待つことにする両者。

 ヒスイ、浴場を抜ける。そのとき、何者かの影、ヒスイの視界を横切る。

ヒスイ、銃を構え:誰っ?

 ケメコ、そんなヒスイを興味深げに見守る。

 何者かの影、後姿。装束はケメコと同じ、黒いセーラー服。同じく黒い髪色。ただし髪は長い。ヒスイには正面が見えない。

ケメコ:心配しなくていいわよ、ヒスイちゃん。それはただの残像なんだから。

 ケメコのくつろいだ様子を見て、ヒスイもようやく銃を降ろす。

 振り返る影。ヒスイ、影の顔を見る。

 そこには自らと同じ形相。

 ヒスイ、凍りつく。

ケメコ:フフフ……

 ヒスイ、ケメコの微笑さえ耳に入らない。残像と鉢合わせたあげく、ヒスイ、残像と目が合う。高鳴る鼓動。頭の中で組み合わさり、ほどけてゆく謎。

ヒスイ:そうか……!

 最後に残った二つの破片。一方は仮面の国璽尚書、もう一方はこの残像。

ヒスイ:こいつが……このがジスモンダ……!

ケメコ:ええ、そうよ。そしてその娘が、あなたの飯フアン第一号。

 稲妻を喰らったかのように、身体を震わせるヒスイ。知らなくていいことを知ってしまったかのような、良心と罪悪感の倒錯。自らとこの“似姿”との酷似に、ヒスイは狼狽する。

 似姿、鞄をソファに投げ出すと、小型で光沢のある端末をいじる。それは“スマートフォン”。だが、当然ヒスイは知らない。ヒスイ、似姿の挙措に釘付け。ケメコ、何も言わず腕を組む。似姿、しばらくしてから歩き出す。

 ヒスイ、似姿の残像を追いかける。廊下を通り抜け、ある部屋へと赴く似姿。ヒスイ、続けてその部屋へと入る。

 似姿の部屋。部屋の壁、さまざまな額。机にも、本棚にも、大量の書籍。年頃の女子にしては、あまりにも殺風景な部屋。

 似姿、机にあるメモ帳にしきりに何かを書き込む。その最中、似姿の残像が消える。

ヒスイ、ケメコの方を振り向いて:今のはいったい、どういうこと? あなたさっき、フアン第一号はここにいない、って言ったはずよね?

ケメコ:ええ、言ったわよ。少なくとも、地Qには存在しないわ。

ヒスイ、考え込んでから:――地Qには居ないけど、地球にはいる、ってことね? 地球にいるあの子の残像が、こっちの世界にも移りこんでいる、ってこと?

ケメコ、嬉しそうに:ええ、そうね、鋭いわね。……その通りよ。

 ヒスイ、似姿の手がかりを掴むべく、机にある本を手に取る。見慣れない文様に顔をしかめるも、辛うじて少し読めるところを拾い読む。

 背表紙には“国家”と書いてある。

ヒスイ:国家クオツィプ

ケメコ:ええ、そうよ。

ヒスイ:どんな話なの?

ケメコ:そうねぇ……理想的な国家に課される王者の条件、みたいなところかしら? もっとも、「正義とは何か?」を語ることの例として、国づくりが話題になっているだけだけれど。

 ヒスイ、ケメコの切り詰めた説明を、目を閉じて咀嚼する。国璽尚書の行為と、今の説明との結節――

ヒスイ:あの娘は――私のフアン第一号って子は、私に取って代わろうとしているの?

ケメコ:そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。

ヒスイ、険しい目つきで:ケメコ、あなたはそれを止めようとは思わなかったわけ?

ケメコ、肩をすくめて:一度決心をつけてしまった人の心を、変えることなど出来るかしら?

ヒスイ:何ですって……?

ケメコ:思い出してごらんなさい、勇者の娘。フアンの影像に妨げられることなく、それよりももっと、見なくてはならぬ真実在イデアがあるはずよ?

 ケメコの言葉を受け、ヒスイ、目を閉じる。識域下にたゆたう、実体を持たぬ影像。暗いまぶたの内に佇む、ほの白く冷たい蛍光。それは色あせた光、つまりは単純な光、青い光。ヒスイ、決心をつけてその光をこじ開ける。悲鳴を上げる光、それに続く拡大。

 孟然努羚マウレンチュグリが啼いた。

 一面の白さ。ヒスイの心の中、恐怖心が連打される。

 白さの一点、渦を巻く真実在イデア

 それはアプラクサスと呼ばれる。大きさ歳星のごとし――そして燃える人、または「さらばアデュウ」と言う人、または「メメント・モリ」と言える人。千の中の一、しかもまた同時に、欠かすことの出来ない千の中の一。

ヒスイ:イスイ……

 ケメコ、ヒスイの呟きに身じろぎしない。

ヒスイ:イスイが……還ってくる……! いや、もう竜の島に――。

ケメコ:結論が出たようね?

ヒスイ、口元を覆って:まずい――でも、何のために?

 ヒスイの頭の中。似姿・ジスモンダと、先代勇者・イスイとの連関がつかない。

ケメコ:そこまでは分からないわ。私はしがないフアンの一人ですもの。あなたのことに詳しくても、他の人の考えはよく分からないわ。でも、人間なんて皆、そんなものでしょう?

ヒスイ、動揺を抑えつつ:ええ……。そうね、その気持ちは分かるわ。

 ヒスイ、腕を組みなおし、ケメコと正面から対峙する。

ヒスイ:もう一度、これっきりだから、一つ訊かせて?

ケメコ:ええ、いいわよ?

ヒスイ:あなたは私の味方なの?

ケメコ:いいえ。

ケメコ、微笑んで:私は、あなたのフアンよ。

 ケメコ、それ以上答えない。ヒスイ、それ以上答えさせない。殺伐とした、無機質な沈黙。

ケメコ、ヒスイに近寄って:さ、難しい話はここで終わりよ。そろそろお湯が溜まっただろうから、お風呂に入るといいわ。

 ケメコ、そのままヒスイの脇を潜り抜けると、廊下を渡り風呂場へと消える。ヒスイ以外は誰もいない、似姿の居室。ヒスイ、最も手近にある額縁を見つめる。

 それは何かの賞状。

 賞状

 予章 姫睡 殿

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