第57話:竜は太古より

 千切れたローブを、従者――リウが踏みつけにする。広間の一画を占めるほどの巨体に、鞭のようにしなる太い尾。

「くそっ!」

 ヒスイの隣で、ロイが歯軋りしている。

「どうなってんだよ。夢じゃねぇよな?!」

「夢なんかじゃない!」

 一声そう叫ぶと、ヒスイは竜に照準を合わせ、引き金を引く。立て続けに、二発の銃撃が放たれた。二発とも竜の右眸うぼうに命中し、弾ける。

 竜は絶叫し、自らを痛めつけた相手を左眸で睨みつける。浮き足立つ思いだったが、ヒスイもそれを睨み返す。

「――あれは何?!」

 打ちひしがれた声を上げ、セフが竜の右眸うぼうを指差した。銃痕が泡立ち、湯気を放ち、瞬時にして再生される。

 竜の巨躯に圧倒されていた兵士たちも、果敢にボウガンで攻め立てる。うち一本の矢が、竜の喉に突き刺さった。

 ヒスイをねめつけていた竜も気を削がれたらしく、そちらへ首を振る。

 突如、竜が顎を激しく動かし始めた。歯を打ち鳴らす

「カッ、カッ、カッ、」

 という乾いた音が響いた。

「いかん!」

 大音量でイェンが叫ぶ。

「皆、伏せろ――!」

 イェンの言葉の末尾は、ほとんど消えかかっていた。打ち鳴らされた歯からは火花が飛び散り、竜がそこへ自らの息吹を吹き込む。身を屈める直前、ヒスイの視界が歪んだ。この世を焼き尽くしてしまうほどの大火が、転日宮ハルムイールの広間に解き放たれる。熱気と爆風でヒスイの身体は持ち上がり、壁際に叩きつけられそうになる。逃げ遅れた兵士たちは業火に嘗め尽くされ、跡形もなく消えてしまう。火を浴びていない箇所からも火花が迸った。竜の火炎放射に誘発され、静電気が放たれているのだ。

「うぅ、熱い、熱い――!」

 絶えられないとばかりに、エバが声を発した。周囲の気温は一気に上昇する。これだけの火炎をどうやって放つというのだろう、竜の火炎は途切れることがない。息をするたびに、肺の中まで焼け爛れてしまいそうになる。

「ロイ?!」

 轟音で周囲が震える中、セフの声がヒスイの耳に届く。距離は近いというのに、声はかなり遠くから聞こえるようだった。

 視線を上へ移したヒスイは、そこで目を瞠る。

 ロイが、弓を引き絞っていた。混沌の渦中にいるとは思えぬほど、ロイの瞳は澄み渡っている。弓を引き絞ったまま静止し、そして放つ。

 すべての動作は実に静かだったが、放たれた矢の威力は絶大だった。

 息吹が着火するその連結点、そこにひるがえる竜の舌が千切れ飛ぶ。刹那、竜が首をもたげて巨躯を震わせた。まるで別の生き物のように、太い尾が蠢き、隙だらけになったロイ目がけて振り下ろされる――。

