お茶を飲み干すヒスイ。ケメコ、タイミングを見計らって手を差し出し、ヒスイからペットボトルをもらう。ケメコ、ベンチから立ち上がる。
ケメコ:さぁ、行きましょう。
ヒスイ、立ち上がる。ケメコ、空になったペットボトルを側にあったくずかごへ入れ、そのまま歩き出す。ヒスイ、押し黙ったまま後へ続く。
ヒスイ:ねぇ、ケメコ。
ケメコ、答えない。
ヒスイ:さっき私のことを“人間嫌い”って呼んだわよね?
ケメコ、ヒスイを振り向いて:ええ……そう呼んだかしら。
穏やかな風。漂う草いきれの臭い。
ケメコ:でも、まぁ、瑣末な問題だとは思うわよ?
ヒスイ:あなたのことが嫌いかも知れないのに?
ケメコ、肩をすくめて:ええ。
二人、公衆便所の前に辿り着く。中央にある障害者用便所の扉をスライドさせるケメコ。扉の向こうは異なる光景が浮かび上がっている。
ケメコ:私はヒスイちゃんの飯ですからね。たとえ信奉する人から嫌われようとも、その人を愛し続けずにはいられない……それが飯というものよ。
ヒスイ、眉をひそめて:嫌われていると分かっているのに、愛し続けるわけ?
ケメコ:ええ。いるでしょう、あなたの身近にも?
ケメコ、不敵な笑みを浮かべる。
ヒスイ、張り詰めた表情をする。
ヒスイ:……エバのことを言っているつもりかしら?
ケメコ:フフフ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。それもまた、カケイ様のところまで行けば、おのずと分かることかもしれないし、分からないことかもしれない。
ヒスイ:――エバは私の大切な友達よ? 私は、あの子を嫌ったりなんかしないわ。
ケメコ:それは本当に、ヒスイちゃんがあの子を大切に思っているからかしら?
ヒスイ:――何が言いたいの?
ケメコ、おどけて:あら、悪く思わないで。私が分かっている以上に、ヒスイちゃんはヒスイちゃん自身のことを分かっているはずよ? そうでしょう? ただ私から指摘されるのが怖いだけ。ロイ君からは逃げられても、私からは逃げられないわよ?
ヒスイ、目を細めて:へぇ……じゃあ?
ヒスイ、銃を構える。ヒスイ、自らのこめかみに銃口を突きつける。
ヒスイ:死んで地Qから退場してあげましょうか? もし“竜の島”へ戻れたのならば、私はあなたから逃れられたことになるわ。
ケメコ、腕を組んで:もし、失敗したら?
ヒスイ:それも問題じゃないわ。死んでしまえば同じですもの。
ケメコ:ヒスイちゃんに引き金は引けないわ。
ヒスイ:ケメコ、あなたが決めることじゃないわ。私が決めることよ。
ケメコ:死は平等に人へ“やってくる”ものよ。ヒスイちゃんが“決める”ことじゃないわ。
ヒスイ:いいえ。死も人生の裡よ――
ヒスイ、そこまでを言い終え、今のセリフに対して既視感に近い感覚を覚える。
ヒスイ:(同じセリフをどこかで言ったことがある?)
ヒスイ、一瞬思考をめぐらすが、答えは浮かばない。代わりに、またしてもものすごい頭痛に苛まれる。
ヒスイ、苦痛に顔をゆがめつつ:ううっ……
ヒスイ、膝から崩れ落ちそうになるが、何とか堪える。歯を食いしばる。額に脂汗。頭を大きく横へ振り、もどかしさと吐き気を追い払う。
ヒスイ:(この頭痛……ダメだ。ちゃんと原因を考えないと)
ケメコ:フフフ……
ヒスイ、笑みを浮かべるケメコに心をざわつかせる。
ケメコ、独り言のように:死生を超越した唯物的な答えよね。
ケメコ、気を取り直して:ねぇ、ヒスイちゃん。騙されたと思って、そのまま銃を右手に構えてみて。
ヒスイ:……えっ?
ケメコ、せかすように:いいから、いいから。
ヒスイ、しぶしぶ銃をこめかみから離すと、右手に持ち替え、再びこめかみに銃口を向ける。銃の鼓動、ヒスイに伝わらない。
ヒスイ:できたわよ、ほら。……これで満足かしら?
ケメコ:ねぇ、ヒスイちゃん。銃の鼓動は聞こえるかしら?
ケメコの言ったとおり、右手にはグローブを嵌めていないというのに、銃の鼓動は伝わってこない。ヒスイ、改めて強く銃把を握り締める。しかしやはり、銃の鼓動は伝わってこない。
ケメコ:何も聞こえないでしょう、ヒスイちゃん?
