第64話:人間嫌い

 お茶を飲み干すヒスイ。ケメコ、タイミングを見計らって手を差し出し、ヒスイからペットボトルをもらう。ケメコ、ベンチから立ち上がる。

ケメコ:さぁ、行きましょう。

 ヒスイ、立ち上がる。ケメコ、空になったペットボトルを側にあったくずかごへ入れ、そのまま歩き出す。ヒスイ、押し黙ったまま後へ続く。

ヒスイ:ねぇ、ケメコ。

 ケメコ、答えない。

ヒスイ:さっき私のことを“人間嫌い”って呼んだわよね?

ケメコ、ヒスイを振り向いて:ええ……そう呼んだかしら。

 穏やかな風。漂う草いきれの臭い。

ケメコ:でも、まぁ、瑣末な問題だとは思うわよ?

ヒスイ:あなたのことが嫌いかも知れないのに?

ケメコ、肩をすくめて:ええ。

 二人、公衆便所の前に辿り着く。中央にある障害者用便所の扉をスライドさせるケメコ。扉の向こうは異なる光景が浮かび上がっている。

ケメコ:私はヒスイちゃんのフアンですからね。たとえ信奉する人から嫌われようとも、その人を愛し続けずにはいられない……それが飯というものよ。

ヒスイ、眉をひそめて:嫌われていると分かっているのに、愛し続けるわけ?

ケメコ:ええ。いるでしょう、あなたの身近にも?

 ケメコ、不敵な笑みを浮かべる。

 ヒスイ、張り詰めた表情をする。

ヒスイ:……エバのことを言っているつもりかしら?

ケメコ:フフフ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。それもまた、カケイ様のところまで行けば、おのずと分かることかもしれないし、分からないことかもしれない。

ヒスイ:――エバは私の大切な友達よ? 私は、あの子を嫌ったりなんかしないわ。

ケメコ:それは本当に、ヒスイちゃんがあの子を大切に思っているからかしら?

ヒスイ:――何が言いたいの?

ケメコ、おどけて:あら、悪く思わないで。私が分かっている以上に、ヒスイちゃんはヒスイちゃん自身のことを分かっているはずよ? そうでしょう? ただ私から指摘されるのが怖いだけ。ロイ君からは逃げられても、私からは逃げられないわよ?

ヒスイ、目を細めて:へぇ……じゃあ?

 ヒスイ、銃を構える。ヒスイ、自らのこめかみに銃口を突きつける。

ヒスイ:死んで地Qから退場してあげましょうか? もし“竜の島”へ戻れたのならば、私はあなたから逃れられたことになるわ。

ケメコ、腕を組んで:もし、失敗したら?

ヒスイ:それも問題じゃないわ。死んでしまえば同じですもの。

ケメコ:ヒスイちゃんに引き金は引けないわ。

ヒスイ:ケメコ、あなたが決めることじゃないわ。私が決めることよ。

ケメコ:死は平等に人へ“やってくる”ものよ。ヒスイちゃんが“決める”ことじゃないわ。

ヒスイ:いいえ。死も人生の裡よ――

 ヒスイ、そこまでを言い終え、今のセリフに対して既視感デジャヴに近い感覚を覚える。

ヒスイ:(同じセリフをどこかで言ったことがある?)

 ヒスイ、一瞬思考をめぐらすが、答えは浮かばない。代わりに、またしてもものすごい頭痛に苛まれる。

ヒスイ、苦痛に顔をゆがめつつ:ううっ……

 ヒスイ、膝から崩れ落ちそうになるが、何とか堪える。歯を食いしばる。額に脂汗。頭を大きく横へ振り、もどかしさと吐き気を追い払う。

ヒスイ:(この頭痛……ダメだ。ちゃんと原因を考えないと)

ケメコ:フフフ……

 ヒスイ、笑みを浮かべるケメコに心をざわつかせる。

ケメコ、独り言のように:死生を超越した唯物的な答えよね。

ケメコ、気を取り直して:ねぇ、ヒスイちゃん。騙されたと思って、そのまま銃を右手に構えてみて。

ヒスイ:……えっ?

ケメコ、せかすように:いいから、いいから。

 ヒスイ、しぶしぶ銃をこめかみから離すと、右手に持ち替え、再びこめかみに銃口を向ける。銃の鼓動、ヒスイに伝わらない。

ヒスイ:できたわよ、ほら。……これで満足かしら?

ケメコ:ねぇ、ヒスイちゃん。銃の鼓動は聞こえるかしら?

 ケメコの言ったとおり、右手にはグローブを嵌めていないというのに、銃の鼓動は伝わってこない。ヒスイ、改めて強く銃把を握り締める。しかしやはり、銃の鼓動は伝わってこない。

ケメコ:何も聞こえないでしょう、ヒスイちゃん?