「――せいっ!」

 駆けつけたイェンが、金棒を振りかぶる。竜の尾と金棒の一撃。竜の尾は弾きとばされ、広間の床を穿つ。

 金棒は根元から直角に折れ曲がると、遠くまで飛んでいった。

「総員、散開!」

 竜がひるんでいる隙に、イェンが周囲の兵士たちに向かって号令する。

「絶対に立ち止まるな! 目と、脚と、喉を狙うのじゃ!」

「国従、どうする?!」

 セフとエバをそれぞれ立ち上がらせると、ロイがイェンに向かって尋ねた。

「どうなんだよ? なんか打つ手はあるのか」

あれと、あとリリスとで喰い止める!」

 イェンは手を組み、指を鳴らす。竜と素手で渡り合うつもりらしい。

「まだリリス道士ダオシュは来てねェだろが」

「いずれ来る。それよりもサイファじゃ! あやつめを取り逃すわけにはいかん。ロイ、三人を玉座の間まで案内するのじゃ。ヤツはきっとそこにおる!」

「でも――イェンさん!」

 呼びかけるヒスイに、イェンはきびしい視線を投げかける。

「ヒスイ、け! 竜をっているのはあれしかおらぬ。手負いのサイファを追い詰められるのも、今だけじゃ!」

 口から蛍光色の血を垂れ流していた竜だったが、咳き込みが一段落すると、再び周囲を見渡し始める。翼を上下させるたびに、風が広間全体を吹きすさぶ。

「行こう、ヒスイ!」

 ヒスイの腕をロイは掴む。

「行くしかないだろ、サイファがお前を呼んでんだぞ。――ほら!」

 ロイの視線の先には、転日宮の玄関があった。イェンの一打を喰らっても超然としていた赤黒い鉄扉が、今はもう半開きになっている。

 その言葉に、ヒスイもつき動かされた。迷っている暇などはない。サイファが何をするつもりなのかは知らないが、これ以上好き勝手にさせるわけにはいかない。

「行きましょう、ヒスイ!」

「ヒスイ、行かないと!」

 エバもセフも、それぞれが呼びかける。

「――分かった!」

 ヒスイは三人に頷き返すと、銃を構えなおし、玄関へ向かって駆け出す。

「死ぬでないぞ!」

 イェンの声が響く。

「もちろん、イェンさんも!」

 振り向いてヒスイは答えた。イェンは無言のまま、拳を突き上げて合図した。


「――よう、竜や。久しぶりじゃの?」

 ヒスイたちを見送った後、イェンは竜を相手に話しかけた。イェンを見つけた竜は鼻息を荒くすると、首をよじってイェンを覗き込む。

「何年ぶりかの。七十年ほど経ってしまったかの? でもまぁ、つい昨日のことのようじゃ」

 怒りに滾る目を細め、竜がイェンを威嚇した。岩木をも震え上がらせてしまうのではないかというほどの怒号だった。

 だが、イェンはひるまなかった。何もかもが昔と同じだった。

 そう、まさしくつい昨日のことのようだった。あのときも竜に対峙し、そして勝った。勝ったからこそ、今までの平和が存在していたのだ。

 ただ、あのときと今とは違う。魔術的な銃を駆使していた勇者も、超常的な能力を持っていた剣聖も、賢者も今はいない。

 それでも、イェンは勝つ気でいた。かつては失うものがなかった。けれど今は守るべきものがあった。

 ヒスイ。若き勇者のためにも、死ぬ気などはさらさらなかった。


「あぁ、何だこれ!」

 転日宮の入り口へ降り立ったロイが、広間の様子を見るなり毒づいた。

 銀色の泥――転日宮の赤黒かった床を、今度は銀色の泥が埋め尽くそうとしていた。ヒスイたちが息をついているその間にも、銀色の泥はゆっくりと建物を侵食しつつある。

「何これ……気持ち悪い!」

 階段から糸を引いている銀色の泥を見て、エバが顔をしかめる。

「これ、さわっちゃ駄目なヤツ?」

「さぁな」

「“さぁな”って……」

 困った表情で、セフがロイを見上げる。

 床を這う銀色の泥を見つめていたヒスイは、あることに気付いた。うごめく泥のあちこちに、蛍光色のまだら模様が点々とたなびいている。

「見て!」

 ヒスイは三人に注意をうながした。興味深げに、ロイはそのまだら模様を目で追う。

「サイファか、あるいは従者の血だろうな。ちょうど玉座の間の方まで、」

 いったん言葉を切ると、ロイは建物の正面、二階へと続く階段を指差した。どうやらこの銀色の泥も、二階から一階まで流れ落ちているようだった。

「玉座の間の方まで続いてるぜ。流血するくらいまでは弱ってるんだろう。でかしたな、セフ。大手柄だ」

「あ、ありがとう……」

 ロイの口調は相変わらず、緊張感こそあったが危機感はなかった。

「さっさと行こうぜ」

 弓の弦を弾きながら、ロイが三人に先んじて進む。

「うかうかしてると……」

「待って、あれは……何?!」

 怯えた声をエバが発した。視線の先、階段の一角に盛り上がっていた銀色の泥が、突如として吹き上がる。

 泥の塊から、突然三本の突起が生えだした。うち二本は細くたなびき、腕の形を帯び始める。真ん中に残る一本は綺麗にすぼまり、頭を形成する。

「厄介だな」

 ロイが舌打ちする。銀色の泥は人間の形状を――それもサイファに似た顔かたちとなる。スーツを着せて着色すれば、それこそサイファそのものだろう。

 サイファの“似姿”が奇声を発し、四人へと肉薄する。とっさにヒスイも引き金をひいて応戦する。泥製の体は銃弾を喰らい、盛大に弾ける。飛沫がヒスイの顔にかかる。変にすえた臭いがした。