ケメコの言うことは正しい。ヒスイ、そのままの姿勢で目を伏せる。
ケメコ:ねぇ、ヒスイちゃんは勇者の娘。その銃はヒスイちゃんにしか使えないのは知っているわよね。裏を返せば、銃だってヒスイちゃんには死んで欲しくないのよ。
ヒスイ、無言のまま。
ケメコ:フフフ。人間というのは不便な生き物よね。誰かに「死んでしまった」と言われないかぎり、決して死ぬことができないんですもの。世界最後の人間は、そのまま世界最初の人間になるのよ。
ヒスイ:……あなたの言っていることは、よく分からないわ。
ケメコ、しらばっくれるように:あら、分からなくたっていいはずよ。現にヒスイちゃんだってこうして生きている――いや、生きていた――わけだし。
ケメコ、ヒスイの様子を確かめぬまま、今しがたスライドさせた扉を叩いて示す。
ケメコ:さぁ、ヒスイちゃん、中へどうぞ。
ヒスイ、釈然としない気持ち。しかし押し黙ったまま、扉をくぐる。
のどかな庭園の空気は一変。薄暗い、しかし開けた部屋。立ち並ぶ無数の柱。鉄製の貨車。そこは駐車場だが、ヒスイは知らない。湿り気のあるコンクリートの壁に、側溝に溜まったままの水。饐えたにおい。
ヒスイ:(下天と同じだ)
ヒスイ、直感的にそう思う。だがヒスイ、その感情が正の感情なのか負の感情なのか分からず、どぎまぎする。
ケメコ、扉をくぐる。
ケメコ:よいしょ、っと。……あら?
ケメコ、前方を見やり目を細める。ヒスイ、それにつられ視線を移す。
前方に人影。中年の男。黒い衣の隙間から、白い肌着がはみ出している。首に飾りをつけている。それはスーツ。ヒスイが肌着と思っているものはワイシャツなのだが、ヒスイ、スーツを知らぬため、男からだらしない印象を受ける。
男、挙動不審。不自然なまでに小刻みに揺れる。
ケメコ、緊張した口調で:気をつけて、ヒスイちゃん。
ヒスイ、男を見据えながら:……分かった。
男、稲妻を浴びた後のような、統率の取れていない動き。体の関節、不可解な方向へ捻じ曲がる。
男の首、全方位的に曲がる。
男、気色の悪い甲高い声で喋り始める。
男:歓迎ようこそ地Qへ! 清潔世界! 秘められたるあだ花! 歓迎ようこそ地Qへ! 清潔世界! ここはち、ここは、ち、ここはち、地Qへ!
けたたましい金切り声。男の体、膨らむ。男、口から何かを吐き出す。瞬時に身をよじり、それをかわす二人。吐き出された何か、それは透明の液体。液体、強い油のにおい。
ケメコ、床を転がりつつ:ヒスイちゃん、伏せて!
ヒスイ、言われるままに身を丸める。液体を迸る火花。液体、発火する。即席的な火の海。男、体全身がねじれ、既に原型を留めない。男の腕、男の首からじかに、無数に生えている。
ヒスイ、呆気にとられる。
ケメコ、立ち上がって:任せて――
ケメコ、スリングショットを構えると、パチンコ玉を男目がけて発射する。パチンコ玉、男の頭部に命中する。ひしゃげる男の頭。男の頭、花びらのように幾層にも分解し、中から無数の巻貝じみた塊が零れ落ちる。
頭を失った男、なぜかそれでも喋り続ける。
男:ヨショウヒスイは勇者の娘で竜の娘! ヨショウヒスイは竜の娘で勇者の娘! 勇者の娘はヨショウヒスイで竜の娘! 勇者の娘は竜の娘で――
男、ヒスイ目がけて飛び掛ってくる。床に転がったままのヒスイ、左脚で床を蹴り、間一髪でかわす。男、火達磨になる。
ヒスイ、立ち上がる。男からこぼれた巻貝のようなもの、形を整え、男そっくりになろうとする。銃を構えるヒスイ。しかし多勢に無勢。
ケメコ:逃げましょう、ヒスイ。このままじゃあ……
ヒスイ、苛立って:ええ、わかってる!
ケメコ:こっちよ!
ヒスイ、ケメコの後を追い、駆け出す。男“たち”、奇妙な声を上げつづける。しかし追いかけてこない。鳥肌を立てるヒスイ。
二人、何とか次の扉へ辿り着き、それをくぐる。