 ケメコの言うことは正しい。ヒスイ、そのままの姿勢で目を伏せる。

ケメコ:ねぇ、ヒスイちゃんは勇者の娘。その銃はヒスイちゃんにしか使えないのは知っているわよね。裏を返せば、銃だってヒスイちゃんには死んで欲しくないのよ。

 ヒスイ、無言のまま。

ケメコ:フフフ。人間というのは不便な生き物よね。誰かに「死んでしまった」と言われないかぎり、決して死ぬことができないんですもの。世界最後の人間は、そのまま世界最初の人間になるのよ。

ヒスイ:……あなたの言っていることは、よく分からないわ。

ケメコ、しらばっくれるように:あら、分からなくたっていいはずよ。現にヒスイちゃんだってこうして生きている――いや、生きていた――わけだし。

 ケメコ、ヒスイの様子を確かめぬまま、今しがたスライドさせた扉を叩いて示す。

ケメコ:さぁ、ヒスイちゃん、中へどうぞ。

 ヒスイ、釈然としない気持ち。しかし押し黙ったまま、扉をくぐる。

 のどかな庭園の空気は一変。薄暗い、しかし開けた部屋。立ち並ぶ無数の柱。鉄製の貨車。そこは駐車場だが、ヒスイは知らない。湿り気のあるコンクリートの壁に、側溝に溜まったままの水。饐えたにおい。

ヒスイ:(下天と同じだ)

 ヒスイ、直感的にそう思う。だがヒスイ、その感情が正の感情なのか負の感情なのか分からず、どぎまぎする。

 ケメコ、扉をくぐる。

ケメコ:よいしょ、っと。……あら?

 ケメコ、前方を見やり目を細める。ヒスイ、それにつられ視線を移す。

 前方に人影。中年の男。黒い衣の隙間から、白い肌着がはみ出している。首に飾りをつけている。それはスーツ。ヒスイが肌着と思っているものはワイシャツなのだが、ヒスイ、スーツを知らぬため、男からだらしない印象を受ける。

 男、挙動不審。不自然なまでに小刻みに揺れる。

ケメコ、緊張した口調で:気をつけて、ヒスイちゃん。

ヒスイ、男を見据えながら:……分かった。

 男、稲妻を浴びた後のような、統率の取れていない動き。体の関節、不可解な方向へ捻じ曲がる。

 男の首、全方位的に曲がる。

 男、気色の悪い甲高い声で喋り始める。

男:歓迎ようこそ地Qへ! 清潔世界! 秘められたるあだ花! 歓迎ようこそ地Qへ! 清潔世界! ここはち、ここは、ち、ここはち、地Qへ!

 けたたましい金切り声。男の体、膨らむ。男、口から何かを吐き出す。瞬時に身をよじり、それをかわす二人。吐き出された何か、それは透明の液体。液体、強い油のにおい。

ケメコ、床を転がりつつ:ヒスイちゃん、伏せて!

 ヒスイ、言われるままに身を丸める。液体を迸る火花。液体、発火する。即席的な火の海。男、体全身がねじれ、既に原型を留めない。男の腕、男の首からじかに、無数に生えている。

 ヒスイ、呆気にとられる。

ケメコ、立ち上がって:任せて――

 ケメコ、スリングショットを構えると、パチンコ玉を男目がけて発射する。パチンコ玉、男の頭部に命中する。ひしゃげる男の頭。男の頭、花びらのように幾層にも分解し、中から無数の巻貝じみた塊が零れ落ちる。

 頭を失った男、なぜかそれでも喋り続ける。

男:ヨショウヒスイは勇者の娘で竜の娘! ヨショウヒスイは竜の娘で勇者の娘! 勇者の娘はヨショウヒスイで竜の娘! 勇者の娘は竜の娘で――

 男、ヒスイ目がけて飛び掛ってくる。床に転がったままのヒスイ、左脚で床を蹴り、間一髪でかわす。男、火達磨になる。

 ヒスイ、立ち上がる。男からこぼれた巻貝のようなもの、形を整え、男そっくりになろうとする。銃を構えるヒスイ。しかし多勢に無勢。

ケメコ:逃げましょう、ヒスイ。このままじゃあ……

ヒスイ、苛立って:ええ、わかってる!

ケメコ:こっちよ!

 ヒスイ、ケメコの後を追い、駆け出す。男“たち”、奇妙な声を上げつづける。しかし追いかけてこない。鳥肌を立てるヒスイ。

 二人、何とか次の扉へ辿り着き、それをくぐる。

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