「また来たぞ――」

 いうが早いか、ロイは弓を引き絞る。新たな泥の塊が吹き上がり始めたのだ。泥の塊が完全に形を持つ前に、ロイの矢が解き放たれる。軌道が捉えられぬほどの豪速だった。

スウェイ!」

 ロイの掛け声が響く。泥の塊はその場で“噴火”し、木っ端微塵に粉砕される。

「すごい……」

「だろ?」

 思わず呟いたセフに、ロイが調子よく応じた。それを耳にしたセフは、また憮然とした表情を作る。

「とにかく、行きましょう!」

 ヒスイは周囲を見渡した。泥の塊が噴出してくるきざしが、そこかしこにあった。単体では弱いにしても、多勢に無勢である。早いところサイファを叩く以外に、決め手は無さそうだった。四人は覚悟を決めると、互いに注意を払いながら一目散に転日宮の奥へと足を進める。日差しと泥のおかげで、輪郭の薄かった転日宮が今でははっきりと見渡せる。

 初めにヒスイたちがすり抜けた部屋、その隣に位置する部屋に、今度は正面から足を踏み入れる。銀色の泥は先ほどよりも、色が濃くなっているようだった。

「列柱廊だ――」

 矢をつがえなおすと、ロイが前方を指差した。その先には、両開きのいかつい扉が鎮座していた。

「あそこまで行こう――」

「待って、ダメ!」

 駆け出そうとしたロイを、セフが必死に引き止める。その刹那、列柱の一つからガラガラ音の怪物が飛び出してくる。とっさにかわそうとしたロイだったが、泥に足を取られ、弓を取り落とした。

「ロイ!」

「……それっ!」

 ヒスイの隣で、エバが指を鳴らす。通常では考えられぬほどの、甲高い音が列柱廊に響き渡る。ロイに爪を立てようともがいていた怪人が、奇声を発してロイから飛びのく。

 泥の中から矢をかすめ取ると、ロイは振りかぶって、怪物のうなじに突き立てる。怪物の奇声は断末魔の叫びに変わり、泥の中へ倒れ、沈み込んでゆく。

「あァ、エバ、謝耶シェヤ (ありがとう)、助かった」

 そう告げるロイの後方で、同じく列柱に潜んでいた怪物たちが姿を見せ始めた。みな青く歪んだ頭を、必死になって揺さぶっている。エバの駆使した魔法が、他の怪物たちにも影響したのだろう。

「クソッ、ヒスイ先にゆけ」

「ロイ!」

 ヒスイがより早く、セフが口を開いた。見れば、ロイは額から血を流している。左の手のひらをつたう血が、銀の泥に零れ落ちて赤黒いしみをつくる。

「ロイ、あなただけじゃ危険だわ」

「いいから先にいくんだ。こんな傷どうってこと無い。オレが残りの怪物を片付けるから、列柱の脇を潜って先に進め」

 左目をつぶりながらも、ロイは弓を拾って矢をつがえなおした。矢の先端には細工が施されている。合図の目的で放たれる鏑矢かぶらやだ。

「でも――」

「“でも”じゃねぇ。勇者の娘だろ、腹くくれよ! イェン国従も言ってただろ、『今しかない』って」

 立ち止まりかけていたヒスイの心を、ロイの言葉が揺さぶった。ロイと自分、立場は違うものの、何か近いものがお互いにあると、ヒスイはこのとき直感した。

「……分かった。でも、必ず後から来て」

了解リャオジエ、約束する」

 その言葉を聞き終えると、ヒスイはエバとセフに合図をした。三人は一列になって、列柱廊の脇を抜ける。

 弓なりの鋭い音が、三人の耳に届いた。放たれた鏑矢が、鳥の鳴き声のようなけたたましい音を立てる。うずくまっていた怪人たちも、音に反応して一斉に駆け出した。

「ロイ……」

 息を殺しつつ歩いていたセフが、心配そうに声を発した。

「大丈夫かな?」

「大丈夫、大丈夫」

 ヒスイの代わりに、エバが応じた。

「だから、はやくサイファをやっつけないと。ね?」

「そうよ」

 辿り着いたヒスイは、体重をかけて鉄扉を押しやった。階段が螺旋状に渦を巻いている部屋である。ヒスイはその行き着く先を見据えた蛍光色の血溜まりも、そこで一番大きくなっている。

 サイファが、奥にいる。

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